9 嘘つきイリヤ 後半

 その少し前、ロゼスは二階の一部屋から出て、朝食の場に降りて来ないパティをひたすらに待っていた。

 

 陽が昇る頃に出掛けると言ったのに、あの鬱陶うっとうしい天使はすっかり陽が昇った今もまだ寝入っているのか?、とロゼスは苛々として、足でダンダン、と床を叩いていた。


「女将、悪いが一緒に来た娘を起こしてくれ」


 ロゼスは不機嫌にそう言ったが、女将は何言ってるんだい、と口をへの字に曲げた。


「あの子だったらとっくに出掛けたよ」

 ロゼスは知らず、間の抜けた顔になった。

「いつだ? どこへ行ったんだ?」

「あんたが起きる少し前かね。そうそう、イリヤの家はどこかって訊いていたよ。イリヤは朝早くから畑仕事をしているだろうって言って、すぐにすっとんで行ったよ」

 ロゼスはぎゅっと拳を握った。


(あいつ……、勝手なことを!)


 ロゼスは鬼のような形相で宿屋を後にした。



「……お前、本当に天使か?」

 暫く茫然としたイリヤは、掠れた声で言った。


「ええ、本当です。あと、私の名はパティです」

 パティは躊躇なく答え、フードコートの両サイドをそれぞれ摘み、礼をした。

「ふうん。普通の人間みたいに見えるな」

 イリヤはパティをじろじろと見た。

 コートを着た背中が膨らんでいるが、それ以外には何の変哲もないようだ。


「本当です。ここへ来た時も飛んで来ました。イリヤは畑仕事に夢中で気付かずにいましたが」

「ふうん。まあいいさ。ほら、これ食えよ」

 と言って、イリヤは持ってきたバスケットをごそごそと漁り、パティに野菜とチーズを挟んだ二枚のパンを渡した。


「いただいていいのですか?」

「やるって言ってるんだ、食べろ」

 パティはイリヤと並んでサンドイッチを食べ始めた。イリヤは少し嬉しくなった。 

 いつも一人だったので、人がいることが嬉しいのだ。

 その二人の前に、来客が訪れた。


「こんな所で何で油を売っている?」

 後ろからパティの肩にポンと手を置き、男はずっと走って来たためにぜいぜいと息を乱していた。


 少しして息が整った男は、ぎろ、とパティを睨みつけた。パティはサンドイッチをはみつつ、立ちはだかったロゼスを見上げた。


「ロゼス、あなたも食べますか?」

 微笑んでいうパティに、ロゼスの血管がひくついた。


「いい加減にしろ! 勝手な行動をするなっ!」


 畑にロゼスの罵声が響き渡り、その迫力にパティとイリヤの肩が大きく揺れた。

 イリヤの目の前で、パティはサンドイッチを片手に持ったまま、突如男に強引に引っ張られて行ってしまった。

 ぽかんとするイリヤから嵐のように去って行く二人を見送ると、少年に急に寂しさが襲いかかる。


(なんだよ。……友達になれるかと思ったのに)


 イリヤは空を見上げ、再び畑仕事に取り掛かった。

 彼は夕方まで懸命に働き、日暮れが近づいた頃、イリヤの顔が輝き始めた。

 イリヤは農具をその場に置き、疲れを感じさせない勢いで走り出した。

 

