エピローグ⑤

「決まったかい。春日さん」

「…ええ。秋人さん」


私がそう尋ねると彼女は大きくなったお腹をさすりながら笑顔で答える。慈愛に満ちた妻の表情に私は母となった彼女の明るい未来を思い描き、迫り来るかもしれない現実に怯えていた。


「春と秋。出会うことのない季節が繋がってできた私たちの奇跡きせき

決して離れることのない二つ文字————〝アイ〟

真っ暗だった私の人生に神様がくれたかけがえのない・・・・・・・命。‥‥そして、私の生きた証」


よれよれの字で書いた紙を差しながら妻はとても楽しそうに娘の名を答えた。その和気とした雰囲気に私はいつか見た婦人の姿を思い出し、自然と頬が緩む。


「愛…アイ…か」


病室の窓から青々と広がる葉桜に目をやりながら私は生まれゆく娘の名前を口にした。500年前に咲いていた四月の桜も今では二月末にしか咲かない短いはなになってしまったが、常識や世間の言う「普通」が時代と共に変わっていくのは道理である。


 ただ、この時に私が抱いていた妄想は「娘の口から初めて出る言葉は「ママ」か「パパ」のどちらなのか…」という普通・・の夫婦が抱くそれであり、甘い妄想に逃げた私は妻の髪を撫でて額に接吻せっぷんするのであった。



…それから三日後。

2505年。四月の上旬。

娘のアイが無事に誕生。


その三時間後に妻は娘を抱きながら他界した。





———————————————・・・————————————



『————私たちのアイを‥‥守ってあげてね』


妻の残した映像データの遺言を染み込ませるように私は自らの左胸を掴んだ。


――――――忘れるな。忘れるな。忘れるな。忘れるな。


力の限り掴み、爪を食い込ませ、魂に刻み付け、誓いの言葉を立てる。


「君の生きた証は私が守るよ。この命が続く限り…」


もう誰も映っていないモニターに泣きすがりながら私は「私」を殺し続けることを決意したのであった。

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