救出、怪しい男 後半

「ロゼス、ジダン街まであとどのくらいかかるのでしょうか?」


 パティは馬車に乗り込むと、わくわくとした表情をしていた。次に行く街の名を聞いたパティは、早く行きたがっているのは明白だった。


 馬車から見える景色を少し堪能した後に、ロゼスにそう問いかけた。


「ジダン街に着くには数時間はかかるだろう。大人しく今の内に仮眠でもとっておけ」


 ロゼスはそういうと、馬車を操りながらパティに毛布を投げた。


「夜も馬車を走らせるのですか?」

「王子に追いつくには今日中にジダン街まで行かなければならない。随分と遅れたからな。もう陽は落ちたが、今日は夜更けまで馬を走らせる」  


 そう言ってロゼスは更に肌寒くなったために、羽織っていた長いマントを掻き合わせた。

 彼は黙り込み、話すのを止めると馬車を操ることに集中する。


 それから数時間か後、パティはすっかり寝入り、ロゼスもそろそろ馬を休ませようとしていた時だった。

 馬車の前に、急に何かが飛び出し、ロゼスは慌てて手綱を強く引いた。

 馬がひひーん、と鳴き、危うくその何かを轢きそうになった。


(何が飛び出した?)


 ロゼスは馬車を飛び降り、反射的に腰に差したナイフを握り締めていた。パティは馬車の衝撃と馬の鳴き声で目を覚ました。


(まさか魔物か……?)


 夜中であるし、森からは遠いが、まだ街からは離れた場所にいる。魔物が現れてもおかしくはない。

 槍を持って降りれば良かったと後悔するロゼスだったが、そこにいたのは魔物ではなく、人間だった。

 しかし闇も深い時刻、追剥や山賊という可能性もある。油断はできない。


「お前は何者だ?」


 ロゼスは、肩より少し短めに切り揃えられた髪をした小柄な男に言った。

 ロゼスがぎろりと男を睨みつけ、ナイフを手にしていたので、その男はびくりと体を震わせた。


「お、おやめください。僕は怪しい者ではありません!

ただ、助けてもらいたくて……」

 若い男は、恐ろしさに震えながら言った。フード付きコートを来た男は、ぺこりと頭を下げた。


 男はまだ年若い痩せた優男で、身なりは貧相だった。薄いフード付きコートを羽織っているものの、ぼろぼろのズボンを履き、シャツは薄汚れ、なぜか靴を履いていなかった。


「旅人様。僕は一文無しでありまして」

 男はコートを捲ってその下に何も持っていないことを示した。


「この通り、着ているものもこのような格好で、このままではもう、闇夜に魔物に襲われるか、凍え死ぬしかないのです。どうか、馬車に乗せてくださいませんか? それか、憐れみを、僅かでもー」

 ロゼスはナイフを腰に戻し、ため息をついた後、


「馬車の通り道だ。邪魔だから早くどけ」

 そう言って、つまらんことに時間を取った、とでも言うように、再び馬車に乗り込もうとする。


「そんな、殺生な!」

 男が芝居がかった声でいい、ロゼスを止めようとした時、

「本当にあなたはなんて冷たい方なのですか」

 ロゼスの背に、怒ったようなパティの声が飛んできた。


 馬車の窓から覗いたパティが、膨れっ面をしている。

「パティ、お前は黙っていろ」

「嫌です。ロゼス、この方を助けてあげましょう。それに馬車にも乗せましょう」

 パティは馬車を降り、にこやかに言った。


 ロゼスは、パティがいうと思ったことをそのまま言ったので、呆れ顔をし、腕を組む。


「憐れみも差し上げましょうよ。この方、こんな格好で困っています」

「パティ、お前はこいつがどういう理由でこんな格好でいるのか、金を持っていないのか訊きもせず、こいつに金を渡せというのか?」

 ロゼスは説明するのもうんざりだったが、少し大人になった彼は、怒鳴らずに言った。


「それは何か事情があったのでしょう」

「ああ、事情ならあるだろうな。ここはもうジダン街の数キロ手前だ」

 ロゼスは辺りを見回し、前方――、遠くの方に明かりがあることを確認した。


「さっきは気づかなかったが、この辺りはもう追剥や魔物はいない。するとこいつが一文無しなのは、ジダン街のカジノで有り金を使い込んだからだろう」

 男はロゼスの蔑むような目に、顔を下に向けた。


「カジノ?」

「金を賭けて勝負をする場だ」

 ジダン街はメイクールの中でも豊かな町だが、その収益はほとんどがカジノや酒代によるものだった。ジダン街は、メイクールでは唯一、カジノのある街で、遊び人や酒飲みがこぞって集まって来る。


「そこへ、行ったのですか?」

 パティが男に訊ねると、男は嘘は意味がないと悟り、微かに頷いた。

「僕が愚かでした。あんな所へ行って、帰れなくなるほど使い込むなんて……。ですが、履いていた靴まで奪うなんて、まるで山賊のようではありませんか!」


「同情する気にはなれんな。パティ、馬車に戻れ。出発する」

 男の大袈裟な言い方も気に入らないロゼスは、冷たくあしらう。

「ねえ、ロゼス。どんな理由があっても、困っているのは確かです。この方を馬車に乗せないと、わたしはここを動きません。金貨を持っているのでしょう? 少しくらいあげてもいいのではないですか?」

 パティの言い分に、ロゼスのこめかみがひくつく。彼はもう我慢できなかった。


「お前は自分が金を持ってる訳でもないくせに、何を言っている! こんな奴にただで金貨をやるほど俺はお人好しじゃないぞ」


 ロゼスの持っている金貨はメイクール国王が旅の資金にと好意で渡してくれたものだ。

 だがそれをパティに言えば、こいつに恵んでやるのも自分に使うのと同じことだ、とか何とかいうに違いない。パティには話すまい、とロゼスは思った。

 パティは分かっていないのだ。僅か、二、三枚の金貨を手にするには、どれだけの苦労が必要なのかということを。


「わかりました。お金は渡さなくてもいいです」

 意外とあっさりと折れたパティは、しかしまだ言いたいことがあった。

「でも、馬車には乗せてあげましょう。ね、ロゼス、お願いです!」

 これはもうてこでも動きそうにないな、とロゼスは思った。ロゼスはパティに出会ってから何度目かになる、深いため息をついた。


「馬車に乗せるだけだぞ」

 ロゼスは、パティの思惑通り折れたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る