メイクール国の王子アルタイア 後半
「そうだ。それこそ、人類にとって本当の危機的状況の幕開けとなった」
マディウスは、アルの答えに頷いた。
天世界に住む天使、地上に住む人間、そして、地上の裏世界に存在すると伝えられている魔世界の住人、それが魔族だった。
彼らは天使の姿がごく稀に人の目に触れたころとほぼ同じ頃に突如出現し、人々を恐怖に陥れた。
幸福の象徴とされる天使とは正反対に、魔族は死を運ぶと言われている。
彼らは人の血肉を食らい、魂を好む。
多大な力と長けた知力、また一部の魔族は不思議な力までもを備えていた。
特に力のある魔族は魔物という、獣に似た手下を作り出すこともできた。
彼らがなぜ突然現れたのか、魔世界とはどこに存在しているのか、今だ謎に包まれている。
「強大な共通の敵が現れたことで、各国は同盟を結び、互いの大陸には手出ししないことを誓い合った。そして魔族が大陸を脅かす事態には、救いの手を差し伸べると」
アルは繰り返し読んだ書物の書き記した通りに口を滑らせた。
「けれどそれは完璧な約束ではなかった。同盟は長い年月の間に破棄されたり、結び直したりを繰り返した。今も尚、それは続いている」
マディウスはアルの答えに、深く頷いた。
「この大陸は発展的な他大陸と比べ、それほど豊かな国ではない」
マディウスは険しい顔で続けた。
「民は何とか食い繋いでいるが、作物の育ちは悪く、金も採れない。ほとんどの民は暮らしていくだけで精いっぱいで、その暮らしは決して楽なものではない」
父の言葉に、アルは目を伏せた。
それは王子たるアルの悩みの種でもあった。
「よいかアルタイア、友好条約を結んでいても、何の見返りもなく大陸を救うお人好しの国などない。己の国の蓄えや武力を削るのだからな。だが唯一、大陸王たちの心を揺さぶる宝がこのメイクールにはある」
マディウスは、その手に握った、黒々とした石をテーブルに置いた。
「ブラッククリスタル――」
アルは反射的に呟いた。
正式にはそれは、ベアトリクスブラッククリスタルと言った。
黒々とした、艶やかなその石はこの世のあらゆる物質の中で最も硬いと言われている。
また、石自体が生きているかのように、常にエネルギーを発散していた。
武具や武器にすれば他大陸のどんなものにも引けを取らない。
一握りのブラッククリスタルと金貨百枚よりも、小さな石の方がまだ価値があった。
「これは我が大陸の誇る大事な収入源。王や貴族の中でもごく限られた者にしか身につけることができない、この世で最も価値のある石と言えよう。アルタイアの戴冠式の日に、各大陸王に差し上げることになる。お前は戴冠式に出席する旨を王たちに伝え、親交を深めるのだ」
アルは自分の左耳に触れた。
自分が生まれたとき、その耳には極上のブラッククリスタルが穿たれた。
王子たる証、そう思っていた。
だが違った。それは王族が身につけることで、メイクールにその石がある証拠としたのだ。
他大陸の王の目に触れさせるために。
「父上は、これがなければ、たとえメイクールが魔族に襲われても助けは来ないと? 我が大陸は見捨てられるとおっしゃるのですか?」
アルは穏やかに装ったが、声には怒りにも似た感情が表れていた。
マディウスは、我が子が怒りを表したのはどれくらいぶりだろうかと、つい、関係のないことを考えた。
アルは、自らの使命を初めて理解した。
この旅は王となる成長を促し各国の王たちと親睦を深めるものだと聞いていた。
それは全くの嘘ではない。
しかし所詮、建て前だったのだ。
ブラッククリスタルを贈る約束をし、大陸王たちの機嫌を取るための旅なのだ。
「王子、お支度は整いましたか?」
ノックの音がして、穏やかな低い男の声がする。
アルは現実に引き戻され、顔を上げた。アルは担いだ荷物を一旦下ろした。
「カイルか? ああ、支度は整ったところだ。構わないから入れ」
「失礼いたします」
精悍な顔立ちをした、だが印象は実に優しげな、青い瞳の兵士が、深く礼をする。
相変わらずの伸びた姿勢が気持ちいい、とアルは思う。
カイルは、王族の警護に属する少数の部隊の隊長で、王の側近という立場だった。
剣、槍、弓などあらゆる武器の名手で、国一番の使い手だ。
アルは、彼の元で様々な武器の扱いや戦い方を習った。
彼は王の側近であると同時に、警護部隊隊長であり、特隊長という兵士を取り纏める立場にあり、アルの師でもあった。
「よくお似合いでございます、アルタイア王子。この国の王となるに相応しい、凛々しいお顔をなさっています」
カイルはゆるやかに笑んだ。
しかしアルは、カイルの顔をまともに見ることができなかった。
カイルの目は優しく、そうと気づいたとき、胸が苦しくなったからだった。
アルがカイルの眼を真っ直ぐに見られなくなってから、もう随分と長い年月が経っていた。
アルは、カイルにただ、許しを請いたいのだった。
自分の犯したあの罪を、ひたすらに頭を下げ、謝れたならどんなに楽だろう。
「カイル、何か用があるのだろう。何だ?」
アルは無理やり思考を閉ざし、口を開いた。
「いいえ、私はただ、王子の旅立ちを見送りに来たまでのことでございます」
カイルは満足そうに言った。
アルはその晴れやかな声につられ、カイルを見た。
カイルはアルを心底誇らしく思っているかのような、深い瞳でこちらを見ていた。
「私はこの日を待ちわびておりました。王子、あなたが旅立ち、そして立派に役目を果たして戻ってこられた暁には、王となる資格を得られます。皆が私同様、それを待ち望んでおります。どうか、良き旅を」
カイルは深々と頭を下げた。
「有難う。無論、僕もそのつもりだ。僕がいない間、王のことを頼む」
ジュノンアルタイア・ロード・メイクール。
彼は王子の名に相応しい、優しい心根と向上心、それに王となる自覚を持ち合わせていた。
彼の口調は心に蟠りなど微塵もないかのように、爽やかだった。
だがその瞳には、隠しきれない痛ましい悲しみが映っていたことなど、アル自身は知る由もなかった。
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