20 天使の誘拐、出航
パティはその頃、誘拐犯にある廃墟に連れて来られていた。
その廃墟の一階は馬車置き場になっており、パティの閉じ込められた箱はそこで開き、袋の口もようやく開いた。
息苦しさからは解放されたが、代わりにパティは縄で縛られた。
「騒ぐなよ。大人しくしていれば傷つけないぞ。大事な商品だからな」
魔族の手下の男がパティを縛りながら言った。
手を縛られ、刃物を突き付けられながらパティは二階へと連れられる。
(この人、人間……?)
どうして人間と魔族が一緒にいるのだろうと思いながら、パティは先ほどの魔族が部屋の窓辺にいることに気付いた。
「不思議そうだなあ、天使の小娘。なぜ魔族が人間と手を組んでいるのか、と思っているな?」
薄汚れた部屋の中で腕を組んで窓の外を眺めていた魔族は、パティに向かって言った。
「え、ええ。だって、魔族は人間の血肉を食らい、魂が好物だと……」
魔族の男は嘲笑った。
「ふん、所詮天使の知識なんてそんなものだろうなあ。中にはそんな奴もいるがな、人間を食らうのはほとんどが知識のない魔物だ」
「そ、そうなのですか。では、殺さないのでしたら、なぜあなたはこんなことをするのですか?」
「魔族に質問するとは、変わった天使だなあ。しかしいちいちうるせえやつだ」
魔族の男はパティを一瞥し、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ゲルマさん、そろそろ船の出る時間です」
人間の男が魔族に言うと、ゲルマはああ、と言い、パティの近くに寄った。
魔族が近くに寄ると、パティは威圧感と息苦しさを更に感じた。
「てめえはこれから船に乗せられて異国へと売られる。いいか、大人しくしてろよ。でなければ死ぬことになるからなあ!」
死、という言葉に、パティは唾を飲んだ。
しかしそれよりも、魔族が金を欲しているということに驚いていた。
金を欲しがるとは、まるで人間のようだ。
少しの間だけゲルマは窓の外を伺っていたが、手下に合図を送ると、パティは猿轡を噛まされ、足も縛られ、再び箱の中に入れられた。
パティは当然、不安な気持ちでいた。
けれどロゼスやアルが助けてくれるという思いは揺らいでいなかった。
クルミとロゼスの二人は、あれからすぐに港に向かい、出航する船を一つ残らず見張ることにした。
船は出航のピークだった。
日没前に出航することが港街カイライのルールだ。
あと一時間ほどで日没のため、今日出る船は恐らく数分の内に全て出航するだろう。
「船の荷物を確認させてもらう!」
ロゼスは、出航しようとした漁船に乗り込もうとする乗組員を制した。
「なんだと?」
「そんな話は聞いていない!」
乗組員たちは怒り顔でロゼスを睨む。
「今さらそんなことをしていたら出航が遅れちまう!
聞いてねえぞ」
「そうだそうだ! そんな取り決めはない。役人が偉そうにするな!」
船乗りたちは口々にロゼスに罵声を浴びせた。
ロゼスは、仕方ない、と、背に差した槍を抜き、文句を言った一人の乗組員にその刃先を向けた。
「ある事件が起こった。荷物を確認する必要がある。俺はメイクール国の歩兵部隊隊長、ロゼス・ラジャエルだ! いいか、これは正式な決定だ。船を出航させたければ荷物を確認させろ。これは命令だ!」
ロゼスは鋭く叫んだ。
グレイ色の切れ長の瞳は普段からあまり印象が良くないので、こういう時には役に立つ、とロゼスは思った。
「歩兵部隊隊長だって?」
「本当か? それならオレたちが敵う筈がない……」
ロゼスは旅人の格好をしていたが、その言葉には説得力があった。
普段から部下の兵士たちを怒鳴り散らしているからだろう。
文句を言っていた船乗りたちがロゼスの言葉に、一歩下がる。
「早くしろ! 俺の槍の
乗組員たちは顔を見合わせ、仕方なく、ロゼスを船に乗せ、次々と積荷の蓋を開け始めた。
しかしその間にも出航した船があった。
ロゼスはしまった、と思ったが、近くで他の船を見張っていたクルミが、
「出航した船は大丈夫だよ。知り合いの船なんだ!」
と、叫んだ。
ロゼスは分かった、といい、乗っている船全ての荷を調べた。
小型船を
この船は後回しにしたかったが順番待ちをしていたのでそうもいかない。
無事に調べ終えると、その船も出航してしまった。
アルは船のデッキでロゼスの様子を伺っていた。
アルの表情は落ち着いていた。
(王子の乗る船が出航した……間に合わなかった)
ロゼスは拳を握り締め、己の力不足を痛感していた。
しかし今はまずパティを見つけることが先決だ。
ロゼスはすぐに、次の船に取りかかった。
だが、一隻を残し、全ての船を調べ終えてもパティは見つからなかった。
(どうしてパティはいない……見落としたのか?)
