9 嘘つきイリヤ 前半~旅路・スラナ村~

 一時は落ち込んでいたパティだったが、馬車が止まると顔を上げ、跳ねるように外へ飛び出した。それを見たロゼスは思わず舌打ちしそうになった。


「スラナ村ですね」

 そこはパティが目覚めたときにいた村だ。小さい村だが活気があった。


「ここにアルがいるのですか?」

「いや、違う。そんなに早く追いつく筈がないだろう」

 ロゼスは当然だとばかりに言った。


 城から派遣された御者とはそこで別れ、ロゼスは馬車を宿の前に付ける。

「今日はもう陽が暮れる。今夜はここの宿で泊まり、明日の朝出発する」

「そうですか……。ミーナのところに泊まるのですか?」

「ミーナ? 村の宿屋の娘か? ああ、そうだ」


 アルに会えるのがまだ先なのは残念だったが、またあの可愛い人間に会えるのだと思うとパティは嬉しくもあった。


 宿屋の前の広場に数名の子供が集まっていた。

 子供たちは四人集まって輪を作っていた。


「また嘘つくのかよ、イリヤ!」

「いい加減にしろよな!」

 子供の群れは中央にいる一人の少年に向かって罵声を放っていた。そこには他の子供たちよりも痩せて薄汚れた服を着た、ぼさぼさの髪をした少年がいた。


「嘘じゃないよ、本当だ!」

 イリヤは威勢よく怒鳴った。

 顔も土に塗れ汚れ、数日風呂に入っていないのか、少し臭った。イリヤという名の少年はライラック色の眼で周囲の子供たちを睨んでいた。

「どうしたのでしょう?」

 パティは子供の群れにずんずんと進んで行き、その輪に入って行く。

「おい!」

「あの、何をしているのですか?」

 ロゼスが止めるのも聞かず、パティは近くの女の子に訊いた。


「お姉さん、だあれ?」

 突如ひょっこり顔を出したパティに、背の高い女の子が言った。

 年の頃はミーナより一つ二つ上くらいだ。

 四人の少年少女に取り囲まれた薄汚れた少年を見つけ、パティは首を傾げた。

 その中の一人にミーナを見つけ、パティはミーナ!、と嬉しそうに言った。けれどミーナは周囲の子供たちとバツが悪そうに顔を見合わせた。


 中央にいたイリヤは、立ち上がってパティの肩を押した。

「邪魔だ、どけよ」

 パティがバランスを崩し倒れかけたところに隙間ができ、そこからイリヤは輪を抜け出し、走り去った。


「何かあったのですか?」

「イリヤがまた嘘つくから、少し懲らしめようとしただけだ」

 茶髪の少年が俯いて言った。

「そうだよ。イリヤはいつも嘘ばっかりつくんだ。今だってそうだ。魔物に襲われたなんていうんだ」

「魔物!……魔物がいるのですか?」

 顔色を青くし、パティは身震いした。


「平気だよ。イリヤの嘘だもの」

 背の高い女の子が言った。

「そうだよ。イリヤは魔物に襲われたとか、追いかけられたとか、しまいには棍棒を持って追いかけてやったなんていうんだ」

 今度は少し太った少年が腕を組んで唇を尖らせた。

 子供たちはイリヤの悪口を言い合った。


 気がつくと、既にロゼスの姿は宿屋の中へ消えようとしていた。

 子供たちの揉め事には関わらず、宿に泊まる手続きをしに行ったのだ。


「ねえお姉さん、またうちに泊まるの?」

 瞳を輝かせて他の子より少し小さな少女、ミーナは訊いてきた。

 パティがはい、というと、ミーナは嬉しそうに笑った。

 ミーナは愛らしかったが、悪口を言っていた時の彼女は嫌な感じがした。ミーナを嫌いになった訳ではないが、人には色々な面があることがパティは少し分かった。


(イリヤは本当に嘘をついているの?)


 パティはイリヤのことが気になっていた。

 ミーナに手を引っ張られて宿屋へ入って行くパティは、しかし彼女から温もりを感じてはいなかった。



「さあ、お食べ」

 パティとロゼスの二人の前に、女将は湯気の立った食事を運んできた。

 ミーナも手伝い、皿を並べる。

 パティのスプーンはしかし、止まっていた。パティは先ほど見た少年イリヤのことが頭から離れなかった。


「ロゼスは魔物を見たことはありますか?」

 突如問われた内容に、野菜と一緒に煮込まれた魚を口に運ぼうとしていたロゼスのフォークが止まった。


 ロゼスはパティの問いに眉根を寄せた。

 思いもよらないことを言われ、多少驚いていた。

「ああ、何度かはな」

 パティとの会話には積極的でない彼だが、一応、返事はする。


「わたしは魔物を見たことがありません。天の天使たちのほとんどが魔のものを見たことがないのです。決して近づいてはいけないと言われています」

「俺たち人間もそうだ。魔のものには近寄らない。できうる限りな」

「イリヤは魔物を見たことがあると言いました。魔物を追いかけたことがあるというのが本当でしたら、魔物を恐れてもいません」

「魔物を恐れない子供などいない。もしいるとすれば、その子供は心を失くしている」


(心を失くしている? それはきっとイリヤには当てはまらない。それならイリヤはやっぱり嘘をついているの?……どうして?)


