99 予選試合、消えたパティ

「試合開始!」

 審判が向かい合った二人の男に叫ぶと、二人は武器を手に、互いに向かって駆け出した。

 一人の男は剣を手に、もう一人は弓を引いていた。


「いけー、やれやれー!」

「やっちまえー!」

 観戦する人々はようやく始まった祭りに興奮し、声高に叫ぶ。


 午前中に五十余名を七名に絞るので、予選試合は本選とは異なり、一試合に時間をかけることはない。

 闘技場の舞台――、アレーナから落ちるか、『参った』と言わせれば勝ちになる。一試合五~十分足らずで行われ、決着が付かなければ協議の結果、優勢が勝ちとなるので、二人は持てる力を出し切ろうとし、気迫はかなりのものだった。


 試合が始まりほどなくして、アルは気が付いた。


(パティがいない……?)


 アルはマクーバの隣の席から自分の席へと戻って行った。マクーバは試合開始と共に試合に夢中になり、話どころではなくなったためだ。

 自分の席に戻ったアルは、初めてパティがいないことに気が付いた。


 いつからだろうか、すぐ近くにいたはずの彼女の姿が忽然と消えていた。


「ティモス、パティを見たか? 見当たらないんだ」

「手洗い所じゃないか? 人が多いから闘技場内で迷ったんだろ。何だよ、心配性だなアルは。まるで父親だな!」

 ティモスはアルをからかったので、アルは少し恥ずかしい思いがした。


(心配し過ぎだろうか)


 グリーンビュー国でパティは何も言わずに消えたことがあった。


 パティは危険を考えず、勝手にメイリンを追いかけたためだ。しかしパティは勝手な行動はしないと約束をしたし、仮にメイリンがこの闘技場内にいたとしても、客席から遠く離れたこの場所からメイリンが見える筈がない。


 確かにティモスの言う通りだ。先ほどまでパティはこの来賓席にいたのだ。入り口には二名の兵が見張っており、騒ぎ立てずに彼女を連れ出すことなど不可能に近い。

 

 ――少し様子を見よう。

 

 けれどもアルは、胸が騒めくのを感じていた。



 第一試合が開始してから異種試合は滞りなく順調に進んでいった。

 その何試合か後、一際大きな女性たちの歓声が闘技場内に響き渡った。


「ネオ・ロベート・ガラ! ムーンシー国出身の、高名な舞い手!」 

 司会者が声を張り上げると、ネオは右腕を上げ、にこやかに周囲を見回した。


 ネオは遠目にも目立っていた。

 美しい顔立ちに長身で色気が漂った彼は、大勢の前で舞うことが日常だったので、特別緊張はせず、歓声を上げる女性たちに手を振る余裕もあった。

 出場者はがっしりとし、熊のような男たちが多い中で、ネオのような細身でしなやかな肉体の男は珍しい。女性たちが釘付けになるのも無理はなかった。


「おお、アルタイア王子の推薦者の登場じゃな。あのような優男がどのような戦いをするのか、見物じゃな」

 と、マクーバは面白い試合が見られそうだ、と楽しそうにアルに言ったが、アルはマクーバの話が頭に入っていなかった。

 それどころか、今まさに始まろうとしているネオの試合も、上の空だった。

 アルは何度もちらちらと入り口の扉の方を窺っているが、パティはその扉の向こうから現れることはなかった。

 アルの頭の中は、消えたままのパティのことで一杯になっていた。


「始め!」

 審判が叫び、ネオと向かい合った大きな体躯の筋肉質な男は斧を手に走り出す。

「斧ですか。あれは当たる訳にはいかないですね」

 ネオは誰にいうでもなく囁く。面倒そうな口調だった。

 

 対戦相手の男、デストラは走りながら斧をネオに向かって振り上げる。

 ネオは剣を抜き、ぶんと振り回したデストラの斧を屈んで避け、足を払った。デストラはその大きさに似合わず素早く体制を整えると再び斧を翳した。


「とりゃああああ!」

 デストラは耳が痛くなるほど大声で叫び、一瞬体を強張らせたネオの隙を狙い、斧を振り下ろした。


 ガキッ!

 体制の悪いネオは避け切れないと悟り、細身の刀身の剣で斧を受け止めた。

 ネオは低い体勢で攻撃されたことで力が十分に入らず、またデストラの腕力より劣るため、斧に押されてアレーナの床板を滑った。

 デストラはにやりと笑い、斧を大きく振りかぶった。


「とどめ!」

 ネオは低い体勢から、剣の柄の部分を逆手に素早く持ち替えた。デストラが斧を振り下ろす前に、ネオはデストラの腹を横一文字に切り付けた。


「ぐあっ……!」

 デストラは腹から血を噴き出し、真後ろに倒れた。

「勝者、ネオ!」

 審判が叫ぶと、闘技場内はわっと盛り上がった。



 ネオが勝利を収め、群衆が沸いたその時、長いドレスの裾を片手で持ち上げ、片手に扇を手にした初老の女性がアルに近づいた。

「アルタイア王子、まだパティ様は戻らないのですね」

 声をかけてきたのは、豪奢な扇を口元に当て、パーマがかかった白髪交じりの髪を下ろした王妃マゴットだった。


「――ええ。心配し過ぎかもしれませんが……」

「あの方は天使でしたわね。天使はこの地上では非常に珍しい種族です。良からぬことを企む者もおりましょう」

 マゴットはアルの隣にすっと立ち、口元に扇を当てたまま、視線は闘技場に注いで話し出す。

「見張りの兵にこの闘技場内と周辺を探させます。王に言っても、兵を動かしはしないでしょう。王は危機感が足りないところがございますの」

「マゴット王妃、お気遣い感謝致します」

 彼女の申し出がアルには有難かった。だがマゴットがそんなことを言ってくるとは意外だった。


 マゴット・リリア・ターニャはいつも気難しそうな顔をし、それを悟られまいとしているのか、扇を口元に当てて話すのが常だった。

 先ほどマクーバと一緒の時に少し会話をしたが、マゴットは王とはあまり目を合わせず、アルの質問にも短く答えるばかりだった。

 しかし今傍にいる彼女は心からパティを案じ、力になろうとしている。アルはそれが嬉しかった。 

 

