18 クルミ・レイズン 前半~旅路・港街カイライ~
山脈は越えたが、すぐに陽は落ちたため、二人は野宿することにした。パティは疲れ切っていたので休めるのはありがたかった。
パティは、港街まで繋がっている馬車道の隅の芝生に寝転んだ。
馬車道では魔物が出現する可能性は低いが、それでも、屋根のない場所で眠ることは魔物に襲われる危険が伴う。
パティは横になるとすぐに眠りについたが、ロゼスは腰かけたが眠ることはなかった。
危険がある以上、夜通し見張らなければならない。
そんなロゼスの思いを知らず、パティは無邪気な寝顔を見せていた。
「天使ってのは呑気だな」
寝息を立てて眠るパティを横目に見ながら、ロゼスは聞こえることのない嫌味を言った。
顔だけ見れば、幼さが表立っているが、パティは美しい顔立ちをしていた。
今は眠っているので見えないが、特に、七色にも見える瞳は、強く惹かれるものがある。勿論それは女性としてではなく、単に見たことのない宝石を見るような物珍しさではあったが。
その後二人は魔物に遭遇することなく、朝を迎えた。
「待ってくれ!」
朝早く、通りがかった荷馬車に向かい、ロゼスは大きな声で引き止めた。馬車は少し先で止まった。
ロゼスとパティが駆け寄る。
「カイライまで行くのだろう? 乗せて行って欲しい」
「いいよ。その代わり、礼はもらうよ!」
と、荷馬車の御者ははっきりとした口調で言った。
御者は、十五、六歳に見える少女だった。
耳元には小振りの揺れる石の耳飾りを付け、短めのスカートと長いブーツ、温かみのある素材の鼠色のケープを羽織っていた。
「金か?」
ロゼスは少女に尋ねた。
「見くびらないでよね、金は要らない。あたしは商人だよ、金は正当に稼ぐ。礼は大したことじゃないよ。あたしに、槍での戦い方を教えて欲しい」
少女は、ロゼスを見てにっと笑う。その目はロゼスの背負った大きな槍に注がれていた。
「お前……、たった一度馬車に乗せたくらいで俺から戦い方を乞おうというのか?」
その図々しさはパティといい勝負だ、とロゼスは思った。
「何も、免許皆伝になるほど教えろとは言っていないよ。基本的な扱い方やコツなんかを教えるだけでいい」
ロゼスは、馬車に乗ろうとするパティを制した。
「無理だな」
ロゼスはにべもなく言った。
「扱い方だけというが、自分と同じほどの背丈の武器をどうやって振り回す? お前みたいな小娘に槍は扱えない。それに、槍はゆうに二十キロはある。まず持ち上がらないだろう」
むか、と少女のこめかみが波打つ。
見た目で判断されることはいつものことだが、それでもプライドの高い彼女は腹が立った。
「確かに、あたし向きじゃないのは分かる。でも、やってもいないことを決めつけないでよね」
少女がヒートアップしそうな時、パティのお腹が、ぐううう、と鳴った。
少女は自分と同じほどの背丈のブルートパーズ色の髪の少女を眺めた。
「乗りなよ、困ってるんでしょ。礼のことはとりあえずいい」
少女はむすっとしながら言い、荷馬車の空いている隙間を親指でくいと指した。
ロゼスは、悪いな、と言い、パティは、
「ありがとうございます」
と微笑んで言った。
二人が荷馬車に乗り込むと、御者の少女は鞄の中からパンを取り出した。
「悪いけどそれしかないからね」
少女はぶっきらぼうに言い、二人にパンを投げ、ほい、と自分が飲んでいた水が入った水筒を手渡した。
「食べ物まで、嬉しいです」
パティは喜んで感謝を述べ、パンを頬張った。
(たかがパンだけでそこまで喜ばれても……)
と少女が思うほど、パティは嬉しそうだった。
荷馬車はがたがたと音を立て、走った。
パティはパンを食べ終えると、馬車を操る少女の隣に座った。
「あの、お名前は何というのですか?」
「クルミ・レイズン」
「クルミですね。わたしはパティです」
パティはにこっと微笑んだ。
「あんた……それ、翼?」
コートの膨らみや、はみ出した羽毛を見てクルミは眉を潜めて問う。
「ええ、そうです」
パティはあっさりと認めた。
ロゼスはパティが天使であると告白したことを聞いて溜息をついたが、文句は言わなかった。
クルミは少し驚きはしたものの、天使に会えた喜びという感情はないようだった。
「ふうん、天使ね」
それどころか、その口調には天使を嫌っているような
「クルミはどうして槍を習いたいのですか?」
「あたしは商人なんだ。主に武器を扱っている。一流の武器商人は、あらゆる武器の扱い方についても知らなければならない。あたしの周りには、生憎、槍使いがいなかったんだ。だから少しでも戦い方を知るためだよ」
「そうだったのですね。ねえ、ロゼス――」
パティはさり気なく、話をロゼスに振ろうとした。しかしロゼスはパティの問いかけに聞こえない振りをした。
(せっかく良さそうな槍使いを見つけたのになー)
と、クルミは、荷馬車の中で目を閉じている長身の青年をちらと見た。
「あんたたち、カイライに何の用? やっぱり船で旅に出るの?」
「え、ええまあ」
パティは、アルのことは簡単に口にできないので、口籠った。
「ふうん、天使が旅とはね」
それ以上は、クルミは何も訊かなかった。
パティはクルミに興味を持っていた。
クルミは自分と同じくらいの年の頃だ。背丈も似通っていた。その少女が商人だという。
「あの、この馬車の荷物って――」
「ああ、買い付けたり、売る予定の武器だよ。ま、後で武器にカスタマイズできそうな部品なんかもあるけど」
荷馬車の中には様々な武器や道具があった。剣や、ナイフや、本でも見たことのない、変わった形の武器もあった。
クルミの隣に座り、パティは色々なことを訊ねた。クルミは話すことが好きらしく、パティの問いには何でも答えてくれた。ロゼスは無口なのでパティは嬉しかった。
「さ、着いたよ」
荷馬車はやがて止まった。
その間、クルミと話していたのでパティは退屈しなかった。ロゼスはというと、夜通し見張っていたせいで眠かったので、ずっと眠っていた。
港町カイライへ着いたのは数時間が経った頃だった。
カイライはメイクールの外交が開かれている玄関口だけあり、大きな街だった。
もっとも、他国に比べれば小規模なのだが。
パティは馬車を降りると、今まで嗅いだことのない、塩の香りを嗅いだ。
パティの胸は今まで以上に騒めいた。
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