90 アルとセトラ 旅立ちの時

 アルは、炎の神との会話を後にネオから聞き、情報を共有した。

 アルとパティ、それにネオは王妃の勧めもあり、怪我の具合が多少癒えるまでは城で寝泊まりすることにし、ダンは他の手下たちと停泊している船に戻ると言い、クルミは実家が近いので、一度自宅の屋敷に戻って療養することにし、帰って行った。


 クルミが家に戻るというとネオはひどく残念がり、

「怪我の具合が良くなったら、国を出る前にまた会いましょう」

 と、得意の甘い笑顔で言ったが、

「あ、そうそう。今後のことをみんなで話し合いたいから、数日後にまた来るよ」

 とクルミは片手を上げてあっさりと言い放ち、城を後にした。

 

 それから数日が経った。


 グリーンビュー国は魔物と魔族の襲来により多くの被害を被った。

 ダイス王は亡くなり、城を警護していた兵士も在中していた召使いも多数亡くなった。城内は悲しみに包まれていたが、アイビー王妃が夫を失った中にあっても気丈に振る舞い、それを見ていた城の者たちは奮起するのだった。


 アルは、落ち着きを取り戻しつつある城の様子を見て、そろそろアイビー王妃と話さねばならないと思い、王妃の元へと向かった。



 遺体の埋葬を終え、城の警護をする衛兵や召使い等が修繕に取り掛かかる城内で、アイビーは自ら城の者たちに昼食のスープを振る舞っていた。  

 被害を受けたグリーンビュー国の城内や王都の復興にはまだ時間はかかるだろうが、徐々に日常を取り戻しつつあった。


 アルは食堂に赴き、頭を下げた。

 アイビーはアルに気付くと手を止め、召使いに代わりを命じ、アルを食堂の外へと誘った。

 アルの格好は元の着ていた旅の服に戻っていた。 


「アイビー王妃、僕は、あなたの行動には頭の下がる思いです。城の者たちもですが、民もあなたを支持するでしょう」

 アイビーは、アルに有難う、と言った。しかしその表情は暗かった。

「わたくしは王妃として国を護っていかなければなりません。そんな立派なことを名目にし、何とか踏ん張ってはいますが、本当は城の者や民のためではありません」

 アイビーは恥じるように俯き、自嘲気味に笑んだ。


「わたくしはただ自分の子供たちを護りたいのです。この国が安定しなければ、セトラもオリオンも安心して暮らせません。わたくしは自分の家族のことしか考えていないのです。酷い王妃でしょう?」

「いいえ、王妃様、何も恥じることはありません。それこそが国を護ることだと僕は思います」


 なぜなら皆、同じだから。

 自分の家族や大切な者を思う気持ちこそが優しさを生み、他人にも愛を与えられる。優しい心を持つ者が様々な者に影響を及ぼし、築いていく。逆に言えば身近な者に優しさのない人間には何も生み出せはしない。

 ダイス亡き後も、アイビーは女王となり、立派にその務めを果たすだろう。


「王妃としての働きをしていれば、王が亡くなった悲しみを考えずに済みますしね」

「王妃様――」

「いいえ、やめましょう、その話は」

 涙を浮かべたアイビーは無理に笑顔を繕った。 


 アルにもアイビーが夫を失った悲しみがすぐに癒える筈がないことは理解していた。しかしアイビーの瞳には、悲しみの中に、強い決意が見えた。国を率いて行こうという決意、子供たちを護っていくのだという母の強さだ。

「ですが、アルタイア様、この国がまた襲われたりしたら――」


「王妃様。城内の兵士は多く倒れましたが、グリーンビュー国にはまだ兵力は備わっています。小国に比べれば十分すぎるくらいです。今回魔物に街や城を襲われたことは、残念ながらその兵力を生かしきれていなかったことも大きい。魔族が率いてきた魔物を迎え撃つことは十分に可能でした」


 それから、とアルは話を続ける。

「確かに、あのシスという魔族は恐ろしい力を持ち、通常の兵士では対応できないでしょう。しかし我々を救ってくれた神は、まだ人間には強くなれる可能性があると言いました。〝石を持つ者〟と呼ばれる者たちです」


「シスやメイリンという者がしきりと言っていましたね」

「王妃様、どうか我が国と同盟を結んでいただけませんか? 我々の知る魔族や石を持つ者たちの情報を共有をし、できる限り力になります」

「アルタイア王子、それは有難い申し出ですわ。わたくしは勿論、了承致します。宰相と共に話を聞かせていただきます」


「それと王妃様、僕から、この国の神具の杖を、この国の石を持つ者、クルミ・レイズンに預けられることを提案致します」

「レイズン家の一人娘ですね。あの資産家の娘にあんな力があったとは知りませんでした」


「彼女は強い力を持っているだけではなく、優れた商人でもあると聞きました。クルミは他の仲間と協力し、神具の使い方を解明できる筈です」


「この国の宝物、〝神風のロッド〟は、代々王家で護られてきましたが、現時点では城に置いておいても意味はないですね。神具を使いこなし、高位魔族と戦える者の力になるならば、そうしましょう。この国を長い間支えてきたレイズン家の者ならば信頼もおけます」