 夕刻近くになり、学校の終わった後、ミーナの家――、宿屋の前にある広場に集まる子供たちは、今日もいつもと同じにそこで遊んでいた。

 四人の子供たちはイリヤに気づくと、顔を合わせないようにそっぽを向いた。


「なあ、今日は何して遊ぶんだ?」

 イリヤが訊いても子供たちは返事をしなかった。

「おいってば! 何だよ、まだ怒っているのか?」 

 イリヤは悲しくなって叫んだ。

 嫌われることはあっても、返事を無視されるのは初めてのことだった。


「もう話しかけるなよ、イリヤ」

 茶髪の少年が言った。

「そうだよ。私たち、もうイリヤとは遊ばないから」

 ミーナが言い、子供たちはつんと顔を背け、そのまま歩き去ろうとした。

「何でだよ?」

「何でって、当たり前でしょ。嘘つきイリヤなんかとはもう遊ばない」

「そうそう、遊ばないし話さないさ」

 イリヤは焦って、子供たちの前まで走って行った。


「嘘なんかついていない、全部本当だ! 魔物に遭ったのは本当だ!」

「まだそんなこと言っているよ」 

 子供たちはせせら笑った。

「こんな奴ほっといて行こうぜ」

 太った男の子を先頭に子供たちは歩き出し、イリヤに背を向けた。

「待てよ、本当だって証拠を見せるから!」

 子供たちは互いに顔を見合わせた。

「証拠?」

「そんなもんある訳ないじゃん。どうせ嘘だろ」

 茶髪の少年は呆れたように言った。


「本当だ! 明日の朝、またここに集まろう。魔物を連れて来てやる」

「魔物を連れて来るって?」

 茶髪の少年は眼を丸くした。

「そんなことできる筈ないだろ」

 太った男の子は呆れたように言い、子供たちはイリヤを見下すように見た。 


「本当に連れてきたら、また遊んでくれるか?」

 イリヤのあまりに真剣な様子に子供たちは顔を見合わせ、頷いた。


「本当に連れてきたらね。どうせ嘘だろうけど」

「きっと連れてくるからな!」

 イリヤは顔を綻ばせ、約束だ、と叫び、子供たちに背を向け、走り去って行った。


 イリヤが走り去った後に残った子供たちは気まずい空気でいた。

「……どうする?」

 子供たちは罪悪感に襲われていた。

「イリヤ、まさか森に行くんじゃないよね?」

 背の高い女の子は不安な顔をしていた。


 森とは、村の西側にある、広大な敷地を誇る〝スラナの森〟だ。

 背の高い木々が生い茂り、いつも暗く湿っている。薬の材料やイノシイなんかも採れるが、敷地が広い分、魔物の棲み処にもなっている。王都から来た狩人や腕に覚えのある者はたまに森へ入るが、スラナの村人は誰もその森には近寄らない。


「そんなことする筈ないよ。イリヤだって森がどんなに危険かは知っているよ」

 太った男の子が笑って言った。


「もしイリヤが森に行ったとしてもあいつが勝手にしたことだ。気にすることないさ」 

 茶髪の男の子は強気に言ったが、内心は、びくびくしていた。それは自分たちは悪くないという言い訳に過ぎなかった。

「でも……」

 ミーナは俯き、また他の子供たちもそれ以上何も言えなくなってしまった。

子供たちは無言のまま、帰って行った。



 パティはミーナにもイリヤにも別れを言えないまま村を出ることが嫌だったが、これ以上ロゼスを怒らせてはアルのところへ連れて行ってくれないかもしれないと思い、ミーナを待つことを諦め、大人しく馬車に乗り込もうとした。


「女将、世話になったな」

「お世話になりました」

 宿屋の女将にパティとロゼスは礼を言い、パティはお辞儀をした。

「パティ、気を付けるんだよ」

「ええ、有難うございます」

 そうして二人は馬車に乗り込み、走り出してすぐのことだった。

小さな女の子が村の入口で俯きがちにとぼとぼと歩いていた。


「止めてください!」

 パティは馬車を走らせていたロゼスに向かって叫んだ。

 ロゼスはパティの大声に驚いて思わず馬を操る手に力を込め、手綱を強く引いていた。

 馬がいななき、急に止まった。

 ロゼスが文句をいう前にパティはすぐに馬車を降り、小さな女の子に駆け寄った。


「やっぱり、ミーナですね」

 パティは微笑み、ミーナの傍に寄った。


「まだお別れを言ってなかったから、会えて良かったです」

 ミーナはパティの優しい声を聞くと、堪えていたものが噴き出すかのように、涙を零していた。

 後から馬車を降りたロゼスは、パティを怒鳴りつけようと思っていたが、何も言えなくなった。

小さな女の子がパティに抱きついて、わんわんと泣いていたのだからー。

 パティは突然ミーナに泣かれて戸惑った。

 しかし幼い女の子の心を落ち着かせようと、パティの手は泣きじゃくっているミーナの背中を優しく摩っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る