29 ネオ・ロベート・ガラ 後半
少数の楽団は、ネオの舞う曲を奏で始めた。
まず太鼓の音が小さく鳴り響き、それに合わせる形で弦楽器と笛の音が重なる。
そこでネオはすっと立ち上がり、踊り始める。
息を飲むほどに美しい動作で、周囲の執事や召使いからも溜息が零れた。
アルもパティも、固唾を飲んで見つめていた。
演奏は始めは静かに、徐々に盛り上がっていき、太鼓も大きく唸るように鳴り、ネオの動きも機敏に早くなっていった。
力強く滑らかな舞いは、手足の先まで感情がゆき届き、優美な動きと鍛えられた肉体によって生み出されるそれは、まさに国の宝と呼ぶに相応しい芸術だった。
「なんて素晴らしいのでしょう」
パティは頬を紅潮させていた。
それは街娘の踊りとは全くの別物だった。
娘の踊りも素敵だったが、比べてしまうと、付け焼刃の小手先の踊りに思える。
ネオの舞は魂を揺すぶられる。
ネオは長身で、踊りのために鍛えられた体躯は筋肉質で男性的だが、整った顔立ちや醸し出す色気と長い髪のせいか、中世的な美しさがあった。
またその筋肉も踊りのために身に付いたため、兵士や戦士のそれとは違い、しなやかな筋肉だった。
ネオは二十分ほど踊り続けた。
その場の者は一体となるほど魅了され、舞い終えたネオには賞賛の拍手が与えられた。
「ネオ、素晴らしい舞だった」
王の拍手を皮切りに、アルもパティも、拍手を贈った。
「また腕を上げたな。同じ曲でも見る度に表情が変化する。本当に面白い男だ」
王はネオを褒め称え、声音には尊敬の念があった。
「ええ、実に。圧倒されました」
「ネオ、本当に素晴らしかったです。舞を見せてくださってありがとうございます」
パティは肩で息をするネオにお辞儀をすると、ネオはパティの元へと歩き、跪き、彼女の手の甲にそっと口づけた。
それは他意のない挨拶だったが、パティは一瞬、ぽかんとした。
「天世界ではこのような挨拶はしないのですか? これは失礼いたしました」
ネオは落ち着き払ったまま、言った。
「ところでアルタイア王子、今夜の宿は決まっているか?」
「いえ、それはまだですが、旅人用の宿を町で見つけるつもりです」
アルの言葉にラスティル王は眉を僅かに寄せた。
「それは良くないぞ。メイクール国の王子をそのようなところに泊まらせる訳には行かぬ」
「いえ、この旅は修行の一環でもありますので、身分は隠しているのです」
「いや、このムーンシーにいる限りはそのような扱いは私がさせない。どうだ、ネオ。お前の屋敷にアルタイア王子を招待するというのは?」
ネオは王に思わぬことを言われ、少しの動揺を見せた。
「我が屋敷へ、ですか?」
「何か不都合でもあるか?」
問うたネオに、逆にラスティルは問い返した。
「ラスティル王、突然のことなのでネオ殿も困るでしょう。どうかお気になさらずにー」
と、動揺を見せたネオにアルは助け船を出すと、
「いいえ、アルタイア王子、どうぞ、我が屋敷へお泊りください。メイクールの王子をご招待できるとあらば、母は喜ぶでしょう。今すぐとはいきませんが、夜までに従者に迎えに来させます」
ネオはすぐに平常に戻り、アルタイアの顔を見ながら、はっきりと言った。
「いいのか、ネオ殿?」
「勿論です。我が屋敷は古くからの貴族の家柄、王子や、天使様が寝泊まりするに充分なもてなしをご用意いたします。それとー」
ネオは一旦言葉を切り、
「私のことはネオとお呼びください」
と言った。
「ああ、わかった、ネオ。その好意を受けよう。感謝するよ」
アルは柔らかに言葉を紡いだ。
ネオは恐れ入ります、と言い、片足を後ろに下げ、身を低くして軽めに礼をした。
「そうと決まれば今日は私との食事に付き合ってくれ、アルタイア王子」
ラスティルはぱん、と手を打ち、晴れやかに言った。
「では私はこれでー」
ええ、と言ったアルの横で、さり気なくネオは退散しようとする。
「ネオは一緒に食事をしないのですか?」
パティは無垢な顔で、ネオに訊ねる。
「はい、申し訳ございません。アルタイア王子たちが訪れる旨を屋敷の者へ知らせないといけませんので。それに、実は、ここのところ母が具合を悪くしていまして、様子を見に、一度屋敷に戻ります」
「本当か? そんな時に屋敷に行ってもいいのか? 迷惑になるならー」
アルは心から心配そうな表情になる。
「いいえ、少し風邪を拗らせただけだと医師は申しておりました。母の性格ですと、他国の王子を招くことを心から喜ぶでしょう。母の風邪がうつらぬよう配慮致します。どうか、お気になさらずに」
「そうか。・・わかった。母君によろしく伝えてくれ」
「かしこまりました」
その話し方や先ほどからの態度で、ネオはアルの人柄を理解していた。
(人から好かれ、また穏やかで利発な王子だ)
蜂蜜色の瞳には優しいだけではない、王たる風格を備えた強い意志が備わっている。
ネオは他の者たち同様、アルに惹かれた。
しかしそれは好意的なばかりではなかった。
ネオは、アルを値踏みしていた。
一国の王子がどれほどの器量を持っているのか、確かめようとしていたのだ。
「明日は私が町をご案内いたしましょう。アルタイア王子、パティ様、では後ほど。王との会食を終える頃、従者を向わせます」
そういい、ネオが丁寧なお辞儀をした後に退散すると、ラスティルは口火を切る。
「ネオが会食に出られないのは残念だったが、その代わり、私が心から信頼している者を同席させよう」
ネオと入れ替わりに玉座に訪れたのは、肩を露出し、胸元が少し開いた青いマーメイドドレスを身に纏った美しい女性だった。
それは見覚えのある女性で、街についてすぐ出会った、薔薇色の髪をした赤い瞳の踊り子だった。
「あなたはー」
パティは驚いた顔をし、アルは意外そうに彼女を見た。
「アルタイア王子、パティ様。私の名はリン・ガーネットと申します。またお会いできて、光栄ですわ」
リンは、初めて会った時と同じように微笑み、少しの動揺も驚きも感じられなかった。
彼女は至極自然な仕草でドレスの裾を持ち上げ、街で会った時とは印象の違った様子で、淑やかにお辞儀をした。
「リン。街の時とは違ったドレスですね。よくお似合いです」
パティは言い、同じように礼をした。
(どこか見覚えがある気がするが)
アルは再び見たリンの顔に、何か引っかかるものがあった。
しかしこの闇の中に浮かぶ赤い瞳にはまるで覚えがないし、リンという名にも記憶は蘇らなかった。
(気のせいかー)
アルは、少し考えた後で、そう結論づけた。
リンは確かにアルの過去の中に生きていた。
しかしそれはあまりにも古い記憶で―、そしてその後に起きた衝撃的な出来事のせいで、彼の中からその存在はほとんど消えていたのだ。
アルにはその時、分からなかった。
リンがどのような思いで自分と向かい合っていたのかを。
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