3 夢の中の出会い 前半

 時を遡ることおよそ数時間、パティは天の神の御前にいた。


 天世界には七つの神殿があった。

 風、水、地、太陽、月、山、炎、それぞれの神が住む神殿が建っている。

 地の神の神殿は天世界の中でも下方に位置した雲の奥深くにあった。そこには大地が存在し、花や草木が生い茂っていた。


 パティは地の神バグーラにねだるような瞳を向けていた。


「ねえ、バグーラ様、早く続きをお話になってください」


 パティは待ちきれないように言った。


「そう急かすな、パティ。ぬしは本当に落ち着きがない」

 バグーラは土色の顔を綻ばせた。

 バグーラの体も顔も全て大地と同じ温かみのある土色をしており、その体を見上げるとパティはいつも首が痛くなるのだった。


 バグーラの姿は大きく、毛むくじゃらの獣のような姿で、顔を覆った毛の隙間から茶色の瞳を覗かせていた。

 パティはよくこうして地の神の元へと足を運んでいた。地の神は他の神々と違い、よく人間のことをパティに話して聞かせていた。パティはバグーラのことが大好きだった。

 訊ねれば、バグーラは何でも答えてくれた。

 バグーラは人間の物語を話している最中、突如、その声を止めた。


「どうしたのですか?」

「風の天使たちがまたぬしを探しておる。そろそろ風の神殿に戻るがいい」

地の神の大地から響くような太く優しい声に、パティは首を振った。

「どうした、パティ?」

 パティは黙り込んだ。


 何でもはっきりと口にする娘が黙るなど珍しいことだった。地の神はパティが何を言おうとしているのか、解っていた。知っていたが、何も言わなかった。

 それは天世界で禁忌タブーとされる事柄であると同時に、パティに会えなくなることが寂しいからだった。

 パティは七色にも見える瞳を、決意を固めたようにバグーラに向けた。


「バグーラ様、お願いがあります。どうかわたしを地上に降ろしてください」


 バグーラは溜息をついた。ついにきたか、と思った。


「パティ、ぬしはそのことを風の神に話したことがあるか?」

「はい。けれど風の神シーナ様は私の言葉に怒り、お許しにはならなかったのです。それどころか、二度と人間のことなど口にするなとおっしゃいました」


 風の神シーナの反応は何も特別なことではなかった。

 それは天の神ならばごく普通のことだ。地の神とて、人間が好きな訳ではない。

 ただ、包み隠さず語るだけだった。 


「ならば答えはわかっておろう。風の神シーナの子であるぬしを勝手に地上に降ろすことなどできん」

 バグーラの答えに、パティは眼を伏せた。


 ――これで諦めるならば、それがいい。


 バグーラはそう思っていた。しかしパティはすぐに顔を上げ、物怖じせずに言った。


「バグーラ様、わたしはこの心を止めることはできません。どうしても、地上に行きたいのです。もうずっと前からです。バグーラ様はいつかおっしゃいました。

わたしが十四になった時、何でも願いを聞き入れてくださると。そしてわたしは今日、十四になりました。あなた様は約束をお守りになるでしょう?」


 地の神は声をあげて豪快に笑った。


(やはり、覚えていたか)


 そしてパティは迷わずその願いを口にした。全てバグーラの予想した通りだった。


「良かろう、パティ。しかし一つ言っておく。地上に降りたら命の保証はない。地上ではいかに天使と言えど、神の干渉は受けぬ。自らの命は自らで守るしかない」

「構いません」

 パティは真摯な瞳で言った。

「二度と天には戻れぬやも知れぬ。それでもか?」

 バグーラは問いかけた。答えの解っている、最後の問いを。


「わたしの愛する神、バグーラ様。わたしは後悔などいたしません。例えこの身が滅んだとしても」


 パティは柔らかな声で歌うように言った。

 高く澄んだその声はバグーラの胸に静かに響いた。


「わたしは地上に降りることを考えるだけで、胸が高鳴ります。歌い、笑い、踊り、ただ日々を遊び暮らすことが、わたしにはどうしても退屈なのです。地上にはもっと素晴らしいことがあると思えてならないのです。ですから、わたしが死んだとしても、バグーラ様が気落ちする必要はありません。わたしはもう、天にいる資格などない天使なのですから」


 天に存在する天使は、これほどはっきりと自分の考えをいうことはない。


(この娘は、いずれ天を変えるやも知れぬ)


 しかし天世界は、変革を嫌う。

 いや、恐れていると言ったほうがいい。


 パティは天の神にとって頭の痛い存在だった。

 パティにとって天は生き難い世界なのだろう。まるでパティは天使という皮を被った、人間そのものだった。


 バグーラが頷くと、パティはそれは嬉しそうに笑った。全身から光を放つように飛び跳ね、翼を広げてバグーラの大きな体に飛び込み、抱きついた。


「有難うございます、バグーラさま!」


 バグーラはずっと、この小さな天使の願いを叶えたかった。だから、何でも願いを聞き入れると口にした。

 愛する天使の願いを聞き入れたかったのだ。

 風の天使パティは、地の神の作りし光に守られ、地上に降りていく。


 もうすぐパティは地上へと辿り着く。

 パティは遥か彼方の空にある天から、北西大陸、メイクール国へと降り立とうとしていた。


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