クルミ・レイズン 後半
(海がある――)
パティが人間の次に興味を惹かれたものだ。
「助かった。これはとっておいてくれ」
ロゼスは荷馬車を降りると、クルミに金貨を渡そうとした。
「そんなつもりなかったけど」
クルミは肩を竦めた。
「受け取ってくれ、気持ちだ」
仕方ない、というように、クルミは溜息をつき、
「これじゃ多い」
といい、ロゼスの持っていた小さな麻の袋を取り、そこから銀貨二枚を貰った。
「これでいいよ」
と言い、金貨を袋へとしまい、それをロゼスに突っ返した。
「パティ、何とか船に間に合いそうだぞ」
「本当ですか? 良かった!」
パティは胸を撫で下ろすと同時に、一つの別れがやってきたと知り、少し寂しくなった。
「クルミ、さようなら。お元気で」
クルミは口の端を持ち上げ、
「パティ、あんたもね」
と言い、馬車でどこかへ去って行った。
「さて、俺たちは王子が乗る船へ向かおう」
港には船が幾つもあった。
「こんなに沢山船があるのにどの船だか分かるのですか?」
「調べればな。今日の夕刻前に出発する、北東大陸に向かう船だ。訊けばすぐに分かる筈だ。北東大陸行の船は月に一度しか出ていないからな」
パティは頷き、街の奥の港を二人は目指した。
「船には食堂があるが、必要最低限のものを買う。水や食料だ。船の中では貴重だから、高値になる」
「そうなのですね」
と、パティは相槌を打った。
港に行く途中、様々な店が軒を連ねていた。
アクセサリー、薬、武器を扱う店。それに服屋に、防具屋。食べ物を売っている店もあった。どれもパティの興味をそそるものばかりだが、パティはお金を持っていない。
「パティ、王から授かった金はお前に必要なものを買うよう言われている。後で店を少し見よう。その前に船の手配をする。まだ時間には早いが、もしかすると王子にも会えるかも知れない」
パティの顔が、ぱあっと明るくなった。
いつもむすっとしているロゼスから嬉しいことを二つも聞き、パティは喜びに胸がドキドキしていた。
店が並ぶ道を通り過ぎると、海が眼前に広がっていた。大きな帆船から、漁船、小型船、小さな釣り船までもが船着き場に並んでいた。
「どの船か訊いてくる。パティはここで待っていろ」
「はい」
「いいか、どこへも行くんじゃないぞ」
と、子供に言い聞かせるように、ロゼスは釘を打った。
ロゼスは少し先に見える、船乗りたちが集まっている船着き場まで一人で行った。
パティはロゼスに言われた通り、大人しくその場で待つことにした。船乗りたちが船に乗せるであろう、大きな木の箱を数人で運んでいた。
パティはそれを近くで見ながら、突然、違和感に襲われた。
(これ……まさか……?)
あの時と同じだ。魔物に遭遇する前、息苦しさと、何かに飲み込まれるような嫌な感覚。
(魔物……? だけど、前に会った魔物とは違う)
どう表現したらいいか分からないが、魔物とはまた違った感覚がする。
例えるなら、魔物が大きな一つの塊としか感じなかったが、それは重厚で、温かみさえ感じる塊なのだ。
不思議な感覚だった。深い闇の中にあるのに、生きた魂の熱を感じる。
「天使か。こんなところにいるとはな」
いつの間にか男が目の前に立っていた。
その男は目に感情がなかったが、普通の人間のように見えた。黒いマントを着衣し、無造作に伸びた髪、肌も髪も瞳の色も黒く、特別ではない。体格もごく一般的で、目立った顔でもない。どこにでもいそうな風貌の男だった。
「あなたは、魔族なのですか?」
パティは声を震わせていた。
「そうだ」
魔族の男は、ふ、と笑んだかと思えば、マントの下から剣を取り出し、パティの胸の前にそれをピタリと当てた。
「わたしを……殺すのですか?」
パティは恐怖に震えていたが、声音ははっきりとしていた。
「殺す?」
魔族の男は笑っているようだった。
「それもいいがなあ」
魔族はそう言ったかと思うと、いつの間にかその背後に控えていた手下が、いきなりパティの口を塞いだ。
パティは真っ青になり、咄嗟に暴れた。
船乗りたちは荷物を運ぶためその場から去っていて、ロゼスもいない。助けを呼ぼうにも声が出せない。
「天使の小娘、暴れるな」
魔族がいうと、口を押えていた者の他にもう一人いたのか、その者が大きな袋をパティに被せ、あっという間に彼女を詰め込み、袋の口を縛った。
男の手が離れ、声は話せるようにはなったが状況は悪くなった。息苦しさと恐怖でパティは無我夢中で暴れたが、袋のまま彼女は大きな木箱に乗せられ、蓋をされた。
もう暴れても大声を出しても外には聞こえない。
「助けて、ロゼス!……」
アル……!
もうすぐアルに会えると思っていたのに、パティは一瞬で地獄に落とされた思いだった。
パティの頬を涙がつたった。
しかし、パティは光の見えない袋の内側で、なぜかアルの蜂蜜色の瞳を思い出した。
(大丈夫、きっと、助かる)
わたしは、アルに会う。
ロゼスが、……もしかしたら、アルが、助けてくれる。
パティは都合の良い想像をしながら、揺れる箱の中でじっと耐えるのだった。
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