25 北東大陸~旅路・ムーンシー国~

 船がその足を止めたのはおよそ十日後のことだ。

 

 まだ陽が昇りきらない時に、船は汽笛を鳴らし、北東大陸へと辿り着いた。

 あの嵐の日以来、大変なことは特になかったが、船での日々は、パティは退屈ではなかった。


 アルと色々なことを話し、仲良くもなれたと思う。

 アルはロゼスのようにパティに冷たい態度を取ることもなく、常に優しく穏やかで、怒ったりもしなかった。

 けれど解りやすかったロゼスとは違い、アルがパティをどう思っているかは正直よくわからなかった。

 ただアルはパティと同じで話を聞くことが好きなのだということはわかった。


 船では時間があったので、今までのことを話すと、アルはパティとロゼスの旅の話を楽しそうに聞いていた。

 アルはあまり自分のことを話さなかったが、パティの話を聞いていると、時折、蜂蜜色の瞳を輝かせたり、興味深そうに質問してきたりした。


 アルはというと、パティのことは少し厄介だと感じていた。

 パティの旅の話は面白く、数日の間にお互いを知ることもでき、慣れない者同士の緊張というものはなくなっていた。


 しかしパティはアルに世話を焼かせることも幾つかあった。

 ベッドが一つしかないので、アルがパティにベッドを使ってくれというと、パティは、「一緒に寝ましょう」と言ってアルを困らせたり、船の中を歩き回って迷子になりかけたり、飲んだことのない酒を飲み、急に倒れたりした。


(パティって、トラブルメーカーか……?)


 アルはそんな不安を抱きつつあったが、パティはそう思われていることなど想像してもいなかった。


「着いたのですね、北東大陸へ!」

 そして十日後の明け方、船は汽笛を鳴らして港へ到着した。


 パティは夜明けまであと僅かな時に、叫ぶ。

「アル、起きてください! 着きましたよ、北東大陸に!」

 パティは床に寝転んだアルを揺すぶって起こした。

「あ、ああ、そうか。起きるよ」

 アルは目を擦り、寝ぼけまなこでぼんやりと言った。


 アルはさっきまで熟睡していた。

 本来、アルは剣の訓練で疲れ切った日でもほとんど熟睡することはなかった。


(ここ数日、よく眠れる)


 それはパティと会ってからだと、アルも気づいていた。


 パティに急かされつつ、二人は新たな大陸へと降り立った。


 二人はムーンシー国の城下町を歩いていた。

 北東大陸の港町は歌と踊りに溢れ、陽気な音楽がどこからともなく流れていた。


「アル、これからどこへ行くのですか?」

「これからこの大陸のラスティル王に会いに行く。聞いているかもしれないが、僕は各大陸の国王に会うため、大陸を巡るんだ。この旅事態、王になるための試練でもあるから、金貨はあまり持たず、少ない旅の資金でやり繰りしている。だからあまり贅沢な旅ではないがな」

 と、アルはパティを見て肩を竦めた。


 しかし、それも名目かもしれない、とアルは思った。

 元々メイクール国には金貨が有り余っている訳ではない。

 王家の財力は七大陸の中でも下位に位置しているだろう。


(最低限の金貨で巡る旅は、この先、贅沢をしてはならないという教示だろうか?)


 だがそれもいい、とアルは思う。

 王子という身分を隠し、民衆と同じテーブルで食べ、同じ目線で話す。

 王子の重圧も旅の間は忘れられる。

 いずれアルは王への道を辿ることになる。

 しかしそれはこの先王になるための糧となり、またそのような旅をすること自体、貴重な経験となり、己の励みになるだろう。

 

 北東大陸、ムーンシー国は、小国だが海に囲まれた美しい国だ。

「パティは七大陸のことを知っているのか?」

「えっと……地上は七つの大陸に分かれていて、それぞれの大陸の国王、大陸王と呼ばれる者が納めていると――。だけれど、地上の文献は天世界にはあまりなく、地形や七大陸の国がどのような国かは知りません」