「ロゼス、あなたは、魔物が怖いですか?」

 

 ロゼスはフォークを止め、斜め上を見上げ少し考えた。


(怖い?)


 怖いか怖くないなどロゼスには関係がなかった。

 魔のものとは、国の平和のためにただ立ち向かっていくべき者だ。


「ああ、怖いな」

 しかしそれは自分が攻撃されたり傷つくからではない。死を恐れているのでもない。

 メイクール国の平和やそこに住む人々――、というか、イーシェアという名の巫女を失うのが怖いからだった。


「イリヤは可哀そうな子なんだ。だからみんな嘘をつくあの子を許すんだよ。仕方ない、とね」

 女将が横から口を挟んだ。腰に手を置き、パティたちを見ず、憐れんでいる表情をしていた。


「恵まれない子でね。イリヤは両親がいなくて、年老いたお婆さんと二人で暮らしているんだ。けどそのお婆さんは足腰が悪くて、畑を持っているんだけど、働けずにいて、イリヤは学校にも行けずに一人で畑仕事をして、何とか食べているんだよ」

 女将は悲しい顔をしていたが、どうしようもないとでも言いたげな口調だった。


 パティはよく分からなかった。困っているなら、どうして誰も助けてあげないのだろうと思ったのだ。


「皆、自分の暮らしに精一杯なんだ」

 ロゼスはパティの考えを悟ったように、息を吐きながら言った。それは天使の少女に諭すような口振りだった。



 翌朝早く、イリヤは起きた。

 まだ陽は昇っておらず、外は暗い。だが少年はもう出掛けなければならない時刻だった。


「ばあちゃん、行ってくるよ」

 イリヤはベッドに横たわった老女に明るく声をかけた。老女は顔を横に向け、申し訳なさそうに頷いた。

 イリヤの祖母ハンナは、足腰の痛みのせいでもう長いこと家から出れず、家の中を少し歩くのも辛いほどだった。

 息子夫婦の残した幼い孫に頼るばかりで本当に申し訳ないが、イリヤだけが頼みの綱だった。

 イリヤはハンナにとって、格別良い子だった。

 朝から陽が暮れるまで畑仕事をし、その合間にハンナの様子を見に家まで帰って来る。文句一つ言わず、仕事と祖母の世話を日々繰り返していた。


 数時間が過ぎ、イリヤは太陽の位置を確認した。

 少し休憩をしようと、畑の端まで来て、鍬を横に置いた。

 色褪せた手拭いで汗を拭きとり、顔を正面に上げる。


「おはようございます」


 すると突然、風のような軽やかな声が響いた。

 そこにはいつの間にか立っていた、ブルートパーズ色の短めの髪をした少女が笑いかけている。

 イリヤの目の前に立っていたのは、昨日自分が突き飛ばした、幾つか年上であろう少女だった。

 少女の眼は七色に見える不思議な煌めき持ち、陽の光を受けていた。


「お前、昨日の……」

「わたし、パティと言います。あなたはイリヤですね」

「何しに来たんだよ。昨日のことなら謝らないぞ。お前があんなとこに突っ立ってたのがいけないんだ」

 イリヤはそっぽを向いて、そっけなく言った。


「わたし、あなたにお訊きしたいことがありまして」

「何だよ?」

「魔物に遭ったというのは本当なのですか?」

 イリヤはパティを睨んでから、少し考えて、

「何でお前がそんなことをいうんだ?」

 と逆に訊いてきた。


「わたしは魔物を見たことがないのです。とても怖いですけれど、魔物がどんなものか知りたいです。それに、それが本当でしたら、村のみんなに知らせなければいけないでしょう?」

 パティはイリヤに近づき、彼が座っている石の横に腰を落とし、首を傾けた。それは愛らしい仕草だった。


「変なやつだな。みんなオレのことなんか嫌っているし、近寄りたがらないのに」

 イリヤは寂しそうに言った。


「お前どこから来たんだ? 余所よそ者だな」

 パティは人差し指を空に向けた。

 イリヤが不思議そうにその指を見ると、パティはにっこりと笑んだ。


「天から、降りて来ました。わたし天使です」

 

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