8 旅立ちと、ロゼスの本音
ロゼスは兵士の宿舎で準備を整えながら、先ほどのことを思い返していた。
それはパティを紹介される少し前のことだ。
「ロゼス、お前に任務を命ずる」
カイルが改まってそう言ったので、ロゼスは背筋を伸ばした。
警護部隊隊長という立場であり、全ての兵を取り仕切る特隊長という立場でもあるカイルが口にしたのは、思いもよらない言葉だった。
「あるお方を無事に王子の元へお連れするんだ」
カイルの言葉にロゼスは無言のまま眉を寄せた。
「警護、ですか?」
ロゼスは与えられた任務に、肩透かしを食う。
「お連れするのはパティという名の天使の少女だ。パティ殿は王子の行方を捜しておられる。その天使の護衛をしながら共に王子の後を追ってもらう」
カイルはロゼスが唖然としている中、構わずに続けた。
「まず王子が行かれるのは北東大陸、ムーンシー国。港を目指し、パティ殿を送って差し上げろ。上手くすれば港に着く前に追いつけるかも知れない。無論、無事にお二人が会うまでは帰って来ることは許さん」
ロゼスは黙って聞いていた。
何と言っていいか分からないが、その命令に従い難いのは確かだった。
「……聞こえなかったか?」
無反応の部下に、カイルは苛立ったように言った。
「本気でおっしゃっているのですか?」
ロゼスはかろうじて敬語を使ったが、本当は舌打ちしたい気分だった。
「当然だ」
カイルはにべもなく言った。
ロゼスにはなぜカイルがそんなことをいうのか、まるで理解できなかった。
「お言葉を返すようですが、カイル特隊長。天使など、メイクール国とは何の関わりもありません。そこまで面倒を見る必要などないでしょう? それになぜ俺が? 俺にはこの国の歩兵部隊隊長として、国を守る義務があります。たかが天使一人の警護など別の者にやらせれば良いではないですか」
ロゼスは強く反発した。己が正しいのだと疑いもしていない、傲慢な口調だった。
「パティ殿は王子の大切な客人だ」
カイルは珍しく厳しい表情を見せていた。
ロゼスとは違い、部下に慕われているいつもは穏やかなカイルの眼は、今は鋭くロゼスに注がれている。
「王子にとっての客人となれば、メイクール国にとっても大切な存在だ。王族に仕える私やお前にとってもだ。パティ殿を王子の元へお連れするのは軽い任務ではない。自分でなくともいいと言ったが、魔物にでも出くわすことを考えれば、二等兵では
「ですが――」
「
カイルは有無を言わさぬ口調だった。
ロゼスは、これほど容赦のないカイルを見たのは初めてだった。
ロゼスは天使を守る旅など全くしたくなかったが、命令に逆らうことはできないし、逆らったところで何のメリットもなかった。ロゼスはその任務を受け入れるしかなかった。
「カイル、お前の考えていることが私にはよく理解できぬ。なぜロゼスと天使を共に旅立たせるよう企てた? ロゼスは納得していない様子だ」
二人きりになったところで、マディウスが言った。カイルはそれを聞くと含み笑いをした。
「ええ、そうでしょう。ロゼスは本当はひと時もここを離れたくなどないのですから」
カイルは全て見通していた。
ロゼスは誰にも心を許していないように見えるが、一人の存在に対してだけ、唯一の愛情を向けていた。
まだ本人もその思いが何なのか理解していないだろうが、時期に気付くだろう。その一人の娘がこの国にいるから、彼はこの場所を離れたくないのだ。
カイルは、前からロゼスの態度や心根には問題があると思っていた。
ロゼスは他人への思いやりが欠落している。
ただ一人の娘だけではなく、他者を労わり、優しく接する心が必要だ。彼はこのままでは本当の意味で一人になってしまうだろう。
(パティならば、そんなロゼスを変えることができるのではないか?)