 アルは勘違いをしていた。

 マゴットは長年マクーバを支えてきたが、高貴な出身である彼女は騒がしい祭りや催しを好む夫とは会話や反りが合わずにいた。そのため私生活でも公の場においても夫とほとんど口を聞くことはなく、仲が良いとは言い難かった。

 先ほどアルに冷たい態度を取ったのも、マクーバが傍にいたためだ。それはそれで良くない傾向だが、夫がいない場所ではマゴットは思いやりのある大らかな王妃でいられるのだ。


「王妃様、よろしくお願いいたします」

 アルの礼にマゴットは頷き、すっとその場を去ると、見張りの兵士の傍に寄り、天使の捜索を命じたのだった。


「アル、なんだ、まだパティは見つからないのか?」

「ああ」

 ティモスも遅すぎると思ったのか、アルを冷やかしたりはせず、腕を組んで、どうしたんだろうな、と言った。

 彼のガールフレンド二人は、いつの間にか退散していた。ティモスの腕を組んで騒がしくする一人の貴族の女性にマゴットが文句を言ったためだ。


 そういえば、と、何か思い出したようにティモスは少し離れたところに座る兄を見た。

「兄貴、パティとどこかに行っていなかったか?」

 ネイサンは声をかけてきた弟を一瞥した。

「一緒に扉を出ていただろう?」

「……たまたま一緒に扉を出たが、僕は空気を吸いに外に出ただけだ。彼女の行方など知らない」

 ネイサンは顔色一つ変えず、ティモスの顔を見ずに答えた。

 ティモスはその返事に不服そうにしたが、そう言われてしまっては何も言えなかった。

 


 また何試合か後、今度はクルミが闘技場に現れた。クルミはネオよりも注目されていた。

 多少小柄だが、大きな瞳と可愛らしい顔立ちの少女が試合に登場するのは非常に珍しいので、観衆は沸き立った。

 クルミはいつものように軽装に盾や短剣を装着していたが、靴はブーツではなく踝までの短めの靴を履いていた。足首の石が見えるようにしていた。


「クルミ・レイズン! グリーンビュー国出身の商人!」

 対戦相手は髭面の中年男の、鍛えた体躯の剣士バラモだった。


「始め!」

 審判が叫び、バラモは剣を掲げながらクルミに向かって走る。

 振り下ろした剣をクルミはさっと避け、次に剣が振られた時は短剣で防いだ。

 何度目かの攻防の末、クルミは得意のジャンプで高く上空へと飛び上がった。


「小娘、格好の的だ!」

 バラモは剣を上空に向かって構える。

 クルミが降りて来た時に切りつけようと待ち構え、クルミの足に男の剣が切りつけられそうになると、彼女は足に括られた盾で器用に剣を防ぎ、そこを足場にして軽くジャンプし、くるっと一回転して男の背後に回った。

 クルミはそのまま地面を蹴り、短剣を構えて勢い良く飛び出した。その勢いのまま、短剣を男の喉元にぐっと突き付けると、厳しい顔つきをした。

「ま、参った……」

 男が掠れた声を発するとクルミは短剣を下ろし、にっと笑った。


「勝者、クルミ!」

 審判の声が響くと、闘技場は一段と大きな歓声に包まれた。



 見回りに行っていた兵士が戻り、マゴットは兵士の傍へ、いそいそと寄って行く。アルもすぐその後に続いた。

「天使は見つかったの?」

 王妃の問いに兵士は首を振った。

「王妃様、天使の姿はどこにもありませんでした。数名の者と手分けをして探したので間違いございません。この闘技場内と、周囲も併せて探しましたが、やはりいませんでした」


「そう……」

 マゴットは扇を口元に当て、目を伏せた。

「アルタイア王子、パティ様の捜索範囲を広げましょう。何かあったかは分からないので大袈裟にはできませんが、私兵は自由に動かせます」

「王妃様、ありがとうございます。引き続きお願い致します。僕は少しここを離れます」

「アルタイア様、あなたは貴賓という立場ですからー」


「少しの間です。僕の知り合いがこの闘技場内におりますが、その者にパティの捜索を頼むだけです。その男はきっと、捜索は得意ですから」

 

 アルの頭にあったのは、ダンのことだ。

 本当はアルは自分でパティを探しに行きたいが、それよりも彼に頼む方がパティを見つける可能性が高いのは分かっていた。

 ダンは子分たちを自分の船でリリア国に来させていると言っていたし、彼自身、リリア国には何度も訪れているようだった。この国についても詳しいだろう。名だたる海賊であるダンは、数々の宝を手に入れてきた。探し物も慣れているー、と予想できた。


「分かりました、アルタイア王子。ですがその者に会ったらひとまず戻ってくださいよ」

 とマゴットはアルに釘を打ち、アルは軽く礼をし、試合に夢中になっているマクーバには何も言わずにそっと扉を出て行った。

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