46 長い夜の後

「いやあ。災難でしたねえ。僕が寝ている間にそんなことが起きていたとは、驚きましたよ」

 ロベート・ガラ家の広いラウンジで、アランは包帯を巻いた兄ネオと、同じく背中に怪我をした年若い王子に言った。


 ネオは、弟の相変わらずののんびりとした口調に苛々とした。

 あの騒ぎの中、何も気づかずに寝ていたのは二つ下のこの弟だけだった。


(全く、呑気なものだ。いや、気づかない振りをしていたんじゃないだろうな)

 召使いの淹れた紅茶を口に運んだネオは、弟のことを訝った。


「アラン殿は運がいい。あの騒ぎに巻き込まれずに済んだのだから」

 ネオの代わりに、その場にいたアルが口を開く。


 あの悪夢のような長い夜が訪れた日から、二日が経っていた。


 ネオとアルは、医師から手当を受けたが、まだ背中の腫れと痛みは引いていない。それでも二日前よりは格段に良くなっていた。


「はは。昔から運はいいのですよ、僕。アルタイア王子、怪我が治るまで、まだ暫くうちでゆっくりしてくださいね」

「そうしたいが、明日にでも出発しなければならないんだ。もう随分と予定が遅れているのでね」

 アルは申し訳なさそうに言った。

「明日、城へ寄ってからムーンシー国を発つつもりだ」

「そうですか、それは残念です」

 アランはがっかりと肩を落とした。

「どうしてアランが残念なんです?」

 ネオはつい、弟の言ったことに難癖をつけた。 

「嫌だなあ、兄上。残念がるのはナターシャですよー」

 アランは、すっかり人が変わったように明るくなり、庭でパティと散歩をする妹を窓から眺めて言った。


 窓の外の園庭には、まだ傷が癒えていないパティが、ナターシャと一緒に芝生を歩き、笑い合って雑談をしている姿があった。

 ナターシャは、元の明るく無邪気な妹に戻っていた。

 ネオはそのことを心から嬉しく思い、自我を取り戻した妹に慕われるパティに、ずっとここへ居てもらいたいとまで思った。


「ナターシャはすっかり元気になって、本当に良かった」

 アルも窓辺に立ち、二人の姿を見つめた。

「ええ。それにしても天使とは不思議な力を持っているのですね。もしかすると、パティ様にはまだ私たちの知らない力が備わっているのかもしれません」


「――そうかも知れないな」

 ネオの言葉にアルは呟いたが、しかしパティは、自分の能力のことは無自覚だった。どんな力かも、本人もわかっていないだろう。


「アルタイア王子、これから私と一緒に母上のところへ行きましょう。話があるそうです」

「カーネリア様は、しかし酷い怪我をしておられたが……」

「怪我はまだ酷いですが、元気ですよ。相変わらず煩い小言を言っています」

 ネオは皮肉めいた笑みを作った。

 


「失礼いたします、母上」

 ネオとアルは揃ってカーネリアの自室へと入った。


 カーネリアは豪華な天蓋のついたベッドで体の上体を起こし、寝間着にカーディガンを羽織り、口紅と眉墨だけの化粧をしていた。カーネリアは体の至るところに包帯を巻き、また、露出している箇所にも痣や傷があり、痛々しい姿だった。腕の骨も折れているようだ。


「アルタイア王子、このような格好で申し訳ございません」

「いいえ、そのようなこと、お気になさらずに。傷は大丈夫なのですか?」

「ええ、酷い有様ですけれど、気分はいいのですよ。体を覆っていた重しが消えたようで、清々しいですわ」

 カーネリアは笑んだ。


 カーネリアの母は巫女の家系の生まれで、魔のものを感じ取る力があった。

 カーネリアもまたその力を引き継ぎ、パティのように魔の気配を感じ取っていたのだ。しかしその異常を感じ取る力は曖昧で、どこから負の影響を受けていたのかわからず、ただ体の不調だけがカーネリアを乗っ取っていた。だが今は、魔の気配が消えたため、彼女の体は軽くなり、心までもが晴れやかだった。


