5 パティの翼、ロゼス・ラジャエル

 メイクール国は北西大陸を取り仕切る国である。

 その国の王マディウスは民の安全と国の平和を願う評判の王で、国民は決して裕福ではないが、その支持は絶大だった。


 そのメイクール国の城を目指して、小柄な天使を荷に乗せた馬車は走っていた。

 寒さのためにパティは羽織った大きめのコートの胸を掻き合わせた。

 コートはスラナ村の女将がくれたものだ。

 女将はアルからパティの世話賃を貰った時、何か着るものをやって欲しいと言われていたので、昔、旅人が宿に置いていったトレンチコートをパティにやったのだ。古びたコートだが、袖のないドレスを着ていた天使には有難かった。

 パティとの別れ際には、王子の置いていった銀貨の半分をパティに渡した。

 それも、アルの優しい心遣いだった。


「天使のお嬢さん、ほら、メイクールのお城が見えてきたよ」

 

 人の良さそうな青年は、馬を引きながら指で前方を指す。

 

 昼過ぎから馬車を走らせ、夕刻近くになり、ようやく遠くに見えてきた建物に、パティはうとうとと瞑りかけた瞳を開いた。

 女将が、知り合いの商人の青年に事情を話し、パティを王都まで送り届けてくれるよう頼んだのだ。たまたま青年は王都への届け物をする用があり、パティは青年の引く馬車の荷台に乗っていた。


 パティは、地上がこれほど寒いとは思っていなかった。

 女将と話していた時には興奮のあまり気付かなかったが、今はしんしんと冷える寒さが身に堪える。

 パティは裸足にヒールを履いていたが、爪先の感覚は既になかった。

 天世界は年中温かく過ごし易いため、寒さというものをパティは初めて知った。

 最も、更に寒い大陸があることをパティはまだ知らないでいるが。


「あれが、メイクール国のお城ですね!」

 レンガ造りの広大な建物を発見して、寒さも忘れてパティは叫んだ。

 王都の端にある馬車道を進み、王都を抜け、さらに馬車は進んで行くと、城の全貌が明らかとなった。


長くのびた並木道の終点にそびえた城は、レンガ作りで、少々古びていた。

 城へ真っすぐに伸びた馬車道から一瞬見えた、小さな十字架を屋根に掲げた建物があった。

 屋根はくすんだ緑色をしており、その両脇には、同じ屋根をした家が二つあった。その家はまるで人目を憚るように、ひっそりと佇んでいた。

 建物の前にある庭には、花々が咲き誇り、よく手入れがされ、美しかった。


「あの家はどうして他の家とは違って、離れたところにあるのですか?」


 パティはなぜかその建物が気になった。決して目立つものではないが、存在感がある。


「あれはね、家じゃないんだ。このメイクール王都で最も知られている教会と、修道院さ」

「教会?」

 それはパティが想像したものとは違い、質素で、小さかった。


「あんな小さなところで、神に祈りを捧げるのですか?」

「そうさ。小さい教会だが、あそこで修道士様や巫女様がこの国の平和を願って祈りを捧げておられるんだ。ほら、もう着いたよ」

 教会に興味を惹かれたが、馬車は城の前に到着し、話は断ち切られた。


「馬車はここまでしか入れないんだ。あとは城の誰かに聞いてみるといいよ」

「感謝いたします」

 パティはぺこりと頭を下げ、コートの裾を上品に、僅かに持ち上げた。

 

 青年に別れを告げ、パティは城へと続く跳ね橋の方へと歩んで行った。

 跳ね橋の手前では二人の門番が身じろぎもせずに立っている。

 彼らはパティを見つけると、ちょっと待て、と低い声で彼女の歩みを止めた。


「何の用だ?」

 門番たちは相手が少女だったので、厳しい顔を多少は緩めた。


「あの、わたし、この国の王子にお会いしたいのです。名前は、アルタイアです。どこに行かれたのか、教えてください」


「王子に? 何者だ?」

 一人の兵士がパティを多少不審に思い、彼女の背後に回った。するとその者は目を見開いた。


「どうした?」

 兵士は、少女の着ているコートの隙間から、背に閉じられた真っ白な翼が出ているのを見て、声を失った。


「天使なのか」

「ええ、そうです」

 にっこりと笑んでパティがいうと、もう一人の兵士と同じように背後に周った男も、翼を見た。


「天使……この娘が――」

「どうしてこんなところに天使がいるんだ。それにしても、初めて見た」

「ああ俺もだぞ。なるほど、これが天使か」

 などと、パティをじろじろと見つめ、彼らは口々に言う。


「あの、それでアルはどちらへ?」

「ああ、王子は各大陸を回る旅に出られた。しかし、今どこにおられるかは……。多分、港へ向かわれたと思うが、はっきりとはわからない。それに、王子が港からどちらの国へ行かれるのかも知りはしないぞ」


