エピローグ④


「いらっしゃい、秋人君」

「おじゃまします」


私の鼻が天音家の匂いを覚えた頃、私は一つ行動を起こすことにした。


「これを…お願いします」

「あら…」


想い人への電子恋文を託すような感覚に襲われて私は顔を伏せていたが、そんな私を天音母は意地悪そうに見つめていた。


彼女の提案にあやかったわけではないが、同世代との女子…それも傷心の生娘を相手に出来るほど私の対人能力は優れているわけではない。

そのため、お互い時間に余裕をもって交流できるという利点から私は彼女との文通を選ぶことにした。


「頑張ってね」

「…はい」


楽し気に送られた天音母の言葉に私は小さく答え、その日は珈琲を一杯飲むだけで帰宅した。



 そして、翌日。私と天音春火との最初の交流が始まった。

片想いでも、ましてや両想いでもない男女による25世紀の交換日記。

祖父の言葉の意味を知りたいという我がままを満たすために始まったこれは一体何と呼ぶべきなのか…。


ともあれ、人の想いとは伝える者と受け取る者がいて初めて筋が通るというものだ。此処における恋だとか愛しさといった尊き感情らの代わりが私の隠れた「知りたい」であったとしても多少は誤魔化ごまかせるだろう。


『暇なの?』


彼女からの挨拶はとてもやさしかった。

削りたての鉛筆で描かれた言葉は彼女の心境を事細かに表しており、鉛滓なまりかすで彩られたモノクロのメッセージに私は心打たれていた。


「吾が憑く…」


祖父の言葉を呟く私はきっと笑っていただろう。

筆跡に染み込まれた手癖の数々は明らかに年月を重ねたものであり、私は初めて共通の趣味を持つ隣人を得た気分であった。


「彼女の文に心打たれた」と言えば聞こえはいいが、この瞬間から私が抱いたモノは彼女の生きた字を見たいという変質的な欲求によるものだった。


『君が知りたいんだ』


彼女の文字から表れる心情の諸々もろもろを見たいがために私はこうつづっていた。


…以降、このノートは当時の私からすれば自らの欲望に溢れたモノクロの黒歴史で、今の私からすれば思い出の品となった。他人には決して見せられない代物であったが、時折ページの端に表れる婦人の指紋に私は何度も心をえぐられていた…。




…—————けれども、そんな日々にもいずれ終わりが訪れた。

積み上げられた交換日記は冊子の最終ページに辿り着くことなく、私達の文通は終わったのである。


私が初め、彼女の文で止まった日記。

その期間は二年半。

高校一年の夏に始まり、二年後の冬に終わったそれは私の青春であり、彼女の軌跡きせきであった。


『————私、挑戦してみようと思う』


彼女の未来への展望で終わった日記の一文を見たとき私はある事実に気づかされた。不登校のクラスメイトに抱いていた〝気になる〟が偶然や悪戯や欲望…といった紆余うよ曲折を得て、一つの単純な感情が出来上がっていたのである。


「…そうか」


気づいてしまった以上、私はそれ・・をノートに書き起こすことにした。

初めは行数稼ぎのようにでかでか・・・・とした文字にしようと思ったが、私の一人勝手で彼女との思い出をくじくわけにもいかず、彼女の文の二行下に私は彼女への想いをつづった。


「…ふぅ」


短くも私らしい文を書き終えた直後、私は副作用を起こしたように消しゴムを探すが「どうせ渡すことはないだろう」と諦めて私は静かにノートを閉じ、寒さゆえに鼻をすするのであった。





 翌年2496年の春。私は無事に祖父と同じ国立大学への入学を果たした。

家から近いという理由から咫狸も同じ大学に入学しており、二人で時間を合わせて入学式へと向かうことにしたのだが、


「アキトー! 受付はどっちだ?」

「はぁ…はぁ…あっちだ」


…咫狸の寝坊によって思わぬ苦労を強いられた私は息を切らしながらも何とか無事に受付を済ませる事ができたのである。


「アキトー。先に行ってくれ」

「待て。どこに行くつもりだ」

「…緊急事態なんだ。荷物は任せたぞ」


ところが受付を済ませた途端に咫狸は荷物を私に預けてトイレに直行してしまい、私は一人で自分の席を探すことにした。開演ギリギリに到着したこともあって場内には既に多くの入学生が賑わっていたが、大学側の配慮から席は出身校別に区分されており、席の位置は大体分かるようになっていた。


〈おっ秋人、久しぶり。遅かったじゃん〉

「―――久しぶり。咫狸が寝坊してな」


〈あれ、咫狸くんは?〉

「———トイレだよ。荷物を任されてしまって…」


…などと元クラスメイト達との交流を挟みながら自分の席を探していると、妙な情報が耳に入ってきた。


〈ところで…あんなマスク美人、ウチの学校にいたか?〉

〈すごく綺麗な人だよね…羨ましいわ〉

「? まぁ…また後でな」


何のことだか分からず適当にそう返すと、私は再び自分の席を探すことにした。


「————星連、星連‥‥あった」


自分のネームプレートが置かれた席に腰を下ろして安堵したのも束の間、着崩れたスーツを直しながら何気なしに周囲を見回すと、


「・・・え」


私の右隣りに見慣れた雰囲気の女性が座っていた。マスクをしているため素顔までは分からないが、そのうるし陶器のようにみやびな長い黒髪は私がよく知る人物に近しい素質を備えており、やや大きめのスーツの袖口から出た細く白い十指は樹氷の枝のように儚くも美しかった。


「———、———、———」


そんな私の存在に彼女も気がついたのか。

やがて秒針の如く騒がしい視線を向け始めた彼女に居た堪れなくなった私はこのように声を掛けることにした。


「こんにちは初めまして・・・・・。私は星連秋人です。貴方のお名前は?」

「‥‥春火はるひ。天音春火…です」


少しビクリ‥と身体を震わせながらも彼女は自らの名を述べた。

以前の尖った声とは違う母親譲りの柔らかい声色に私は弾む鼓動と目頭の発熱を感じつつ、鞄からある物を取り出す。


春火さん・・・・。これを…」


肌身離さず持っていたノートを差し出すと彼女は懐かし気にページをめくり、視線を泳がせ、思い出に浸りながら、マスクから感情を零し―――――そして、最後のページへと辿りついた所で彼女は固まってしまった。


「—————————。」


名の知れぬ静けさに心臓を潰されそうになりながらも私はノートの薄い背表紙のラインを見つめる。ノートに刻んだ私の感情が彼女にどのように思われるのかが不安で「すまない」と謝りたくなるのを堪えながら私は懸命に彼女を待ち続けた。


「…秋人さん・・・・


やがて聞こえた彼女の声に視線を移すと、そこにはマスクを外した彼女の素顔があった。


〝遠い隣人〟という謎の言葉が私の脳裏を過ぎったとき、

私は今、このとき、初めて、彼女に出会ったのだと強く実感したのであった。


「私も…貴方のことが好きみたい…です」


そして、私が書いた告白を真似るように天音あまね春火はるひは笑顔でそう答えるのであった。







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『俺は君のことを好きになっていたらしい』

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