7 許し・マディウス王との謁見 前半


 パティはイーシェアの後ろから付いて歩き、裏手の扉から修道院の中に入って行った。

 慎ましい暮らしの伺える小さな食堂に数名の修道女や修道士がいて、その内の一人の青年がイーシェアの傍に寄ってきた。


「イーシェア様、こちらの方は?」

「行くあてのない天使です。世話をしてあげてください」

「畏まりました」

 青年はへりくだって言った。


「パティ、食事をして、ゆっくりお休みください。私はこれから暫く祈りを捧げます。あなたの世話はシリウスがしてくれます」

 青年がぺこりと頭を下げた。


 奥の部屋には小さな部屋のある扉が並び、食事を終えたパティはその一つに通された。

 その質素な暮らしは、神に仕える者たちの住む修道院ならではのものだが、天に住む天使とは大違いだとパティは思った。


 若い修道士、シリウスは物静かで表情があまり変わらず、パティは天に住む男天使、セルリアンを思い出した。


「あの、こちらでの暮らしは退屈ではないのですか?」

「いいえ、少しも。ここの暮らしを私は不自由だとは思いません」

 シリウスはきっぱりと言った。


「私はここでイーシェア様のお世話ができることが幸福なのです。イーシェア様は時々、神の声をお聞きになられる、神のごく近くにおられる巫女様です」

誇らしげにシリウスは言った。


「神の声を?」

「ええ。イーシェア様は、ごくたまににですが、神夢を視ます。夢の中で神と言葉を交わしているのです」


 神々はそんなこと言わなかった、とパティは思い返す。仲の良かった地の神にさえ、聞いたことがない。ほとんどの神は人間を嫌っていた。

 イーシェアが水の女神アクアと似ているのは偶然ではないのだろうか。話しているというのは、やはりアクアだろうか。

 


 パティが修道院で暮らして、二日が経った。


 イーシェアは修道女とは違い、きびきびと動いて掃除や洗濯や、食事の支度をすることはなかったが、代わりに教会の祭壇を訪れた人々の悩みや懺悔を聞いたり、彼らのために神に祈りを捧げたりして、一日のほとんどを過ごしていた。


 巫女という立場ではあるが、イーシェアは自分の部屋は自分で掃除をするし、食事の後片付けや教会を訪れる子供の話し相手になったりと、普通の女性らしい一面もあった。

 またイーシェアは、日に一度はこっそりと修道院を出て、教会の周囲に咲く蓮華の花を愛でていた。

 パティはそれを見かけて、一緒について行った。


 その日の午後、教会に一人の男が現れた。

 その者が懺悔をし始めようとした時、イーシェアがなぜかパティを呼んだ。


「この者の話を聞いてください」

「わたしが? どうしてですか?」

 首を傾げるパティを、イーシェアは懺悔室にいるその男の前に座らせる。


 小さな教会の一角に設けられた懺悔室は布で仕切られ、パティにはその者の顔は見えない。

「あの……、何か悩みがあるのですね。話してください」

 顔の見えない者にパティは問う。


「私は愚かなことをしてしまいました。私は、本当のこととは違うことを言って、ある一人の少女を傷つけたのです」

 薄い布越しに男は言った。

「なぜ、本当のこととは違うことを言ったのですか?」

 パティは男の悩みを聞こうと、穏やかだがはっきりとした口調で言った。


「その少女はあまりに真っすぐでした。真っすぐで純粋だったのです。一途に思いを告げるその少女の心根に嫉妬したのです。私とは明らかに異なっていたものですから。それにもう一つ、私にはその少女を嫌う理由がありました」

「……それは、何ですか?」

 男は一旦息を吐き、指を絡めた。


「その子は、私が憎んでいた、神の使いだったのです」


 男はパティと男の間に垂れた布を持ち上げ、少し悲しげな眼でパティを見た。

 パティははっとした。

 その男は、優しくも厳しい顔つきをした兵士、カイルだった。


「パティ殿。私は、私の息子を奪った神が今でも許せないのです。だからあなたを苦しめたいと思ってしまいました――」

 カイルはパティの驚いた顔を見ながら言った。


「カイル、いいえ。そうではありません。あなたを傷付けたのはわたしです。わたしが悪いのです。だから、カイルがわたしにアルに会わせたくないと言われても、仕方がありませんでした」

「では私を許してくださるのですね、パティ殿?」


 後悔を口にするパティに、カイルはそっと手を差し出した。

「許すも何も、それはわたしの言いたいことです」

 パティは、差し出されたカイルの手を取り、ぎゅっと握った。お互いの蟠りを消し去るように。


「……わたし、どうやってあなたに許してもらおうか考えていました。だけどあなたに会いに行けば、そのことがあなたを傷つけるのではないかと考え、答えが見つけられませんでした。カイル、わたしを嫌いになった訳ではないのですね?」


 カイルはパティには初めて見せる温かな眼をしていた。

「勿論です。あなたを嫌いだなんて、とんでもない。私はパティ殿が好きですよ。あなたは私に言ったことを悔やみ、どうやって許されるだろうかと一生懸命に考えてくださった。あなたは優しい天使です。人が夢を見て、焦がれていた天使そのものです」

 イーシェアは二人を見て微笑んでいた。そうなることが分かっていたかのように。


「パティ殿、どうか、王子にお会いになってください。王子の行き先をお教えします」

「本当ですか……!」


 嬉しそうに自分を見上げる天使を見て、カイルは思った。この子ならば、王子の痛みを取り除いてくれるやも知れない、と。

 アルは長年苦しんでいた。

 それが分かっていながら、カイルにはどうすることもできなかった。


「パティ殿、どうか、アルタイア王子をお願いします」

 パティはその七色の瞳をカイルに向けた。


「……アルタイア王子は、苦しみや悲しみを抱えておられます。他人には決して見せない傷を抱えているのです。力になって差し上げてください」


「――わたしにできるでしょうか?」

 そう言ったパティに、カイルは手を彼女の肩に置く。


「あなたにしか、きっとできない。思ったことを口にし、行動する。素直で強引で、それでいて可愛らしいあなただからこそ、ですよ」


 パティは心で感じていた。カイルの願いを聞き入れることは自分のためだけではなく、きっとカイルを救うことにも繋がるのだと。


(わたし……助けたい)


 アルやカイルや、まだ会ったことのない人々を。 

 心穏やかな美しい巫女のように。

 それは新たに芽生えた慈愛という感情なのだと、まだパティは気づいていなかった。


「パティ殿。実はあなたに会ってもらいたい方がいます。そのつもりであなたを迎えに来たのですよ」

 カイルは悪戯っぽく笑んだので、パティは不思議に思った。


「カイル、ですが、アルは今も先に進んでいるのでしょう? その方にお会いしている間に、アルは遠くへ行ってしまうのではないですか?」

「ご心配はいりません。アルタイア様は港に着けば少し滞在するはずです。港から船が出る日が決まっておりますから。一度城へ行き、王にお会いになってから出発しても追いつけるでしょう」

 カイルは予想していたようなパティの問いにすらすらと答えた。


「――王?」

 パティは瞳をぱちくりとさせた。


「ええ、そうです。我が国のマディウス王にお会いしていただきたいのです」

 カイルは朗らかに言った。

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