6 カイル・ディグラスと巫女イーシェア 前半

 夕暮れの陽が、小さな教会に明かりを映し、仄かに赤く照らしていた。

 教会の裏手には多くの死者を埋葬した墓があった。

 十字架が等間隔で並んだそこには死者への花束が手向けられていた。


 そこに一つの人影があった。


 小さな墓に白い花を置いたのは、服の上からでも鍛えられたことがわかる、長身の、筋肉質な体躯の青い眼の男だった。

 黒いシャツに黒いパンツ、肩当てと胸当て、膝当ての部分鎧を装備し、腰には重量のある長剣を差していた。


「あなたが、カイルですか?」


 パティは音もなくカイルの目の前に降り立ち、そっと笑みを零した。

 カイルは驚いていた。

 突如現れた天使に、一瞬混乱した。

 丁度、彼は神に祈りを捧げていたところだった。

 天使は神の使いとされている。

 自分の願いが天の神に通じ、聞き入れてくれたのかと思ってしまった。しかしそうではないと、勿論カイルにはわかっている。ただ天使があまりに美しく降り立ったので、カイルはぼんやりと愚かな考えに耽ってしまったのだ。


「そうですが……、あなたは天使か?」

「はい、そうです。わたし、パティと申します。あなたにお訊きしたいことがあるのです」


 パティはにっこりと笑んだ。

 カイルは内心がっかりしていた。神が人の願いを叶えてくれるなどと本気で信じているはずもないのに、がっかりしている自分が可笑しかった。


「わたし、アルタイア――、アルを探しています。ですから、行き先をお訊きしたいのです」

 当然、自国の王子の名を口にされ、カイルは戸惑った。


「わたしアルに助けていただいたのですが、まだちゃんととお会いしていないのです。お会いして、お礼を言いたいのです」

 パティはカイルの戸惑いなど知らず、続けた。

 それに、とパティは付け足す。


「わたし、眠っていたのに、なぜだかアルの瞳だけは覚えているのです。懐かしいような、温かいような不思議な感覚でした。どうしてそんな風に思ったのか、お会いすれば分かるかもしれません。ですから、どうしてもお会いしたいのです」

 パティは少し迷いながらも、徐々にすらすらと口を開いた。


 パティはアルの瞳を思い出し、夢見るように言った。それはまるで人間の少女が一人の少年に恋をしているような口調だった。

 カイルは、天使の七色のきらきらとした瞳の輝きの中にアルが映っていることを知った。


 王子に恋する少女は数多いが、この子は、まるで予め定められた運命であるかのようにアルを探している。


(運命――)


 カイルはその言葉が嫌いだった。

 それは否が応でも、そうと認めなければならない、ある一つの悲しい出来事を思い出すからだ。


「左様ですか。しかしあなたに我が国の王子の居場所を教える訳にはいきません」


 パティはてっきり簡単に教えてくれるものだと思っていたので、意外な答えに目を見開く。


「王子はこの国の王となる、大切な御方。その方の命を脅かすやも知れぬ者に教える訳にはいかない」

 カイルは厳しく言った。

「アルの命を脅かすなんて、そんなこと……!」

 パティはカイルに詰め寄り、懸命に否定する。


「パティ殿は平和な世界にお育ちゆえ、理解できないかも知れません。例え天使と言えど、自分が信頼できぬ者には何もいうことはありません」

 そう言って踵を返し、カイルはパティに背を向けた。

「我が風の神シーナに誓います、決して、わたしはアルに危害を加えたりなどいたしません!」


 その大きな背に向かってパティは叫んだ。

 カイルはすでに歩き出していた足を止めた。

 天使の声は純粋で真っすぐな思いを伝える、真摯な響きを伴っていた。カイルはそれが本当だと解っていた。

 彼には人の心の本質を見抜く才能があった。

 このパティという少女には嘘偽りはない。しかし、カイルにはパティを受け入れることはできなかった。それは天使が神の使いであるがゆえだった。

 カイルは、心底神を憎んでいた。


「パティ殿。あなたはここがどのような場所かわかりますか?」

 不意にそのような質問がカイルの口をついて出た。


「ここは、墓地でしょう? 死んだ人間を埋葬するのですよね。彼らを忘れないために」

 パティは周囲を見渡し、そう言った。本で読んだことがあった。カイルはなるほど、と頷いて見せた。

「それが天世界での認識ですか。興味深い答えだ。しかし、本質を理解してはいない」


 きょとん、とパティは目をしばたく。そして気付いた。

 夕陽に照らされたカイルの顔は、まるで泣いているように悲しい表情だった。


「人が墓場を作ったのは死んだ人間を埋葬し、忘れないためではない。こうして花を飾り、その者の生まれ変わりを願い、祈りを捧げるのです。その死が報われると信じ、それを心の拠り所としている。慰めてもらうのです」

 カイルはそう言うと、再び小さな墓に腰を落とした。


「死んでいる人間に慰めてもらうのですか?」

「そうです。人は弱い。そうしなければ、生きられないほどに」


 今言ったことは全てカイル自身のことなのだろうかとパティは思った。

 パティは考えてみる。

 偉大な神々や、セルリアンや、他の天使が死んでしまうことを。しかし、それはうまくいかなかった。パティには想像もできないことだった。


「カイルも誰かを思って祈りを捧げていたのですね。これは、誰の墓なのですか?」


 小さな墓は、子供のものを意味している。

 カイルの前にひょこっと顔を出し、パティは覗いた。そこには〝Neito〟と刻まれた文字があった。


「ネイトは私の息子です。幼い頃に亡くなったのです」

「息子?」

 人間の男と女が愛し合い生まれてくる、自分の血を分かつ小さな者だ。親にとってそれは己の命よりも大切な存在だと、地の神バグーラは言った。


「あなたの子なのですね……。自分の子が死ぬって、どのような気持ちなのですか?」

 思ったことを何でも口にするのがパティの癖だった。

 しかしそれはカイルにとっても、もし周囲に誰かが聞いていたとしても不快な問いかけであった。当のカイルにとっては怒りや憎しみさえも芽生えさせるほど愚かな質

問だ。

 カイルは大きく息を吐き、呼吸を整え、怒りに身を任せぬよう必死に冷静を装った。


「――天使が皆あなたのように残酷で正直だとすれば、人間が思い描いた天使は全くの偽りですね。我々の信じる天使は人の気持ちを汲み取るくらいの優しさを持っているものです」

 カイルは立ち上がり、歩き始める。パティに背を向けて。


「カイル、待ってください!」

 カイルは振り返らない。歩みを止めもしなかった。


「私はあなたを王子に会わせたくはない。諦めてご自分の世界へお帰りなさい」

 カイルは冷たく言い放った。

 パティを振り向くこともしなかった。

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