69 グリーンビュー国の王族
「まあ、はしたない」
再び城の扉が開き、足早に行ってしまった姫の方を向き、彼女に向けてそう言い放った女性がいた。女性は召使いを伴い、腕に小さな赤ん坊を抱いていた。
「はじめまして、アルタイア様のお連れの方ね? わたくしはアイビー・ティナー・グリーンビューと言います」
「ええ。わたし、パティと申します。えと……、じゃあ、あなたは王妃様?」
アイビーは優しく微笑んだ。
アイビーは大きな耳飾りと小振りのティアラを被り、絹のドレスを身に纏い、髪は結い上げていた。
若くしてグリーンビュー国に嫁いだ彼女は、セトラを出産しているが三十四を過ぎた年だった。
「パティ、この子の名はオリオンというの。まだ生まれて五か月なのよ。動き回って悪戯ばかりするけれど、人懐こいのよ。挨拶をしてあげてくれないかしら?」
第二子である王子オリオンを前に差し出すと、小さな王子は丸く可愛い手をパティに出し、うー、と言った。
パティは惹かれるように、オリオンの手に触れた。
オリオンの手は小さく温かで、少し湿っていて、柔らかかった。生まれて間もない人間の手はなんて心地良いのだろうとパティは思った。その小さな手からは命の息吹のようなものを感じた。
「オリオン王子、はじめまして。あなたのように小さな子に会うのは初めてです」
オリオンの手に触れていると、先ほど胸を占めていた鬱々とした思いは消え、ふわりと温かな気持ちで満たされていく。
「セトラの無礼を許してちょうだい、パティ。あの子はあなたに嫉妬したのよ」
「……嫉妬?」
「ええ。セトラはアルタイア王子に会えることを楽しみにしていたの。だけどあなたが一緒だったから、びっくりしたのね」
王妃は母親の顔で、ため息交じりに言った。
「さ、パティ、あなたも入って。旅の話を聞かせてちょうだい。その内にアルタイア様も戻るわ」
アイビーの連れの召使いが扉を開き、アイビーはオリオンを抱いたまま城の中へと誘った。王妃は人懐こく朗らかで、パティは救われた思いで彼女の後をついて行った。
暫くセトラに引っ張られ着いて行ったアルは、客間に飾られた紳士用の正装を見せられていた。
「あなたのために
セトラは、その服に袖を通したアルを想像し、うっとりと言った。
その正装は白を基調とした軍服で、紐飾りは金色でベルトと短いマントは臙脂色だった。
アルは少し迷っていた。服とは言え、高価な品だ。これを受け取っていいのだろうか、と。
確かにアルは正装など用意していない。しかし旅の最中なので、それを理由に正装を着るつもりはなかった。
実際、この旅は贅沢を禁止し、ごく一般の格好で出向くことを各国の王たちには予め書状で知らせてもいる。
「ねえアル、お願い。私、これを着たあなたと踊りたいの。どうか受け取って」
セトラはアルが返事に迷っているのを見て、アルの手を取り、懇願した。
セトラの心配そうな顔を見て、アルは優しく頷いた。
「セトラ、有難う。喜んでこれを着させてもらうよ」
アルの誰にでも平等な優しさは罪だということを、本人は気づいていなかった。
セトラは良かった、と言い、胸に手をあててほっと息をついたところで、背後に執事を連れた小太りな中年の男が現れた。
男はダークブラウンの長いストンとした民族衣装風な繋ぎの服を着て、刺繍の施された長いガウンを羽織っていた。
美しいアイビー王妃にはどう見ても不釣り合いだが、彼は紛れもなく、グリーンビュー国王、ダイス・エルバス・グリーンビューであった。
「ダイス王、お久しぶりです」
アルは少し驚き、突如やってきた王に急いで頭を下げる。
「良い、アルタイア王子。頭を上げなさい。旅をしているそうだが、変わりないようだ」
「ええ。旅では大変な思いもしましたが、楽しいことも多いです。ダイス王も変わりなく過ごされていたようですね」
「会うのは一年振りほどか。背丈も伸びたな。セトラの願いを聞き入れ、感謝するぞ」
ダイスは妻と娘の虜なので、にこやかに言った。しかしその口調は、大国の王だからか、小国の王子であるアルに対して多少偉ぶっていた。また、ダイスの眼はアルを値踏みするようでもあった。
「お父様、今夜のダンスパーティーは特別なものにしてね。アルがいるのだもの」
セトラは父親に近づくと、上目遣いに言った。
ダイスは娘の我儘を可愛いと思い、仕方ないな、と彼女をたっぷりと甘やかしてきたであろう言い方をした。
アルは置いてきてしまったパティが気がかりで、少し上の空であった。
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