12 カジノでの出会い 前半~旅路・ジダン街~

「初めまして、優しく、美しいお嬢さん。僕の名はエリオットと言います」


 見乏しい格好に似合わず、エリオットは紳士だった。


「わたし、パティと申します」

 パティはスカートの裾を持ち、礼をした。

 パティはカイルに無闇に自分が天使だと名乗ってはいけないと言われていたので、天使だとは言わなかった。


 パティはロゼスをちらと見るが、彼は口を開く様子もないので、

「こちらの無愛想な方はロゼスです」

 と代わりに言った。

 ロゼスはじろりと一度パティを睨み、しかし何も言わなかった。


 馬車はすぐにジダン街に到着した。

「ジダンから先は馬車の通れない道が続く。これからは歩いて港まで行く」

 ロゼスはぶすっとしたまま説明し、馬車を町の入り口に止めた。


 ジダン街は小さいが華やかな街で、既に夜も深いが、ほとんどの店は灯りが付いており、人々がそこかしこで踊ったり歌ったりしていた。


「今日はお祭りでしょうか?」

「そうではありませんが、この街はいつだってお祭り騒ぎなんですよ。いい街でしょう!」

 なぜかエリオットは自慢気に言った。


(無一文になるまで金を使い込んだくせに、よくいう)


 ロゼスは内心、呆れていた。


「ああ、この先に宿屋がありますよ。どうですか、そこで今日はお休みになられては?」

「……何を企んでいる?」

 ロゼスは凄みをきかせると、エリオットはとんでもない、と首を振り、肩を竦めた。


「何も企んでなどおりませんよ! ただ僕は馬車に乗せてくれた礼に良い宿屋を教えて差し上げただけです! あそこは安くて評判も上々の宿屋なのですよ」


「そうですよ、ロゼス。考えすぎです」

 ロゼスはまだ不審そうにエリオットを睨んでいたが、パティが口を挟んだ。

「エリオットは親切で言ってくださっただけなのですから。それにわたしたちはこの街のことは解らないですから、せっかくなので、そこに泊まらせていただきましょう」


 ロゼスは気が進まなかったが、これから他の宿を探すのも面倒なため、反論しなかった。

 ロゼスは宿屋に一人で向かうことにした。空き部屋があるかどうかを訊くのと、馬車を城に戻して貰うよう頼むためだ。


「旅人様、荷物は置いて行かれた方がいいですよ。宿がいっぱいなら無駄足になりますから」

 その際、エリオットはロゼスにこう言った。

「僕が見ていますから、行って来てください」

 確かに槍は重たい。宿屋は目の前なので、まあ心配いらないだろうと、エリオットの言うことに従い、槍は置いて宿屋に向かった。

 ロゼスは槍を置いた時に、エリオットがすっと腰に下げた布の袋を取ったことに気付かなかった。


「時にパティ様」

 パティと二人になると、急に、エリオットは神妙な面持ちで語り始めた。 


「実は、僕には、病に伏した母がおりまして、僕の稼ぎでは薬もまともに買えない始末です。至らない自分が悪いのですが、何とか薬を買って帰りたかったがために、僕は、いけないと解っておりましたが、賭け事に身を投じてしまいました」