「感謝致します。宰相様を交えて神具や石を持つ者のことを詳しくお話した後、僕はこの国を発ちます」


「……そうですか。セトラが寂しがりますね。けれどアルタイア様にはまだやるべきことがありますものね」


「他国でも神具などの情報が得られるかも知れません。その際は情報を開示致します」

「分かりました。アルタイア王子、旅立つ前にあの子に会っていただけないかしら?」

 アイビーは、娘が思いを寄せているアルと別れることを知り、セトラを案じて、少し悲し気な顔になった。


「ええ、そのつもりです。あれからセトラ姫とあまり話す機会がなく、心配していました。セトラ姫はどうしていますか?」


「王の墓前に行っているわ。生きている時は、あの人に我儘をいうばかりの娘だったのに、何を話しているのでしょうね」

 アイビーは悲しみを称えた顔で、くすりと笑った。



 ダイス王の墓前には美しい花々が咲き乱れ、それはセトラが用意したものだとアルは悟った。


「セトラ」

 アルが同じ年の彼女に背後から声をかけると、セトラは振り向いた。セトラは泣き腫らした眼を擦った。


「セトラ、大丈夫か?」

 アルが気の毒そうな顔をし、傍に寄り、顔を覗き込んだ。

「ええ、大丈夫よ。恥ずかしいところを見られてしまったわね」

 セトラは強気を装い、慌ててアルの傍から離れた。


 アルは元の旅人の格好だったが、彼はその姿でも凛々しく、気品に満ちて、美しいとセトラは思った。そしてやはりアルの傍に行くと、セトラはどきどきと胸が高鳴り、嬉しいのだ。しかし今は、アルの優しさが辛かった。


 自分は同情されているだけだと分かっていたし、彼と結婚することは叶わぬ夢に終わったのだ。


「アル、あなたに言いたいことがあったの。お父様が言っていた結婚の話は白紙に戻しましょう。お父様が亡くなり、国がこんな状態になってしまったのに、結婚なんてできないわ。オリオンはまだ小さいから、お母様を私が支えなければならないもの。こんな私で力になれるかは分からないけど――」


 アルは、真摯な瞳でセトラのいうことを聞いていた。

 そこにどんな感情があるのか、セトラにはよく分からなかった。しかし彼女は知っていた。


(アルは、始めから私のことを好きではなかった)

 

 ――けれどそれでも良かった。

 アルのことが大好きだった。

 優しく美しいだけではない、思慮深く、セトラの知るどんな若い王子や貴族よりも高い理想を掲げ、努力をしていた。アルが王となるメイクール国で、彼を支えて生きていきたかった。


「そんなことないよ、セトラ。アイビー様はきっと君を頼りにされるよ」

 アルは優しく包み込むような声で、蜂蜜色の瞳で真っすぐにセトラを見つめた。


「アル……」

 セトラの瞳に、じわりとまた涙が浮かんだが、セトラはそれを見られたくなくて、背中を向けた。

「だから、私は結婚は暫くしないわ。あなたも残念だったわね」


 セトラはアルの気持ちが分かっていたが、あえて強気に言った。

 アルは、ああ、そうだね、とやはり優しい響きの声で言い、セトラが振り返ると、そんなセトラの思いを全て包み込むような温かな瞳をしていた。


「アル、私は、本当にあなたが好きだったのよ。あなたはそうじゃなかっただろうけれど……あの子が好きなの?」


 セトラはぎゅっとアルを抱き締め、彼の胸に顔を埋めた。

 セトラはつい本当のことを言っていた。突然打ち明けたくなったのだ。

 隣に並ぶだけではよく分からなかったが、抱き締めると、アルは背丈が伸び、自分より少し高くなっていたんだ、とセトラは関係のないことを考えた。


 アルは驚いていたが、セトラを引き離すことはしなかった。


「……そうじゃないよ。パティは関係ない。僕は、まだ未熟だから、結婚が考えられないだけだ」

「そう、分かったわ」

 といいセトラはぐっとアルのシャツを引っ張り、その唇に口づけた。


「それなら、あなたとの結婚は諦めないわ。アル、またこの国に来てちょうだい。私に会いに来て。婚約は今はしないけれど、待っているから。きっと何年後かに、私はもう一度あなたにいうわ」

「……セトラ」

 アルは大胆なセトラの行動に蜂蜜色の瞳を見開いたが、彼女はきっぱりとしていて、真っすぐで美しかった。


 アルがパティは関係ないと言ったのは嘘ではない。

 パティのことを好きだと実感したが、だからと言って、この先彼女と結ばれることなどないだろう。

 アルはパティへの思いを既に断ち切っていた。

 それならば、アルがもし自分を許す日がくれば、あるいはメイクール国のためだと納得する理由があれば、セトラといつの日か夫婦になる可能性の方が大いにあった。


「分かった、セトラ。またこの国を訪れるよ。君に会いに」


 アルはセトラが納得するまで彼女の望むまま抱き締めてやり、セトラが自分からアルを離すと、別れを告げた。



                            第二章 前期 完

                            第二章 後期へ続く 

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