 パティはしゅんと俯いた。

「だが、警護隊長様ならば知っているだろう」

「そうだな。カイル様ならば」

 それを聞いてパティの顔はぱっと輝いた。

「カイル? その方でしたら、知っているのですね。あの、その方はどちらに?」

 パティは間を置かずに訊ねる。


「今は、恐らく――」

 兵士は口籠った。

「そうか、参られている時間だな」

 彼らはなぜか暗い顔をした。

「どちらなのですか?」

「教会の裏手にある、墓地におられるだろう」

 食い下がるパティに、兵士は渋々答える。

 教会ならば先ほど見ているから場所は解る、とパティは思った。


「有難うございます。わたし、その方にお会いして、お訊きします」

「おい、しかし今は――」

 パティは兵士が言いかけていることを聞かないうちに、コートを脱いで手に持つと、翼を広げた。


 ふぁさり!

 彼女は、背後に閉じていた翼を開いたのだ。

 それは少女の二倍はあろうかというほど大きな翼だった。純白の翼は白く輝き、眩しい。

 天使の翼は兵士らが思うよりも遥かに美しく、見事だった。そしてその翼に見とれているうちに、パティは翼を羽ばたかせ、空へと舞った。

パティは空中へと飛び立ち、あっと言う間に小さくなった。



「何を騒いでいる?」


 突如、上から放つような低い声音が降り、それを聞いた兵士たちは、身体を硬直させた。

 現れたのは、グレイ色の切れ長の眼をした青年兵だった。


「これはロゼス隊長! お疲れさまです!」


 歳は明らかに二人の兵士よりも若いが、彼らはその兵士を見た途端、態度が一変し、びしっと敬礼する。

 顔も、引き締まった緊張感のある顔つきとなった。


 その年若い兵士の名は、ロゼス・ラジャエルと言った。彼はメイクール国の歩兵部隊隊長の地位にある。他の兵士とは違う格好をし、どこか凄みのようなものがあった。


 銀色がかった髪を耳が見えるくらいで切り揃え、グレイ色の眼は鋭い。

 鎖を編みこんだベストに、パンツをベルトで絞めていた。背には長い銀の槍を背負い、盾も装着している。


「申し訳ありません! 実は、今、ここに天使がきまして――」

「天使だと?」

 ロゼスは眉を寄せ、不審を露わにする。

「はい。その天使の少女は、王子を探していまして」

「何だと?」

 ロゼスは先ほどよりも鋭い視線を兵士に浴びせ、その凄みのある目に、兵士は震えた。


「それで、どうした?」

「王子がどこへ旅立たれたのか聞きたがり、それで、カイル様の居場所を教えました」


「馬鹿な!」

 ロゼスは怒鳴った。

「見ず知らずの娘になぜそんなことをいう? 例え一般人だとしても、そんなことを教える理由にはならない」

 ロゼスはそう言い舌打ちした。


「ですが隊長、その少女は天使なのです! きっと何か事情があるのだと……」

「言い訳をするな。もしも魔族だったらどうするつもりだ。王子の身を危険に晒すことになる」

「も、申し訳ございません」

 兵士は下を向いた。

 言いたいことはあったが、上官に逆らう訳にはいかない。


 ロゼスはそれ以上は何も言わず、教会への道を辿った。

 ロゼスは人一倍国に対する忠義が強いが、部下にはあまり好まれなかった。下を向いた兵士は押し黙った。



 教会への道を歩みながら、ロゼスは部下の言ったことを思い出していた。

 その天使らしき娘は、警護部隊長カイルに会いに行ったと。カイルがいる場所は、教会の裏手の墓地だ。


 ――教会、そこにはあの方もいる。


 不意に、ロゼスの頭に思い浮かんだ人がいた。


(だからどうだというんだ。……俺の役目はあの方を守ることじゃない)


 カイルはこのメイクール随一の使い手だ。

 例え相手が腕の立つ魔族だとしても、あの人ならばやられはしない。

 ロゼスは、頭を振った。


 教会の周囲を取り囲む花園で、花の匂いを嗅いでいた美しい人のことを、脳裏から取り払うかのように。

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