41 リンの正体

 リンは鞭を一度打ち付けた。

 ひゅん、と空気が唸る。

 リンは大きく息を吸い込み、右手に鞭を持ち、少し横に伸ばして、鞭の棘に触れないようそっと左手を添えた。

「魔物を倒したとは言え、あなたは私には敵わない。私はずっと戦いの中に身を置いていたもの」


 リンは鞭を振るい、ネオに向かって攻撃した。

 ネオは鞭を避けたが、避けた反対側からリンは素早くまた鞭を振るい、ネオの背を打った。

「ぐあっ……」

 ネオはその鞭のあまりの痛みに声にならない叫び声をあげた。


 まるで鉄の塊にでも打ち付けられたような重さと、鋭い棘はネオの背の服を破り、皮膚を抉った。

 リンは獲物を狙う豹のような眼をし、続けて腕を交差させ、再び鞭をネオ目掛けて繰り出した。鞭はしなりながらネオの正面に飛んでくる。


(くっ、避ける間がない……!)

 しかし鞭はネオにぶつかることはなく、直前で防がれた。

 アルがネオの正面に出て、剣で受け止めた。


「大丈夫か?」

 アルは背後のネオに声をかける。

「はい……。アルタイア様、あの、先ほどは――」

「そんなこと、気にするな。今はこの場を切り抜けることを考えよう」


 リンは攻撃を受け止められたが次の攻撃に移ることはなく、ネオのある部分を見つめていた。

「力を感じるわ。宝物はそのブレスレットなのね」

 ネオは意外そうに僅かに眼を見開き、自分の左手に嵌められた金の腕輪を見た。

「これが宝物? 確かにこれは父から譲り受けたものではありますが――、こんなものが欲しいのですか?」


「だ、駄目です……ネオ」

 カーネリアはパティに支えられながら、息を漏らすが、ネオは無視した。

 それは見た目にはただの金の腕輪だった。

 ネオは不思議な力を感じたことも、これが特別だと思ったこともない。


「こんな腕輪が欲しいならあげますよ。そのかわり、ナターシャを元に戻してください」

「――いいわ」

 リンはネオが外したその腕輪を受け取り、嵌める代わりにポケットにしまった。 


 リンは、素知らぬ顔で嘘をついた。

 ナターシャを、リンは心も行動も思うまま動かした。まだ精神的に未熟な少女の心を無理に絡め取ったため、例えナターシャの心を縛っていた楔を外したところで、傷をおった少女の心は前のようには戻らないだろうこともわかっていた。

 ナターシャはどうせもういらなかった。

 使い手としては力がないし、屋敷のことを把握した今、自分には人質など必要がないのもわかっていた。

 

 リンは一定の力のない人間を2、3人操ることができた。

 その者の心を虜にできる。しかし操れない人間もいた。

 意思や精神が強い人間――、カーネリアも、恐らくネオも操れないだろう。だから宝物の在処はわからなかった。


 リンはナターシャの眼を見て、指を鳴らした。

 合図を聞いたナターシャは意識を失い、その場に崩れ落ちた。

 ネオはナターシャの体を抱き留めた。

 妹の体はひどく冷たく、まるで人形のようだと思った。しかしナターシャの手首を握ると、とくん、とゆっくり脈が打っており、ネオは安堵した。


「その腕輪をどうするつもりだ?」

 アルが訊ねる。

「お前には関係ない」

 リンは、暗い闇の中の獣のような声で言った。

「リン、君はなぜ魔物を連れていた? どうしてこんなことを。君は人間だろう?」 


 リンはアルたちに背を向けていた。

「ええ、そう。私は確かに人間だわ。選ばれた人間でもある。だけれど、神から選ばれた人間だからって、それが何?」

 彼女はまるで噴き出す怒りを無理に押し込めているようで、ほんの些細なきっかけで、その怒りは煮え滾るだろう。

「その力で多少、自分の命を護ることはできる。でも私の目的を果たせはしないわ」

「目的……?」


「私はね、こんな世界は壊してしまいたいの。くだらない戦争を引き起こし、命を無駄に奪う王族、地位や名誉や金欲しさに平然とそいつに従う輩……」

 リンは流暢に話しながら、しかし隙は見せなかった。


「ねえ、アルタイア。ラスティル王はね、お前を利用してブラッククリスタルを手にしようとしているだけではなく、それを足掛かりにメイクールごと手にする気でいるのよ」

 くすりと笑ったリンを、アルは驚きの表情で見つめていた。

「人は醜いでしょう? 特に王族なんて、自国のことー、いいえ、自分のことしか考えていないのよ」

「君がそう仕向けたんだろう。ラスティル王はそんな人ではなかった」

 アルは剣を構え、きっぱりと言った。


「人は弱いが、醜くはない。だがその弱さに付け込み、人や、まして幼い少女を操り、己のしたことを正当化する者は身勝手な悪でしかない!」

 アルの言葉は雄々しく、凛々しかった。

 怯むことのないその口調は清々しくもある。


 リンは、自分の中で冷静さを保っていた一本の線がぷつりと切れた音がした。

「……偉そうに私に説教を垂れるな! そもそも、誰のせいだと思っている!? 私から大切なものを奪った元凶である、お前たちメイクールの王族が!」


 リンの形相は鬼のような面だった。

 怒りに歪んだ顔、憎しみに彩られた眼は血走っていた。


(なんだ……? 急に顔つきや口調が変わった)


「やはり君は僕のことを知っているんだな? リン、君は一体何者だ?」

「ああ、私は知っている! 例えお前が忘れていても、お前も、お前の父親のことも私は一日足りとも忘れたことはない!」

 アルはリンの怒鳴り散らす言葉に、身じろぎせずに聞いていた。彼女の怒りや憎しみが体中を突き刺すようで、アルは動くことができなかった。


「私の家族を葬った国の王の血を引きながら、自分には関わりのないことだと素知らぬ振りをし、のうのうと生きてきた王子よ! お前にはどうでもいいことなのだろう、滅びた国の、殺された者たちのことなど!」

 リンは赤い瞳を血走らせ、言い放った。

 その口調は町の娘とも貴族のそれとも違っていた。それは位の高い者が目下の者に命じる口調そのものだった。

 彼女は長い間、その言葉遣いを封じていた。

 彼女は幼い頃、一国の女王となるべく躾けられていた。


「まさか……、君は、メイリンか?」

 アルは、記憶を手繰り寄せ、とある滅びた国の王女の名を口にした。


「ええ、そう。私の本当の名は、メイリン・ブリオッシュ・ファントン」

 南西大陸、ファントン国。

 その国はもう存在していない。

 メイリンは、深い憎しみと悲しみに染まった心を隠すことなく、もう8年も誰にも告げていない真の名を口にした。

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