外伝:六年越しのバレンタイン

『誰なのですか?』

『え、チョコを作りたい…ですか?』


十日前、学校から帰ってきたアイ様の言葉にAIの私は心底驚いていた。


二月にチョコ…と言えば、聖人ウァレンティヌスへの崇敬から生まれた恋する乙女等の祭典———〝バレンタイン〟に他ならない。更に言えば、この状況おけるマスターの「チョコを作りたい」という発言は意中の異性がいるという証明でもあるわけで…。


『チョコとは※▽※◎…貯古齢糖のこと、でございますか?』


エラーした回路を調整しながら私が尋ねるとアイ様は首を傾げながらも首を縦に振った。


『左様で・・・ございますか』


沸き立つ回路を抑えるため、私は三度ほど再起動を繰り返して平然を取り戻し、回路をフル回転させていた。


――――――何を慌てているのだ、私は。


アイ様も今年で11歳となられるのだ。意中の男の子がいたとしても不自然ではない。

…それに10歳になると子どもは何かを始めようと決心するものだと聞く。

アイ様も何かを始めようと、何かを変えようと、決心されているのかもしれない。


『良いでしょう。私の全霊をもってマスターに最高の貯古齢糖・・・・を伝授致しましょう』


恋するオトメたちの祭典、バレンタイン。

家庭支援用AIとして、私の全機能をもって少女の恋を叶えようとも。


…回路が擦り切れる想いで私は少女に誓ったのであった。






『——————と。チョコレートにはこのような性質があります。アイスほどではありませんが保存状態さえよければチョコは年単位でも保管が可能なのです』


料理とは、食材の性質を知れば知るほど無限の幅が広がるもの。

チョコレートが何たるかを知らずして、最高の貯古齢糖はつくれない。


「う…うん。とにかくチョコは日持ちする…ってことだね」


『その通りです。さすがはアイ様』


「では次に…」と私は新たな映像をリビングの壁に映し出す。


『これらを意識した上で世界には様々なチョコスイーツがございます。

アイ様はどのようなチョコをご所望でしょうか?』


食の好みだけで人となりが分かるわけではないが、アイ様の意中とするおのこが何を好むのか…私には知る権利がある、はずだ。


「うーん。いっぱいあるから迷っちゃうな」


『お渡しする相手に合わせて…というのも良いのかもしれませんね』


「う~ん」


そういって天井を見上げるアイ様。

…少女の空想にある誰かを、私は見ることが出来ない。


「やっぱり食べやすいものかな。

…片手でも食べられて‥あとは甘さ控えめの…」


『片手でも食べられて、甘さ控えめ…』


まるで〝多忙な大人〟にでも送るようなチョイスだ…。


『(まさか教師…!?)』


26世紀における教師と生徒の禁断の恋。

もしくは旦那様に言いつけられた習い事の関係者か…?


―――‥‥いやいや。アイ様に限ってそんなことは…。


在り得ない、とは言い切れない。

「もしも私の知らないうちに少女の精神に異常が出ているとしたら…」

「私が思っている以上にアイ様が愛に飢えているのだとしたら…」

…そんな可能性が私の回路をよぎる。


『アイ様。時には冷静になって、周りを見てみる事も大切ですよ』


「ほら、世界にはこれほど美しい料理の数々が…」と私は現実逃避するように世界の料理百選を映し出していた…。




そして十日後。バレンタイン当日。

ついに待ち焦がれた日がやってきた。




『いよいよですね。アイ様』


「ふぁ…」


欠伸交じりにアイ様は答える。緊張してよく眠れなかったのだろうか…。


「じゃあ行ってきます」


…結局、今日までアイ様の意中とする人物は分からなかったがチョコは無事に完成した。

少女が懸命に作った初めての料理は私の想像以上に素晴らしい出来であった。


『アイ様…!チョコを、忘れていますよ』


リュックを背負うアイ様を私は急いで呼び止めた。

キッチンの方を差しながら私は懸命に少女に意思を伝えるが、暫くのあいだ少女は首を傾げるだけであった。


「ああ…もしかしてチョコの事?」


――――――そうです! 私達でつくったチョコの事です。


下半身の球体を前後させ、私は何度も頷くように身体を傾げた。


「だいじょうぶだよ。あれは学校から帰ったら渡すものだから」


『学校から…帰ったら?』


赤子のように言葉を繰り返し、私は固まった。

確かにアイ様の作ったチョコは〝保冷必須なもの〟ではあるし、日の落ちた頃合いの方が持ち歩きやすいのも分かる。…けれどもアイ様ぐらいの年齢の男子が放課後まで学校にいる事など珍しいのではないのだろうか。


『‥‥やはり※▽※教師※※…?』


アイ様が玄関を出ると同時に私はショートしてしまった…。

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