166 国と国との争い


 港街カイライは、旅立つ前に見た光景とはまるで異なっていた。

 

 小舟が港の船着き場の二、三十メートルほど手前まで来ると、アルたちはその異変に気付いた。


 船はほとんど壊され、港にある建物も半分以上が崩れ、怒号と悲鳴が飛び交い、平民らしき男たちが似合わぬ武器を手に、無謀な戦いを挑んでいる。

 ウォーレッド国の兵士は、武器を手にカイライを破壊して回り、街の人々を追っては、剣で切り回っている。

 更に多くの兵士がひっきりなしに船から降りて来て、その軍隊を率いた隊長と思しき者は、メイクール国の王都へと向かうようだった。

 

 アルは全身が怒りと悲しみで打ち震えた。


「イーシェア、船を早く港へ!」

 

 アルは叫ぶと、居ても立ってもいられず、陸からはまだ数十メートルは離れていたが、小舟を降りようとしていた。


「王子、駄目です! ここで降りてはいけない!」


 ロゼスは慌ててアルの肩を両手でがっちりと押さえた。

「ロゼス、手を放せ、あれが見えないのか!? 目の前で民が殺されそうになっている! 今出て行けば、きっと救える命がある!」


「ええ、見えています。ですが、駄目です」

「なぜ止めるんだ! 彼らを見殺しにしろというのか?」

 沸き起こる感情を抑えきれず、声を荒げるアルに、ロゼスは、そうです、と思わぬことを言った。


「俺たちだけで行っても、全ての民を救えません。もう、このカイライは、……諦めるしかありません」

 ロゼスは苦し気に、声を絞り出す。


「諦める……?」


 アルは、思わずロゼスを睨みつけていた。

ロゼスはアルの言葉に頷く。


「よく見てください、王子。カイライに残っているのは、ほとんどが男たちです。女子供は、王やカイル特隊長がこの攻撃をいち早く知り得て、上手く逃がしたのでしょう。……ウォーレッド国の兵士は数が多い。カイライは諦めて、王都や城の護衛に人員を裂いたと考えられます」

 

 ロゼスは、諭すように、口を開いた。

 

 アルは、戦争を知らない。

 彼は多くの魔のものと戦ってきたが、人と人との争いとは違う。いつもは冷静で頭の良いアルだが、国を襲われ、冷静さと判断力を失っている、とロゼスは思った。


「王子、ここであなたが出て行けば、少数の民を救えるかも知れない。だが、あなたのことを敵に知られれば、敵は一気にこちらへ流れてくるでしょう。堪えてください。メイクール国は、あなたを失う訳にはいきません」

 アルは、ロゼスの言葉にはっとし、額を押さえた。


「ロゼス、分かった。……すまなかった」


 アルは、力なく言い、小舟に座り込んだ。


「イーシェア、この小舟を、なるべく王都に近く、兵士の少ないところへ着けるんだ」

 ロゼスの言葉に、イーシェアは、ええ、と言ったが、

「ですが、この小舟は水のない場所へは行けません。王都からは少し離れたところになります」

 そう付け加えた。


 小舟はスラナ村のほど近くの海辺にて、その足を止めた。


 アルの胸には絶望が押し寄せていた。

 カイライに残った男たちは、自らの命を顧みず、自分たちの街を守ろうとしたのだ。

 国は、街を捨てたのに――。


(……すまない)

 

 全ての民を救える訳ではない。

こうなった以上、これからは、救える命を選び取らなくてはならない。

理解はしたが、受け入れられる訳ではなかった。


民を救えず、救おうともせず、アルたちは小舟から降りて、海で繋がった王都から一番近い村――、スラナ村へと向かった。



一人、船を飛び立ったパティは、暫くは無意識に飛び続けた。

朝から飛び続け、既に時刻は昼を回っている。


アルたちの乗っている船は、どうしただろうか。


――わたしは、もう関係ないんだ。アルに拒否されてしまって、もうあの国――、メイクール国へ行くこともできないんだ。


そう思って、パティはまた悲しくなった。


 彼女は無意識に、ただ一心に飛び続け、体中の力が抜けるほど疲れ果て、ようやくその羽を休めることにした。


パティはアルが言ったように、天世界に戻る、と決めたが、すぐに向かおうとは思っていなかった。


 長い間関わってきた仲間たちが危険を顧みず、魔のものと戦うー、いや、もう既に戦いの火蓋は切って落とされているかも知れない。

 自分だけ安全な天世界に身を置くのは、薄情だし、何だか彼らを見捨てるような行為にも思える。

 傍に行っても邪魔になってしまうので、暫くはこの地上にいて、せめて、祈りを捧げようー、そう思っていた。

 

 パティはウォーレッド国の海域を抜けかけた、北東大陸のほど近くの孤島――、名も無き島に降り立ち、周囲を見渡す。


 美しい島だった。

 パティが落り立った地は、野原だった。

 背の高い黄色い植物が一面に広がり、太陽の陽を受けて黄金色に輝いている。


(これ……テフスね)


 ――テフス? この黄色い草の名をわたしはどうして知っているのだろう。

 見た覚えもない。地上の草花を紹介する本など天世界にもなかった。記憶がある訳がない。


 記憶がある訳がないのに、なぜか知っていて、見覚えがあった。

 

「……シュガ?」


 不意に、パティから見知らぬ者の名が口をついて出て来た。


 ――シュガ? その名は誰だろう。会ったことはない。

 先ほどから何かがおかしい。


(いけない。そんなよく分からないことを考えていては。わたしは、みんなの無事を祈るためにここへ残ったのだから――)

 

 パティは、野原にポツンと置かれたような、大きな石に腰かけ、両手を組み、瞳を閉じて祈り始めた。

 

 ――どうか、どうか。

 皆の命をお守りください。 

 どうか、この地上が魔の手に落ちることなく、平和でありますように……。




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