11 救出、怪しい男 前半
無意識にパティは倒れたイリヤを庇う格好で彼に覆い被さっていた。
魔物は笑いながら長く尖った爪の生えた腕を振り上げ、パティ目がけて振り下ろす!
その時、ひゅん、と風を切り裂く音が鳴った。
大ぶりの槍が魔物の背に突き刺さった。
魔物は腕を引っ込め、背後の茂みを睨んだ。
「だれだあ!」
魔物は喉が潰れたような声で叫ぶと、茂みの奥から鋭いグレイ色の瞳の男が現れた。魔物を睨むメイクールの若き部隊長ロゼスは、次の攻撃のために身構えていた。
「ロゼス……!」
ロゼスはパティの声には答えず、じっと魔物を見据えていた。
「おまえがこれを刺したのかあ!」
魔物は激昂し、背中に刺さった槍を引き抜く。
魔物の血が辺りにぼたぼたと飛び散った。しかし魔物は弱ることなく、叫びながら槍を手にロゼスに向かって行く。
ロゼスは冷静に腰に差してあったナイフを抜いた。隠し持っていた武器だ。
魔物が槍を振り下ろすと、ロゼスは小さなナイフで攻撃を受け止める。
ガキッ!
小さなナイフと槍では明らかに分が悪いが、ロゼスは引けを取らなかった。
魔物は更に槍を振り回し、攻撃を繰り出すが、ロゼスはそれを紙一重で避け、一向に当たらない。
「すばしっこいやつ!」
疲れのせいか、血を流しすぎたせいか、息を乱した魔物の隙をついて、ロゼスはその首筋に小さなナイフを突き刺した。
「があ……」
魔物は最後に断末魔をあげ、倒れた。
ロゼスは落ちた槍を拾い、再び背に収める。
ロゼスは魔物を憐れむことも疎むこともない顔をしていた。その感情の見えない顔が、彼が魔物を倒すことがごく当たり前の作業なのだとパティに実感させた。
ロゼスはゆっくりと震える二人に近づいた。
パティはロゼスが自分たちを助け、戦いを終えてこちらに歩いて来るのを見ても、それが現実なのだと実感できなかった。
その時のパティにできたことは、ただ、ロゼスをじっと見つめることだけだった。
「終わったぞ」
ロゼスは倒れたイリヤを起こしてやった。
「こいつ死んだのか?」
イリヤは倒れた魔物を見て、まだ怖がっている様子で言った。
「ああ」
イリヤの問いに、ロゼスは短く答える。
「一度目の槍を受けた時点でもう勝負はついていた。ナイフを刺した時は大した速さでも力でもなかった」
「そ、そうなのか?」
あの激しい戦いがそうだとは信じられなかったが、イリヤは無理に納得した。
「そいつを連れて帰ってもいいんだぞ、イリヤ」
倒れた魔物を見つめるイリヤに、ロゼスは嫌味っぽく言う。
「……いや、いいさ。オレの手柄じゃない」
イリヤは恥ずかしそうに顔を背けた。
ロゼスは、まだ口を開かない天使の方を向いた。
パティはもうその瞳にロゼスを映していたが、まだ呆然と座り込んでいた。
「パティ、大丈夫か?」
ロゼスは自分でも驚くほど優しい響きの声でそういうと、その場に膝をつき、パティの顔を覗き込んだ。
パティはその場にへたり込み、未だ動けない。目の前で何が起きたのか、理解していないかもしれない。
「――どうして、来てくれたのですか?」
ようやくパティは微かな震える声を発することができた。しかしその顔は蒼褪め、未だ表情がなかった。
「お前を王子のところへ送るのが俺の任務だ。こんなところで死なせる訳にはいかない」
「ロゼス……助けてくれて、ありがとうございます。わたし、怖かった……」
パティがか細い声で言うと、その頬を、ぽろぽろと涙が伝い降りていった。
ロゼスは涙を流すパティを見て、ほっとした。ようやくその顔に表情が戻ったからだ。ロゼスにパティを憐れむ心が芽生えていた。憐れみ、懺悔する思いが。
彼はその思いのままに、パティを優しく抱き締めた。父親がそうするように。
「怖い思いをさせて、悪かった。もうお前を危険な目に遭わせない」
その言葉に、パティはふと我に返ったように、顔をずいとロゼスに近づけた。
ロゼスは、急に顔を近づいてきたパティに、焦った。
「どうしたのですか、ロゼス? まるで別人みたいです」
「う、うるさい!」
ロゼスは顔を真っ赤にして、いつものように怒鳴った。
三人が村の入口に戻ると、ミーナが駆け寄って来た。
「イリヤ! お姉さん、旅人様も!」
ミーナは安堵の表情で、涙を浮かべていた。
「無事だったのね、良かった、本当に!」
どん、と抱きついてきたミーナに、パティは笑顔を向けた。
「ミーナ、オレ……嘘をついていた。魔物に襲われたなんて。ごめん」
イリヤが口を開く。しかしミーナは何も言わなかった。
「ミーナ、どうか、イリヤを助けてあげてください」
沈黙が流れる中、パティが言った。
「助けるって、そんなの、無理だよ。私お金とかないもの」
ミーナの言葉にパティは頭を振った。
「そうではありません。助けるというのは、お金を差し出すことではないのです」
「それじゃあ、どうすればいいの?」
「お話をしたり、遊んだりするということです。イリヤには友達が必要なのです。嘘をついたのも、友達が欲しかったからです。友達になること、それがイリヤを救うということではないでしょうか」
パティは真っ直ぐな澄んだ瞳できっぱりと言った。その優しく全てを許し包み込むような微笑みに、ミーナは初めて、パティは天使なのだと実感した。
ロゼスは隣でパティがミーナに話すことを聞くともなしに聞いていた。
ロゼスは不思議に思った。
なぜこの娘には解るのだろうか、と。
つい先刻、天から降りたばかりの世間知らずの天使が、人間社会で生きてきた一人の少年の欲しいものが解るのだろうか。
(パティ、お前も同じなのか?)
幸福の象徴の天使であるパティが、自分たちと同じように悩み、苦しんでいたのだろうか。
「それじゃあね、天使のお姉さん、それに旅人様」
ミーナに肩を借りたイリヤは、よたよたと歩き出していた。
「一つ、訊いていいか?」
ロゼスの問いかけに、歩き出していたパティが振り向く。
「お前はなぜ、天世界から降りたんだ?」
「わたしはもうずっと前から地上へ降りたかったのです。きっとそのために、生まれたのでしょうね」
パティは考える間もなくそう言った。
天使の少女は明るい顔をして、また前を向く。
ロゼスはパティの周囲に微かな光が灯ったような錯覚を起こした。
それは彼女の心に宿った光か、それとも、パティの瞳に映る明るい未来を映したものか。ロゼスはその光の行く末が見てみたいと思った。
そして彼女の後をゆっくりと着いて行った。
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