165 水の小舟
その夜、パティは泣きながら眠りについた。
悲しい感情に支配されていたが、心地の良い眠りの中で、パティは夢を視た。
(夢、なのだろうか)
まどろんでいる感覚もある。
瞳を閉じ、ぼんやりとしているが、はっきりと物事の状況がわかるほど覚醒してはいない。
眠りから覚める直前のぼうっとした感覚。
ぬるま湯に浸かっているような心地良ささえある。
そんな時に、声はパティの耳に、響いてきた。
≪お前はそれで良いのか?≫
耳に――、いや、頭に響く声は、雄々しく、心に響く、深い声をしていた。
声の持ち主は、強く気高い存在だ。
パティはそれを知っている。
――だって、アルは、わたしを受け入れてはくれませんでした。
わたしはもう、地上にいる意味がないと思えるのです。天に戻って、静かに暮らします。
≪お前の望みは、地上で生きることだった筈――。だからこそ、私はお前のその思いを受け入れた……。今度こそ、望むままに生きられたというのに――≫
――望むままに、生きられた……?
それは、どういうことですか?
あなたは、神ではないのですか?
≪神ではない。しかし、私のことを神と呼ぶ者もいる≫
――神ではない? ああ、そうだ。このような声をした神を、わたしは知らない。
けれどわたしはこの声を聞いたことがある。
あれは確か、天世界から地上に降りている時、わたしに呼びかけてきた者がいた。
あの時の、あの声だ。
このものは何者だが分からないけれど、わたしを心から思い、案じている。
――あなたは、誰、なのですか?
≪……私は、お前と繋がりを持つ者――≫
――つな、がり?
声は、そう言い残して消えた。
パティは船室のベッドの上で瞳を開いた。
目を覚ましたパティは、呼びかけてきた声のこと、その時交わした言葉も、そのものの存在もすっかり忘れていた。
それは声の持ち主の力なのか、それとも、パティがその者のことを思い出すことを拒んだのか。
ともかく、パティは、夢で呼びかけられたことは何も覚えていなかった。
重い体を起こしたパティの傍に、もうアルはいなかった。
ずっと起きていようと思ったのに寝てしまったのだとパティは知り、そしてアルにはもう会うことはできない――、と理解すると、パティの瞳には再び涙が浮かんだ。
ベッド脇のサイドテーブルに、手紙が置かれていた。アルの書いた文字で、クルミとダンからの伝言がしたためられていた。
地上で生きるなら、手助けをする、と記されており、二人の温かさが嬉しかった。
けれど、パティは天世界に戻ると決めていた。
パティには、アルの傍以外に、行きたいところなどなかった。
その時、涙を浮かべたパティのいる船室の扉を、ノックする音がした。
パティはびくっと肩を震わせた。
ロゼスだろうか、イーシェアだろうか。
きっと何か優しい言葉をかけてくれるのだろう。
パティは二人に会いたくなかった。
泣き腫らした顔を見られるのも、優しい言葉をかけられて再び涙するのも、疲れたし、何だか怖かった。
二人に会って、別れを言いたい気持ちはあったが、会えば、別れが辛くもなってしまう。
パティは急いで扉から離れ、窓辺に寄り、窓から身を乗り出し、飛び出して翼を広げた。
ふわりと飛び立ち、空高く、パティは舞い上がった。
(二人とも、ごめんなさい……)
パティは逃げるように、船を後にした。
パティが飛び立ったことに、アルたちは気付いた。
扉をノックしていたのは、イーシェアだった。
イーシェアは、パティがいなくなったと知ると、俯き、悲しい顔をした。
「パティ……、行ってしまったのですね。あなたは、メイクール国に帰るべき人でしたのに――」
イーシェアは言い、扉をパタンと閉めた。
イーシェアは、次いで、やるべきことをしなければ、と、パティのことを頭から振り払った。
イーシェアは甲板にロゼスとアルを呼び、手鏡を取り出した。
水と風の力は、その根源たるものが近くになければ、力を発揮することはできない。
船の上――、つまり海の傍にいる今は、イーシェアは神具の力を移した手鏡により、水の力を発揮できる。
「水の力で、私たちの体をメイクール国まで運びます。私の近くにいてください」
アルとロゼスは、こく、と頷いた。
「鏡よ、その力を発揮せよ。私たちの体を運びなさい」
イーシェアが静かに言うと、海の水がバシャーン、という音を立てて、水は細く長くねじられ、飛び出した。
ねじられた海の水は小さく纏まり、小舟へと変化をした。
小舟は、イーシェアとその近くのアルとロゼスの元へ運ばれ、三人の体を持ち上げた。
不思議な水で、その小舟の上に乗ることができ、ぶよぶよとした感触が足元を覆っていた。
イーシェアが片手を、メイクール国のある方角――、北西へ振るうと、集まった海の水は、北西大陸へ向けて、ビュン、と風と切って進んで行く。
それは凄い速さだった。
海の上を進んで行くので、顔や体に水がバシャバシャと跳ね、凄い速さなので、顔に水がかかると痛いのだ。
アルもロゼスも、腕を顔の前に出して、保護をしていた。が、イーシェアは、まるで水と一体化しているかのように、幾ら顔に水がかかっても、平然としており、服や髪が濡れてもいなかった。
一時間ほど、経っただろうか。
見覚えのある港の先が見え、そこが、北西大陸だと分かると、アルは目を凝らして、港町カイライの様子を確認した。
(――え?)
それは現実なのかと、アルは目を疑った――。
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