なぜかカイルの頭にはそんな考えが過った。ロゼスが思いを寄せる巫女イーシェアではなく、パティこそが。
「カイル、お前はパティがアルタイアだけではなく、ロゼスにとっても良い影響を及ぼすと考えたのか?」
「ええ、甘い考えかもしれませんが」
カイルは悪戯をした子供のように答える。
ロゼスとパティという異色のコンビがどのような旅路を展開するのかを想像し、カイルは口元に笑みを浮かべた。
「ねえ、ロゼス、わたし、馬車に乗るのは二度目ですけど、馬車ってとても気持ちいいですね。景色を眺めるのも楽しいです」
パティは馬車の客車で隣に座るロゼスに明るく言った。
パティとロゼスは御者が引く後部席に座っていた。
その馬車はよく磨かれ、新品で美しかった。車体は滑らかに艶めき、馬も大きく立派だった。パティは暫し見とれたほどだ。
パティの姿は天から降りたときとは違い、メイクールの城の召使いが用意したもの着衣していた。
この大陸には薄過ぎると言われたノースリーブドレスの上からカーキ色のフード付コートを着衣し、足には白いブーツを履いていた。
背中の翼を畳んでコートに隠したパティは、背中が少し膨らんでいることと、整い過ぎた顔立ちを除けば、普通の十四歳の少女と変わらなかった。
明るいパティとは正反対に、無口で無表情なロゼスは、パティの質問にも、ごくたまに相槌を打ったり頷いたりするだけだった。
パティは反応の薄いロゼスを気にすることはなく、長いこと一人で話し続けていた。
「カイルも王も、本当にアルを思っているのですね。お二人にお会いして、それが分かりました」
パティはロゼスに話しているのか独り事を言っているのかよく分からなかった。
「それにしてもこの国はとても寒いですけれど、他の大陸はどうなのでしょう? 天世界は常に温かく、過ごし易かったものですから、わたし、驚きました。このいただいた服は温かくて、助かります。ねえロゼス、あなたはずっとこの国で育ったのですか?」
返事のいらないことを言っていたパティはそれに飽きたのか、ロゼスの方を向いた。
ロゼスはぶす、とした表情のまま、腕を組んで目を閉じていた。寝ているのかと思ったが、パティは少し彼を観察していたら、腕を組み直した時に目を開いたので、寝てはいないらしい。
「ロゼス、ねえ、あなたはずっとこの国で育ったのですか?」
少し声を大きくするが、ロゼスは相変わらず、何の反応もない。パティは不思議に思い、ずいと彼に近寄り、
「ロゼス!」
と耳の近くで大きな声を発した。
ロゼスはパティの大声に怪訝に眉を寄せ、きっ、とパティを睨み、
「うるさいっ!」
と、一喝する。
ようやく言葉を発したと思ったら、怒っている様子のロゼスに、パティはきょとんとする。なぜ怒っているのかパティには分からなかった。
「あの、ロゼス?」
「黙れと言っているんだ。お前のくだらない会話に付き合うつもりはないし、これから先、お前と仲良くする気など毛頭ない」
遠慮がちに訊くパティにロゼスはきつい言葉を浴びせた。
「お前を王子の元へ送ることは本意じゃない。命令だから、仕方なくそうするだけだ」
ロゼスは腕を組んで目を伏せていた。まるで瞳にその姿を映すことすら煩わしいとばかりに。
「いいか、
ぽかんとするパティに、ロゼスは低い声で吐き捨てた。
それはロゼスが初めて他人に本性を見せた瞬間だった。彼は他人に心を見せない。本当のことを言わない。それがパティにはどういう訳か心の内をさらけ出していた。
ロゼスがどう思おうとも、それは事実だった。
パティは途端に大人しくなった。
彼女はようやく理解した。なぜロゼスの機嫌が悪いのか、話さないのか。パティは黙って客車に座り、彼の横顔を見た。
――そうして知らず、溜息をついていた。
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