14 対価、ダンとの別れ 前半


「大丈夫か、パティ?」


 ダンは、へなへなと座り込んだパティに手を差し出した。

「え、ええ。今の、ダンがやったのですか?」

 パティはダンの手を取り立たせてもらうと、完全に伸びたエリオットをちらと見て言った。


「まあな」

 ダンは肩を竦めた。

パティには、エリオットの額から血が流れて彼が倒れるまで何が起きたのかまるで分からなかった。


 数十メートルも離れた人の額に金貨を当てるなどそうそうできるものではない。

 パティよりもロゼスの方がダンのその神業に感嘆した。


(こいつは、何者だ?)


 それは到底自分に真似できる芸当ではなかった。

 もしや、まともにやり合えば、このダンという男は歩兵部隊隊長の自分さえも凌ぐほどの強さを持っているかもしれない。


「おい、起きろよ、エリオット」


 ダンが気を失ったエリオットの腕を持ち、背中をばん、と叩く。エリオットは一度呻いて、目を覚ました。


「いいか、エリオット。兵士に突き出すことは勘弁してやる。だから詐欺紛いのつまらねえ真似は二度とするな。それからカジノからは手を引け。田舎の村にでも行って、畑仕事でもしながら暮せよ。分かったか?」


 ダンは深い緑色の瞳に鋭い光を灯し、エリオットの胸ぐらを掴んで言った。


「……オレが、いうことを聞くとでも?」

 エリオットはダンの迫力にごくりと唾を飲み込むが、痛む額を押さえて言った。


「お前は命のやり取りをするような馬鹿じゃないだろ? いいか、俺はな—―」

 ダンは、こそっとエリオットに耳打ちした。

 するとどうしたことだろう。エリオットの顔色がみるみる蒼白になり、ひぃ、と、情けない声を出し、額を押さえ、慌てふためきながらどこかへ逃げ去って行ったのだ。

 パティもロゼスも、その不思議な光景にぽかんとし、突っ立っていた。



「ダン、先ほど、エリオットに何を言ったのですか?」


 カジノを出た三人は並んで歩き、その道中、訊こうと思っていたことをパティは訊ねた。

「まあ、いいじゃねぇか。終わったことは気にするなよ」

 ダンは鋭さの抜けた人懐こい笑顔で、パティの問いかけを受け流し、天使の頭をぽんと叩いた。


「それにしても、凄いですね、ダン。ルーレットの玉が動くなんて。どうやったのですか?」


「さっきと同じだろう。ダンは金貨をエリオットの額に当てたように、小さな、例えば米のようなものを盤上の玉に当てて動かしたんだ」

 ダンの代わりに、ロゼスが淡々と説明をする。

「そう、なのですか?」

「まぁな。俺、指の力が異常に強くてな。標的に当てることも得意なんだ」


「……それはイカサマだろう」

「堅いこと言うなよ。お陰で、お前らの金、取り戻せただろ?」

 ダンはあっけらかんと言った。



 三人はカジノを出て歩き、〝リサの店〟の前まで戻って来た。辺りはもうすっかり闇に包まれ、周囲には人気はなかった。


「ダン、ありがとうございます、本当に。これでまた旅が続けられます。アルに会いに行けます」

 ロゼスは金貨を受け取り、パティは改めて礼を言った。

「気にするな」

 ダンは朗らかに言ったが、ロゼスは、なぜか怒ったような膨れっ面だ。


「なぜ奴を兵士に突き出さなかったんだ? あいつはパティに危害を加えようとしたんだぞ。牢に入って罪を償わせるべきだ」

「おいおい。そんなことをしたら時間も労力もかかるだろう。お前ら旅の途中なんだろ? 中断してもいいのか?」

 ロゼスはぐっと言葉に詰まった。


「パティには怖い思いをさせたが、あいつはこの国のカジノはどうせもう出禁だ。

それに脅しをかけておいたからエリオットはもう放っておいても大丈夫だろうぜ。――それよりパティ、アルって、まさか、アルタイア王子のことか?」

「ええ、そうです」

 パティはにっこりと笑んだ。


「おい、パティ、軽々しく王子のことを口にするな!」

 ロゼスはグレイ色の目でパティを睨み叱咤する。

 しかしロゼスの方も、しっかりと王子と言っていた。


「あ、そうでした。秘密なのですよね。すみません、ロゼス」

 パティは慌てふためいて謝った。


 ロゼスは怒り顔だったが、ダンは、へえ、と興味深気に深緑の目を少し見開いた。

 この国の王子がアルと呼ばれているので、ダンは訊いてみたのだ。


「パティ、何で王子様に会いに行くんだ?」

「それは、会いたいからです」

 パティはダンを見ると躊躇なく言った。七色の澄んだ瞳は、きらきらとしていた。

「まさか、王子様に恋してるとか?」


(何を言い出すんだ、こいつは)


 ダンの言葉にぎょっとしたのはロゼスだった。


「……恋?」


 それは人が人を深く思うことだ。パティは本で読み、それを知っていた。

 アルには、お礼を言いたい。会って話してみたい。それは恋というのだろうか。


「わかりません。けれど、そうかもしれません」

 パティは静かな口調で答え、にこっと笑った。

 その温かな春のような笑顔は、ダンを不思議な気持ちにさせた。


 異種族間の恋愛は良い目では見られない。仮にそれが、人の憧れである天使であったとしてもだ。それは本来、人を忌み嫌う天使とて同じだろう。けれどパティは、何の躊躇いも蟠りもなく、己の気持ちを簡単に打ち明けた。

 パティは自分の立場に何のしがらみも隔たりも感じていない。

 パティの心は風のように自由で純粋だとダンは思った。


「そうか。会えるといいな」

 ダンは、ふ、と笑っていた。


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