エピローグ⑥


「どうしてアイにはママがいないの?」


2508年。冬。

あの日は保育参観の帰り道であったか。

三歳の娘にそう尋ねられて私は足を止めた。


「おいで」


短くなった冬季といえども夕暮れ時の寒さは侮れない。その小さな体が寒さで冷えてしまわないようにと娘を抱き上げながら私は娘の質問にこう答えていた。


「…私も知りたいよ」


母親譲りの滑らかな髪を撫で、暮れていく夕焼けを見つめながら私は左胸に手を当てる。両親や天音夫妻の助けを得て今まで娘を育ててきたが、それがこの子の求める最良な幸せではないだろう。純粋な質問に隠れた娘の寂しさがその証拠であり、父である私がこの子の「母」に決してなれないことの証明であった。


「————あっ‥‥咫狸あたり。久しぶり…妻の葬式以来だな」


私も人だ。いつまでも娘と共にいられるわけではないし、いつ死んでしまうのかも分かりはしない。だから私に出来ることは、可能な限り、ほんの少しでも、娘を守ってくれる「何か」を残すことだけであった。経験は視野を広げ、知識は選択肢を増やし、きっと私よりも長く娘の未来を守ってくれることだろう。


「…前にしてくれた話を覚えているか」


将来の話もそうだが仕事がある以上、常に娘の傍に居続けられるわけではない。祖父と同じ総務大臣への道を諦め、今は軽い役職を頂いてはいるが、今後もずっと両親や天音夫妻に甘え続けるわけにもいかないだろう。


「例の家庭支援用AI・・・・・・・‥‥だったか?」


永遠をきられる。私よりも長く、濃く、娘の傍に在り続けてくれる。

…それらの利点だけを飲み込んで私は親友に電話をかけたのであった。




 2522年。春。


『家出したAIについて話がある』


といった用件で我が家を訪れた咫狸であったが、


「来週の夜、新型AIの発表があるんだよ。一緒に行かないか、アキトー」


家に着いて早々、咫狸は革靴を脱ぎながらそのような提案をしてきた。

某監督の新作映画を見に行こう‥といった具合の軽快な誘い口調に一時、私は学生時代のデジャヴに囚われてしまい、電話の用件を尋ねる機会を失ってしまった。


「ところで…そちらの方は?」


そんな咫狸と共に我が家を訪れた来客がもう一人。

身長は目測で160cm前後、黒のパーカーに黒のパンツと全身黒ずくめの女性である。顔はフードを被っていたので全く分からなかったが、とにかく咫狸の付き添いにしては珍しい系統タイプの女性であることは確かであった。


「こいつは‥俺のところの新人なんだよ。その娘さんの…ファン…らしくてな」


「…そうか」


いつも咫狸の世話をしてくれているシーラ嬢や仲の良いあゆむ君であれば私も気にはしなかったが、あの咫狸が下手な嘘をついてまで連れてきた女性に私は少しだけ興味が湧いていた。


「お名前は?」


尋ねると彼女は少しだけ戸惑っていたが、やがて私に聞こえる最低限の声量で彼女は答える。


「シスタ…です」


低めのトーンではあったが彼女の声を聞いた瞬間、知らないうちに私は自分の左胸を掴んでいた。


「…そうか。もし良ければ娘に会ってくれないか。きっと…喜ぶだろうから」


左胸を掴む五指をゆっくりと解きながらそう提案すると彼女は黙って頷いた。


「咫狸はこっちだ」


何やら落ち着かない様子の咫狸をリビングに押しやり、私は彼女を奥の部屋へと案内しようとするが、玄関に戻ると彼女の姿は消えていた。


「え…」


直後、急沸騰した焦燥感に襲われて私は急いで廊下へと駆け出した。急な筋肉消費と緊張に私の怠惰な心臓は大いに驚いていたが、そんなことは今どうでも良い。…間違っても、あの部屋・・・・にだけは誰も入れるわけにはいかないのだ。


「———よく分かりましたね」


「‥‥」


開け放たれた扉をくぐると、彼女は静かに仏壇の前で手を合わせていた。

年季を帯びた位牌いはいと真新しい位牌。その間に並び立つ二枚の写真立てに収められた私の最愛が名も知らぬ彼女を温かく迎えているような気がして、これ以上声を掛けるのが躊躇ためらわれた…。


「———で。どうするんだアキトー?」


 それからリビングに戻ると、ソファで横になっていた咫狸が尋ねてきた。

お互い40代になったというのに相変わらず自由気ままで、良い意味で変わり映えしない咫狸に慣れ親しんだ安堵を覚えながらも、ついに私の顔が緩むことはなかった。


「すまない咫狸あたり。その日だけは…ずっと家にいたいんだ」


「…そっか。気晴らしに、と思ったんだけどな」


本当に残念そうな顔をしながら咫狸はそう言い残し、リビングを後にした。


「ごめんよ。あっちゃん」


咫狸が指定した次の週。それは妻の命日であり、娘の誕生日であった。



               ・



 誰もいなくなった真っ暗な部屋で私は一人泣いていた。

仏壇の整理をしていた最中、妻との交換日記を見つけてしまったのが良くなかったのだろう。此処にはいない妻の姿を、厚さ数センチのノートに求めてしまう私の心は未だに弱いままであった。


「春火…」


誰かと一緒になるということは、その誰かを自己世界に入れることであり、時間を重ねて大きくなった誰かの喪失は自己世界の崩壊すら引き起こす。器用な者であれば自己世界を圧縮して誰かを受容する…ということも出来るだろうが、不器用な私にとって春火は自己世界を全て捧げられるほどにいとおしい存在であった。


