16 洞窟の中 前半~旅路・アルペール山脈~
パティとロゼスは暗い洞窟の中を歩いていた。
灯りはロゼスが手に持つランタンのみで、ロゼスと、その周囲、一、二メートルほどしか見えなかった。
ジダン街で馬車を預け、二人はアルペール山脈を越えるため、その麓にある洞窟の中を進んでいる。
山脈を越えるには暗い洞窟内を歩いて進むしかなかった。
洞窟の中はじめじめと湿っており、コウモリや虫が棲みついていた。
闇に慣れていないパティは怖がり、一歩ごとに震えが込み上げた。膝ががくがくとし、上手く進めなかった。
「おい、早く歩け。そんなにのろのろ歩いていたらいつまでも王子に追いつけない」
ロゼスは後ろを振り向き、パティに冷たく言った。
「ですけど、ロゼス。こんなに暗いと足元もあまり見えないですし、闇が襲ってくるみたいでとても恐ろしいのです」
ロゼスは腕の立つ兵士だが、紳士ではないので、パティに手を貸すことも気を遣うこともなかった。
「アルもここを通ったのですか?」
「ああ。道がここしかないからな」
こんなところを一人で、と、パティは感嘆した。
本当なら、パティは飛んで山脈を越えたいところだが、それをロゼスに話すと、
「山脈は高すぎる。上手く山脈を越えたとしても、どこに降り立つ気だ? 山脈を越えた後も森が続き、翼が木に引っ掛かるだろう。適当なところで降りればどこにいるか分からず益々到着が遅れることになる」
そう返ってきた。
考えてみれば、一人で空を飛んでもロゼスと離れればアルに会うことは難しいだろう。
「ここには魔物は出ないのですか?」
「多分な。出るとすれば森の中だろう」
「アルは、大丈夫なのでしょうか?」
質問ばかりでロゼスは煩わしかったが、この闇の中で黙っているのはパティは怖いのだろうと思った。
「王子はメイクール随一の使い手、カイル様に戦いを学んでいる。心配はない」
パティは、そうですか、と胸を撫で下した。
「あの、アルはどのような方なのですか? わたし、アルの話しを聞きたいです。どんな方かもっと知りたいですし」
パティは次々と質問をした。
仕方ない、とばかりにロゼスはアルタイア王子のことを思い返す。
「そうだな。こんな時、王子ならば、パティの手を取り、励まして進むのかもしれないな。相手が子供でも老人でも、王子は目の前の人に手を差し出す。そういう人だ」
「ロゼスとは正反対の方なのですね」
「……どういう意味だ?」
ロゼスは、闇の中でパティをじろりと睨みつけた。
「あ、いえ。深い意味はないです……」
慌てて両手を前に出して振り、言い訳をするパティに、ロゼスは溜息をついた。
(そうだ、王子は、穏やかで常に周囲に気を配り、何でも卒なくこなし、賢かった。戦い方の飲み込みも早く、普通の兵士では相手にならないとも聞いた)
性格は明るく朗らかで、正しく王になるべく生まれたような、非の打ちどころのない少年だった。
「初めて王子にお会いしたのは、メイクールの新人兵士として訓練に明け暮れていた時だ」
王子の年は、あの頃十ニ才だっただろうか。
まだ幼かった王子だが、少女たちがうっとりとするのも頷ける美系の持ち主で、蜂蜜色の瞳と優しい眼差し、柔らかく緩めた口元は、けれどどこか強気でもあり、大人びた表情をしていた。
「頭を上げてくれ。それでは顔が見えないだろう」
訓練の最中、アルが新人兵士の様子を見に来るとのことで、兵士たちは整列させられていた。そう言われ、ロゼスは憮然として顔を上げた。
正直、なぜ十ニ才の子供が来るだけで整列しなければならないのかと、納得いかない気持ちがあった。
ロゼスはすぐに顔に出るタイプなので、兵士や上官と揉め事になることも度々あった。
「そんなに睨みつけるな。僕はただ、あなた方に挨拶をしたいだけだ、ロゼス」
順に挨拶を交わし、ロゼスの目の前に来たアルは明るく言った。
ロゼスは名を呼ばれたことに少なからず驚いた。兵士は新人だけで百人以上はいる。
(まさか、顔と名を覚えている?)
そんな筈ない、とロゼスは思った。
近くの従者にでも名を聞いたのだろう。それにしてもこの少年は心に入り込むのが上手い声音と話し方だ。思わず引き込まれそうになる。
「あなたは優れた兵士になる素質があると聞いている。まだ入隊して間もないのに、大したものだ」
「いえ……俺は、まだまだです」
アルは少し笑みを浮かべ、尊敬の眼差しを向けていた。
「ロゼス、あなた方兵士の一人一人が、この国を守っている。よろしく頼む」
「……はい。努力します」
僅か十ニ才の少年に、ロゼスはこの人は王になる人なのだと自覚した。その口調や 考え方はすでに王たる風格があった。
「そうなのですか。アルはそのような方なのですね」
パティはまだ口を聞いたことのないアルに、本当に恋をしている少女のように、嬉しそうに言った。
(叶うはずもない)
例え本当に王子に恋をしているのだとしても、到底報われぬ思いだ。
一国の王になる王子は、それ相応の血筋の娘と結婚をする。即ち、王族の血を持つ姫や、財力を築いた一族の娘だ。第一、一般の出身であっても天使と結ばれた人間など聞いたこともない。
何だか、パティは自分に似ている気がした。
ロゼスもまた、報われぬ思いをある人に抱いているからだ。
ばささっ!
その時、コウモリの巣穴の近くを通ったのか、黒い大群が一斉に飛び立った。
「きゃあ!」
パティは悲鳴を上げ、前にいたロゼスを通り抜け、走り出した。叫ぶ声が聞こえるが、ロゼスは飛び出したコウモリの大群にぶつかり、ランタンをその場に落としてしまった。
「おい、勝手に行くな!」
灯りの消えた闇の中でロゼスは慌てて叫んだが、ばさばさというコウモリの羽音と、キーキーと鳴く声が周囲に響くばかりだった。コウモリの群れは黒い幕となりロゼスの視界を更に塞いだ。
パティはきゃあ、と叫んで、洞窟の横穴に入っていく。
「パティ! 戻れ!」
ロゼスの声は届かず、ようやくコウモリの群れが過ぎ去り、彼の視界が開けた時にはもう、パティの姿はなかった――
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