 パティは視線を落とした。


「気にすることはないよ。これから訪問する各大陸で、それぞれの大陸や国を知ることができるんだ。きっと君にとってもいい経験になる」

 アルは相変わらずの穏やかな表情をしていた。

「はい」

 パティはアルの言葉が嬉しかった。

 こんなふうに人を励ましたり優しい言葉をかけることができるアルは、心根の美しい、素敵な人間だと思った。


「北東大陸はムーンシー国という国が納めている。国の周囲には小さな村や町が幾つか点在している。歌と踊りが盛んで、楽器作りに長けた職人も多い。それから、野菜や豆類の栽培も盛んで、比較的豊かな国だ」

 大陸に上陸してから、アルは船の中よりも話すようになっていた。

 国の特徴などを教えてくれることもパティには興味深く、また話してくれることが嬉しかった。


 ムーンシー国のラスティル国王にはアルも何度か会ったことがある。

 芸術文化に精通しており、穏やかな性格だ。

 久しぶりだが、会うのは楽しみでもあった。


 ムーンシー国の城は城下町を抜け、林道の先にある。

 二人は城の方へと足を運んでいた。

 ムーンシーは賑やかな国だった。

 人々の笑い声や手拍子が鳴り、男たちは肩を組んで歌っている。


 少し進むと、魅惑的な踊り子が舞い踊り、その隣にいる浅黒い肌の男は太鼓のような楽器を打ち鳴らしていた。


 踊り子は美しかった。

 何というか、不思議と目を惹かれる女性で、その踊りの技術というよりは醸し出す雰囲気に目を奪われる。

 テンポの早い明るい曲なのに、彼女は暗い影を纏っているようなのだ。


 パティはなぜか、その踊り子の影の部分に惹かれ、彼女を見つめていた。

 踊り子はふとパティを見返し、ウインクをした。

 パティはどきりとした。


 踊り子は赤い瞳をしていた。

 赤い瞳を持つ者は、天の世界にも一人いた、とパティは思い出す。

 それは天世界を守る神の一人、炎の神、ライザだ。

 しかしライザのそれは燃えるような瞳だったが、踊り子の瞳の赤は闇の中にほんの少しだけ赤い部分が浮き立っており、まるで闇に飲まれたような瞳だった。


 踊り子は今度は隣のアルににこりと笑いかける。

 アルはそれに気づくと、踊り子にそっと微笑み返した。

 特に照れることもなく、慣れた様子だった。

 アルは王子という立場なので、民から好意的な目をよく向けられ、女性からの視線も穏やかに受け流す作法が身についていた。


「旅の人ね?」

 曲が終わり、踊り子は近づいてきて、二人に話しかけた。

 踊り子は長い薔薇色の髪をそっと掻き上げた。


「はい。先ほど船でついたばかりです。この街の方たちは陽気ですね」

 パティは明るく返事をする。


「ええ、みんな歌や踊りが大好きなのよ。王様の方針だけれど、特にこの街の人たちは王様を支持しているわ。踊りや歌に長けた人は優遇もされるのよ」

 アルは内心驚いていた。

 旅立つ前にそれぞれの国の内情を勉強していたが、ムーンシー国のそんな方針は初めて聞いた。 

「そうか。それは、平和で何よりだ」 

「平和、ね」

 踊り子はふふ、と何か含むように笑った。


 踊り子はミステリアスな瞳をパティに向け、首を僅かに傾けた。

「可愛らしい方ね。恋人同士かしら?」

「恋人?」

 と、パティは踊り子の言葉を聞き、きょとんとした。

「いや……そうではないが、共に旅をしている」

 アルは少し戸惑ったが、変わらず、柔らかな口調だった。


「そう。それじゃ、ゆっくりしていらして。また会えるといいわね」

 踊り子は深いスリットの入ったピタリとしたドレスの、フリルの裾をそっと持ち上げ、軽く礼をした。

「ええ、素敵な踊りをありがとうございます」

 パティは、笑顔で少し頭を下げる。


 そうして、アルとパティはまた歩き出した。

 しかし、踊り子は二人の様子を伺っていた。

 二人を見つめ、赤い瞳を怪しく光らせる。


「こんなところで会えるなんてね。その蜂蜜色の瞳、相変わらず綺麗ね。メイクール国のアルタイア王子。会いたかったわ」


 踊り子の娘は腕を組むようにして、両腕の二の腕部分をぎゅっと掴み、赤い唇の端を僅かに持ち上げ、楽しそうに言った。

 零れ落ちた言葉は楽し気なのに、その瞳は憎しみを映したように、また膨れ上がった怒りを押し殺したような感情が瞬いていた。

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