「そうだったのですか」

 パティはエリオットを哀れに思い、同情の声を漏らした。


「挙句、少ない金を全て失い、着ている服や靴まで賭けの対象にし、このような有様と成り果てたのです」

「それはお気の毒に」

 すっかりエリオットの話を信じ込んでいるパティは、こくこくと頷いた。


「何とかして差し上げたいのですが、わたしはお金を持っていないのです」

「そんな! そのお気持ちだけで僕は幸福な気持ちになりました」

 エリオットはパティの手を取り、潤んだ瞳で彼女を見つめた。いかにもうさん臭い芝居がかった口調だが、パティはまるで疑っていない。


「パティ様、これはロゼス様にお預かりしたのですが、返しておいてください」

 エリオットがパティに差し出したのはロゼスが持っていた布の袋で、それに金貨が入っていることをパティは知っていた。

 パティはエリオットからそれを受け取ると、じゃら、と音がした。中を覗くと、多くの金貨が美しい光を放っていた。


「エリオット、金貨があります! これでお母さんを助けてあげられますね」

 パティはエリオットの手を握り、にこっと笑んで、布の袋の中を漁り始めた。

 エリオットは泣きそうな顔をしながらそれを横目に見つめ、しめしめ、と喉の奥で囁く。

 その金貨はロゼスが王より預かった全財産だった。ロゼスは迂闊だった。エリオットのような男の前では油断してはいけなかった。


「エリオット、この金貨を全部持っていってください」

 エリオットでさえも、パティのこの言葉には驚かされた。パティはその布袋ごと、エリオットに差し出したのだ。

「ほ、ほんとうに、全部いただけるのですか!」

「ええ、勿論です。どうぞ、持って行ってください」

「あ、ありがとうございます! あなたはまるで、天使のような方だ!」


 パティは天使、という言葉にどきっとし、少し肩を震わせたが、エリオットはそんなことは気にせず、

「僕はこれを母のところへ持って行きます」

 とだけいい、風のような速さでさっさとパティの前からいなくなってしまった。

「あんなに喜んで。エリオットは早くお母さんに薬を持って行きたいのですね」

 パティは良いことをしたと思った。


 かくして、およそ数分後、恐ろしい出来事が待っていた。


 宿屋で話をし、金がないことに気付いたロゼスはエリオットの仕業だと確信し、慌てて戻ってきた。しかし時既に遅し、エリオットは影も形も見えなかった。


「あいつはどうした?」

「エリオットは、病気のお母上の元へ帰りました」

 パティは上機嫌で言った。

「……は?」 

 何を言っているんだ、と思ったが、それよりも金貨だ。


「パティ、あいつは金を持っていなかったか? 盗まれたようだ」

「盗んだなんてことないです。あの金貨はエリオットにわたしが差し上げたのです」

「……差し上げた、だと?」

 ロゼスはパティにすっと目を走らせ、低く呟く。

 パティは途端にぎくりと顔を強張らせた。


「あ、いえ、あの……」

 パティはしどろもどろになり、徐々に恐ろしい顔になっていくロゼスから顔を逸らした。


「おい、パティ! はっきり言え。金貨はお前がやったのか?!」

 すでに血管の切れたロゼスは、パティの肩をがっしりと掴み、力任せに揺らして怒鳴った。


「はい、袋ごとエリオットに差し上げました。エリオットのお母さんはご病気で、どうしても金貨が必要だったのです」

 パティはロゼスに体を揺らされ、ぐらぐらする頭を押さえて言った。


「な、んだと……!」

 ロゼスの手から力が抜け、彼の声は掠れていた。

「パティ、お前、袋ごとってまさか――」

「ええ、全部差し上げました。エリオットはとても喜んでいました」

 パティは徐々に顔色の悪くなるロゼスを不思議に思いながら、しれっと言った。


「お、お前は……!なんて馬鹿なんだ! しかも金貨を全部やるとは、大馬鹿だ!」


 ロゼスは血管の切れそうな顔で怒鳴った。


「で、でもロゼス。人助けをしたのですよ。それに、ロゼスはあんなに金貨を持っていたので、まだあるのだと思いまして――」

「おまえ……!!!」


 ロゼスはこんなに腹が立ったのは生まれて初めてだと思いながら、さらに鬼のような形相へと変貌していた。だがパティはロゼスが怒る理由がよくわからないまま、彼の唾がかからない距離まで恐る恐る後退あとずさる。


「あんな奴の言うこと、嘘に決まっているだろう!」

「嘘? でも、エリオットは――」

「いかにもあいつの言いそうなことだ! 母親が病気なんてな」

 ロゼスは聞く耳を持たず、パティの言うことを遮った。


「お前もお前だ。調子のいい口車に乗って金貨を全部やるとは世間知らずにも程がある! あの金貨は王が俺を信じて託された大事なものだ。金貨は降って湧いてくるものじゃない。あれだけの金を得るのはお前が懸命に働いても得るのは数年はかかるだろう!」


 ロゼスは唾を飛ばしながらパティに怒りをぶつけてみたが、自分にも非があることは解っていた。

あの怪しい男と二人きりにし、しかも旅の資金を知らずの内に取られていたのだ。


「そんなに大切なものだったのですね。……すみませんでした……。ロゼス、今からエリオットに会いに行って返してもらいましょう」


 言いたいことを言い切ったことでロゼスの怒りは収まりつつあり、彼はパティに申し訳ない気持ちになっていた。

 パティのしゅんとした顔から目を逸らし、とにかくどうにかしなければ、と思考を巡らす。

 

 エリオットがパティに一度金を渡し、自分に譲るよう仕向けさせたのは盗んだものではなく、貰ったものだと主張するためだ。エリオットは何の罪も犯していないことになる。

 それにあの詐欺師がそう簡単に見つかるだろうか。


「そうか。あいつはすぐに見つかるかも知れないな」

 ロゼスは顎に手を置き、静かに言った。


「あれだけの大金を持っているエリオットは、すぐに使いたがるだろう。―この街のカジノでな」


 ロゼスは口の端を持ち上げ、パティを振り返った


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