ロゼスは焦りと不安の中にいた。
「ロゼス、まだ一隻残っているよ」
クルミは大きな帆船を見て言った。
だがロゼスは戸惑った。
「しかしこの船は――」
それはウォーレッド国の貴族船だった。
ロゼスは流石に
ウォーレッドといえば七大陸最大国であり、世界で最も力と財力を兼ね備えた国だ。
恐らくその船は旅行か何かでメイクール国を訪れた貴族船だろう。
「待ちなよ、この船も調べるよ!」
クルミも恐らく事情が解っているはずだ。
解っていながら、彼女は貴族船の乗組員に声をかけ、その手で肩を掴んだ。
「おい待て、クルミ。流石に、この船にパティはいないだろう」
まさか貴族の船が人攫いなどするはずない。
ロゼスがそう考えていたのは事実だ。
しかし、他にも理由はある。
貴族船を調べて、何もなかった場合、外交問題にもなり兼ねない。
「小娘、その手を離せ。無礼者が」
船の奥から黒いマントの男が現れ、クルミの手を振り払った。
男は黒い瞳と無造作に伸びた黒髪をしていた。
「この船が貴族船だと知っているのか? 問題にされたくなければその手を離しやがれ」
男は貴族船に乗っている乗組員とは思えない口調だった。
雇われた傭兵だとしても、貴族がこんな輩を雇うのか、とロゼスは不審に思う。
クルミは、顎をくいと幾つか並んだ木箱に向け、合図した。
ロゼスはそちらに足早に歩いて行く。
「やめろと言っているんだあ!」
ゲルマは叫び、ロゼスを止めようと立ちはだかる。
ゲルマは次に剣を抜いたので、ロゼスは既に槍は背に閉まっていたので咄嗟にナイフを抜いた。
ロゼスは元々ナイフを二本持っており、一本はダンに渡したが、もう一本はベルトについたままだった。
ゲルマのマントが翻り、その手が露わになった。
魔族は、見た目には人間と区別がつかない。
だが手だけは別だった。
魔族の特徴として、手が極端に
手の爪は魔族にとって凶器となるので、切ったとしても爪はすぐに伸びる。
「ま、魔族だ!」
「なぜ魔族がこんなところに……」
周囲にいた者は男の手を見て魔族だと知り、恐れ、逃げて行った。
「余計なことをするなあ、この兵隊が!」
ゲルマは叫び、剣を構えロゼスに飛び掛かった。
ガキッ!
ロゼスはナイフでゲルマの剣を受け止めた。
(重い!)
剣を受け止めたまま、ずざざざ、と、ロゼスは数メートル後方に飛ばされた。
それを見たクルミは素早く腰の短剣を抜き、木箱に向かって走った。
「逃げろ、クルミ!」
ロゼスはようやく剣から逃れ、叫んだ。
ゲルマの手下がクルミが木箱に行くことを阻止しようと彼女に向かっていく!
クルミは短剣を構えたまま、向かってくる手下の真上に飛んだ。
手下もロゼスも口を開けた。
クルミは軽く飛んだだけのように見えた。
しかし実際は手下の男の数メートルも上空へと飛び上がっていたのだ。
クルミはふ、と笑い、ショートソードの刃を下に向け、手下の真上で構えた。
「うわあああ!」
手下が情けない声で叫ぶ。
「命が惜しいんだったら戦いを挑むなんてやめなよ!」
クルミは叫び、手下の男に切っ先が当たる前に、その剣の向きを変え、柄の部分で男の頭を殴りつけた。
クルミはすたっと着地し、そのまま木箱へと走った。
殴られた手下の男は気絶していた。
ロゼスはクルミの常人離れした戦いぶりにあっけに取られたが、すぐに意識を魔族へと向けた。
ゲルマはぎりぎりと唇を噛みしめ、再びロゼスに襲いかかった。
クルミは幾つかある木箱を強引に開けていき、開けにくい木箱には短剣を突き立て、べり、と剥がすようにその蓋を開けた。
すると、その一つの木箱の中から手足を縛られ、猿轡を噛まされた天使の姿が現れた。
「パティ!」
クルミはパティを引き摺り出し、手足の縄を切り、猿轡を外した。
パティの顔は青白かったものの、怪我はないようだった。
「パティ、大丈夫!?」
クルミはへたり込んだパティを揺さぶった。
パティは猿轡や木箱の中にいたせいで息苦しかったため、肩で息をしていたが、少しすると、呼吸は整っていった。
「クルミ……どうしてここに?」
「パティが攫われたって知ってロゼスとあんたを探していたんだ。それより動ける? 魔族との戦いはまだ終わってないから、ここにいたら危険だよ」
「は、はい。大丈夫です」
パティはこくんと頷いた。
残っていたゲルマの手下が、二、三人、一斉にクルミとパティに向かってくる。
「クルミ、パティ!」
ロゼスはゲルマの二撃目を受けつつ、横目で二人の姿を追う。
「ロゼス、こっちは大丈夫だから! あんたはそいつに集中して!」
「分かった、パティを頼む!」
ロゼスは、クルミの戦いぶりを見て、そのへんの兵士よりも十分な実力があると判断し、クルミの言う通り、目の前の敵に集中することにする。
ロゼスはゲルマから少し距離を取ると、ナイフを戻し、背から槍を抜いた。
ゲルマは舌舐めずりし、黒い瞳を光らせた。
クルミはというと、短剣を構え、パティを自分の背後に隠れさせた。
「来るなら来なよ。そのかわり、いたいけな女の子をいたぶるようなやつは容赦しないけどね」
自分に向かってくる数人の男たちに、彼女は怯むことなく平然とそう言った。
その顔は自信に満ち、大きな焦茶の瞳は敵を見据えていた。
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