「母上、話というのは――」

「ネオ、この屋敷に伝わる宝物のことです」

「ああ、あの腕輪のことですか」

 宝物を軽んじる言い方の息子に、カーネリアはさっそくむっとした。

「あれはただの腕輪ではありません。神の力を得た道具なのです。世界に散らばる神具の一つ、“光明の腕輪”です」

「大層な名前ですね」


「それは本来、ムーンシー国の城にあった宝物でしたが、昔、国を救ったロベート・ガラ家の先祖に贈られました」

 カーネリアはネオのいうことを無視し、話を続ける。 


「神具は全部で七つあり、各国に保管されていると伝えられています。散らばったそれらの神具を集めた者は、多大な力を手にすると言われています。もし、その力を魔の者が手にすれば……」

「それは、伝説の類ではないのですか?」

 今度口を開いたのはアルだった。


 神具のことはアルも知っていた。しかし、それはあくまで国の平和の象徴ともいうべき存在で、何者かに盗まれた宝物も存在すると聞いた。各国ともそれを重視しているとは思えなかった。


「ええ、確かにそれは伝承に過ぎません。我が家の歴史書にもあります。これは信じるに値する記述です」

 カーネリアはそこで言葉を切り、ネオを見た。

「それからネオ、あなたは自らロベート・ガラ家の宝物を魔のものへ差し出した。責任を取りなさい」

 カーネリアはぴしゃりと言い、ネオに厳しい顔を見せた。ネオは母に睨まれ、萎縮した。

 母のこの上から物をいう姿勢がネオは苦手だった。


「責任とは……家督を継げということですか?」

 カーネリアはため息をついた。

「そういう話ではありません。腕輪を取り戻すのです。メイリンは、またアルタイア様を襲ってくるかもしれませんから、腕輪を取り戻すにはアルタイア様に着いて行かれるのが良いでしょう」

「――え?」

 ネオもアルも、カーネリアの言葉に驚きを隠せず、口を開いてしまった。


「母上、今、何と仰いましたか?」

「聞こえなかったのですか? アルタイア様について行きなさい。無論、贅沢は許しません。最近のあなたは稽古もままならず、毎夜ふらふらと遊び歩くばかりか、女性との関係もだらしなくて、本当にみっともない。それに比べてアルタイア様はまだ十五歳だというのに、本当にご立派です。質素な旅は、地に足のついた人間になる良い機会です。あなたはもう結婚してもおかしくない、いい大人なのですからね」

 カーネリアは途中からつらつらと小言を吐き出していた。


「……ということは、私に旅に出ろと?」

 ネオは眼を丸くして訊ねた。

「そう言いましたが」

「あ、あのー、カーネリア様、僕には大切な役目がありまして。それに貴族のネオ殿を連れて行くのは目立ちますし――」


「アルタイア王子、ご心配には及びません。ネオには普通の旅人の格好をさせますので」

 カーネリアはにっこりと笑んでいた。彼女には有無を言わせぬ迫力があり、アルはその提案を否定できなかった。

「しかし、もしメイリンが襲ってきたら、ネオ殿も危険です」

 めげずに、アルは遠回しに断ろうとした。

「そうですね。けれどアルタイア様も同じでしょう? それならば、ネオがいた方が良いのではないですか。それに、宝物をあのメイリンという娘が集めているとすれば、阻止しなければなりません。アルタイア様、どうか、お願いいたします」

 カーネリアはアルの手をとり、懇願したので、アルはそれ以上断る口実を探すことができず、つい、わかりました、と言ってしまった。


 アルが断らなかったので、ネオはすぐに口を挟もうとした。

 しかし、ネオは旅に興味があった。

 ムーンシーからほとんど出たことがないネオは、国で舞い踊り、遊ぶ暮らしにも飽き飽きしていたところだった。ネオは自由気ままに生きてみたかった。それに旅に出れば、今までよりも気楽に女遊びもできるだろう。勿論、アルについて行くならば全く自由という訳ではないだろうが、旅先での恋というものを味わってみたい。

 あの美しくも恐ろしい娘がまた襲ってきたらと思うと躊躇もするが、それよりも、旅の魅力の方がネオには勝っていた。


「母上、初めて、あなたのいうことに賛成しますよ。アルタイア様、私からもよろしくお願いいたします」

 ネオが右手を胸の前に置き、足を交差させ、深い礼をしたので、アルは諦めたように頷き、

「これからは僕のことはアルと呼んでくれ。僕もネオと呼ぼう」

と、腹を括って言った。

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