39 ネオの戦い
カーネリアを掴んだ魔物の赤黒く光る眼は大きく、体毛に覆われた体は獣臭かった。
(今夜はどうなっている……? なぜこんなことに――)
ネオは、まるで夢でも見ているような気分だった。
フレデリカはひっ、と悲鳴を飲み込み、口を押さえた。
「アルタイア王子、その子を放して」
リンは高圧的に言った。
「放さなければどうするんだ?」
「ふふ。優しい王子様でも意地悪なことを言うのね。何もしない、私はね。ただ言っておくけれど、カーネリアは私にとってはどうでも良い存在よ」
「……わかった。その人に手荒な真似をするな」
アルはナターシャから手を離した。
ナターシャは唇を噛み、憎らし気にアルを見たが、素早く距離をとった。
リンは近づいたナターシャに何かを囁くと、少女は一瞬惚けたようにぼんやりとした眼をし、次いで、落ちた剣を拾うと、それを己の首元に突き付けたのだ。
「な、何を……?」
ネオだけではなくそこにいた者は困惑した。
「この子はね、私の意思で動かせるの。私が戦えと言えば戦い、死ねと言えば
「な、なんだと……!」
ネオは歯をぎり、と噛んだ。
「ネオ、落ち着け」
アルはネオの前に腕を出し、今にもリンに飛び掛かりそうになるのを制止させる。
「そうね。王子様の言う通りよ。アルタイア、お前もじっとしていて。何が起きても」
そういうとリンは背後に控えた魔物に、顎を前に振り、行け、と合図をした。
魔物はぐるる、と鳴き、カーネリアを掴んだまま飛び上がり、ネオの前にどすっと着地した。
「ネオ、あなたの実力が知りたいわ。この魔物を倒して見せて。アルタイアの手を借りずにね」
リンの言葉に、ネオは紫色の瞳を見開いた。
(戦うだって? 冗談じゃない! 魔物など、どう戦えというんだ……)
ネオは自分の身長をゆうに超えるであろう魔物を見上げる。その巨躯の身体は分厚く、ネオの持つ細い刀身の剣では刃が刺さるかも定かではない。
「ネオ、あなたのすべきことをしなさい。王子とともに、戦うのです」
その時、息子の不安を察したのか、カーネリアが魔物の太い腕の中で微かな吐息のような声を発した。
体は動かせないようだが、彼女の眼は強い意思と生命力があった。
(戦う? 私が?)
剣術は確かに一通り習った。しかしそれは魔のものと戦うためではない。貴族である己の身を護るためだ。
それにネオは人間以外の者を相手にしたことなどない。人間相手ですら、真剣な試合をしたこともなかった。
「あなたの剣舞は、魔のものに通用する。その舞は、魔のものを倒すために作られたのです」
カーネリアは更に言葉を紡いだ。荒い息の下から必死に声を絞り出す。
「母上――」
ネオは大きく息を吐き、刀身の細い剣を抜いた。
(確かにそうだ。ナターシャを人質に捕られている以上、戦うしかない)
己の命を護るため。ナターシャや母を救うため。状況を打破するために。
ネオは落ち着きを取り戻し、戦うことを受け入れ、魔のものを倒す決意を固めていた。
ネオは片腕を突き出し、剣を構えた。
もう片方の腕は顔の前で拳を握る。片方の足は膝で曲げ、もう片方に沿わせた。その格好は舞の踊り出しと同じだった。
「剣舞、鼓動」
ネオは優美な足運びで徐々に魔のものに近づき、あと二足、というところで一気に踏み出し、剣を魔物の心臓目掛けて突き出した!
ドシュッ!
魔物は見た目よりも素早く、ネオの剣を避けたが、避け切れず魔物の腰に刺さった。
魔物の腰から血が噴き出し、ぎゃあ、という叫び声が耳を劈く。
魔物は掴んでいたカーネリアを放り出し、剣を強引に腰から引き抜き、剣を投げ捨てた。
剣を掴んでいたネオはその衝撃で後方へ吹き飛んだ。
バンッ!
ネオは地面に叩きつけられた。
「ネオ!」
パティが叫ぶ。
アルは歯を食い縛り、剣を構えてネオのところへ行こうとした。
「アルタイア、動かないで! この子、殺すわよ!」
リンが叫び、彼女はナターシャに眼をやる。するとナターシャは首に触れていた剣をぐっと押し付けた。小さなナターシャの首から、鮮血が滴り流れる。
「やめて!」
たまらず、パティは叫んだ。
アルは仕方なく、ネオに加勢することは思いとどまった。
(このまま見ているしかないのか?)
アルは歯がゆい思いで剣を片手に立ち尽くしていた。
それにしても、リンの自分に対する態度は、ネオやパティにする態度とは異なり、嫌悪感が滲んでいた。憎んでいると言っていい。
(間違いない。リンは僕を知っているんだ)
アルは、薔薇色の髪をした女をちらと見やった。
パティは、魔物が手を離したので解放されたカーネリアに駆け寄り、背中を起こして、
「大丈夫ですか?」
と声をかけた。
カーネリアは額や腕、膝に打撲や血の跡があったが、動けないほどではないようだった。
パティが動いてもリンは何も言わなかった。
小さな天使がどう動こうが、どうせ何もできないだろうと思ってのことだろう。それに人質ならもうナターシャがいる。
リンがカーネリアを解放したのはそのためだった。
カーネリアはぜいぜいと荒い息を吐き、倒れたネオを見ていた。
ネオは背中を打ち付け、その時は痛みに顔を歪めたが、それは一時のことで、痛みはそれほど大袈裟なものではなかった。
魔物が倒れたネオに向かって行く前に、彼は立ち上がり、再び剣を取った。
(避けられたが、それでも剣は刺さった。やれる!)
魔物は腕が自由になったことで四つん這いになり、四足で素早く走った。獣そのものだ。
向かってきた魔物は腕を突き出しネオを捕えようとしたが、ネオはそれをひょいと避ける。
続け様に魔物は腕を交互に伸ばし、爪で攻撃してくるが、ネオは飛び上がったり態勢を低くしたり、横に飛び退いたりして魔物の攻撃を避けた。
ネオは自分でも驚くことに、魔物の動きを見切り、簡単に避けられた。
なぜか負ける気はしなかった。
「剣舞、全霊」
ネオは先ほどとは打って変った、激しく地面を打つような足運びで魔物に向かって行き、剣を持つ腕を後方へとやり、魔物に触れる直前、腕をぐるりと上に回した。
両腕で剣を持ち、魔物の身体を肩から下肢に向かって切った。魔物は、
「ギャアアア!」
と恐ろしい断末魔の叫び声を上げ、その場に崩れ落ちた。
ネオは動かなくなった魔物を一瞥し、剣を一振りし、剣についた血を払い、リンを睨んだ。
「リン様、降伏した方がいいですよ。女性を傷つけるのは好きではありませんからね」
ネオは剣の切っ先をリンへと向け、乱れた髪を掻き上げた。
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