「こんな私が…」


故に。彼女がいない世界で苦しく生きる私が娘を守ることなど出来るはずがなかった。


『私たちのアイを‥‥守ってあげてね』


春火の残した映像を見た日から、私はなりきる・・・・ことにしたのだ。

春火の生きた証を絶やさぬように、春火の残した言葉を実行できる〝父親〟へと自分を昇華させることしか私にはできなかった。…傷心しょうしん者の私にとって、我がの言葉は空いた傷口を焼き広げられるように苦しかったが、それらの痛みにくじけることは決して許されなかった。


【これはお前の未来を守るためなんだ】


娘に何度言い聞かせてきたであろうこの言葉。

これは私が父親ワタシで在り続けるための呪文であり、

魂に刻んだ誓いを———左胸の痛みを忘れないための戒めである。


…だが、それを一年、二年…十年と繰り返してきた私の精神に異常が起こり始めていたことを私は知る由もなかったわけで…。



「———うちの娘が…アイドルに?」



 ある休日のことだ。突然、某芸能事務所から私の娘が入所したという連絡が届き、私は絶句した。


―――〝止めさせるべきだ〟


そう判断した私は直ちに娘の退所を申し出ようとしたが、限界にきていた私の精神は思わぬ形で私を裏切ったのである。


「…ワカリマシタ。娘ヲ宜シクオ願イシマス」


…それから娘が死んだとき、私は自分自身を心底のろった。娘を奪ったのは運命や不幸といった曖昧ではなく、娘に強いてきた苦行に対する私の償い――父親の役になりきれなかった私の弱さが娘を殺したのだ。


「…」


 仏壇の掃除が終わり、最後に花立ての水を替えようとキッチンに向かったところで私は何気なしにモニターを点けていた。…きっとシンク付近の包丁と共に脳裏にちらついた咫狸の残念そうな顔のせいだろう。



『————皆様、初めまして』



その声が聞こえた瞬間、落とした花立てのことなど忘れて私は夜灯に群がる蛾のように虚ろに舞いながらモニターに近づいた。


「・・・アイ?」


愛しくて。可愛くて。美しくなった娘の姿がそこにはあった。


小学校高学年から伸びだした高い身長。

中学時代から整え続けた長髪。

高校から磨き続けた美貌と幼少期から築き続けた同年代の少女たちとは異なる風格。


何度も泣いて、挫けそうになって、寂しくても、

人前で弱音を見せることは決してなかった母と同じ強い娘————


「私の名前はシスタ・・・

AI技術省大臣、明日歩博士によって創造された人型AI第一号にして、

秘書長、有頂天咫狸によりプロデュース頂いたグループ名『AI/Doll‛s』でございます」


「・・・・ははは。そういうことか。咫狸」


右頬に手を当てながら私は笑った。


〝家出したAI〟

〝シスタ〟

〝人型AI〟

〝咫狸〟


彼女の自己紹介と先週の出来事を重ねて私は全てを理解した。


「お前は守り続けるのだな」


娘の声と顔を持つ紅髪の少女を前に私はリビングに崩れ落ちていた。


「お前は…その髪色の意味を知っているのか?」


モニターに映る娘の化身に私は尋ねる。

母親譲りの美しい黒髪を持つ娘が髪をピンクに染めた理由を彼女・・は決して知らないだろう———。




―――――――――――――・・・



「パパ…あれ…」


あの日。

咫狸に電話を掛けた後で娘はあるモノを指差した。


「ああ‥あれはね————ママが一番好きだったお花だよ」


そう答えると娘は「パパは?」と尋ねてきたので、つい「私も大好きだよ」と答えてしまった。すると今度は「どのくらい?」と尋ねてきたので私は適当にこう答えていた。


「そうだな…ずっと見ていられるくらいに・・・・・・・・・・・・・…かな?」


早咲きの桜を眺めながら娘は「ふ~ん」と何かを思いついたように楽し気に笑っていた…。




・・・—————————————




「・・・アイは見て欲しかったんだな」


また私は泣いていた。

娘が本当に欲していたものを知れたから。


私は声をあげて泣いた。

妻が最後に残した言葉の意味をようやく理解できたから。


『私たちのアイを‥‥守ってあげてね』


あの言葉のは娘を残して逝くことに感極まったのだと、…今日まで私はそう思い込んでいた。〝命懸けで産む我が子に母親が未練を残すのは当然のこと〟という男の勝手な思い込みがあったからだろう。


しかし、それは大きな間違いであった。

妻の言葉に空いた間は、次の「守る」という言葉に対する迷い―――私に向けた言葉選びによるものであった。


「母親には敵わないな」


モニターに映る彼女の衣装姿を見たときから私は心の何処かで気づいたのだ。

あの子が本当に欲していたのは、星連秋人という何の力もない一人の人間であり、

妻の言葉に込められた「守る」とは、娘を守護する父親役ではなく娘を「見守る」こと。


妻が本当に伝えたかったことは、

【頑張って】という父親初心者に向けられた…ただの・・・応援エールであったのだと。



『それでは聞いてください。AI/Doll‛s シスタより…』


そして、彼女はアイの最後の意志が込められた曲名を告げる。



『Look! I‛m AI/Doll・・・・.————見ろ、私がアイドル・・・・だ』



「あぁ…見てるよ。ずっと見てる。ずっと愛しているから…」


左胸に優しく手を当てながら私は言葉を贈る。


「だから…頑張れ…アイ。シスタ」



 私たちの奇跡。

 春火の生きた証。

 …そして、私の罪。


二人の最愛を失くした私の物語はここで終わる。



これからは娘の姿と生き様を宿した人型AI————娘を守り続ける家族・・を影ながら応援する男の物語が始まるのだ。




【これは 〝最愛〟を失った・・・ とある男の物語】



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