エピローグ 春と秋

エピローグ①

やっほ~・・・・秋人あきとさん。元気にしてる?」


ずいぶんと下手くそな挨拶で彼女は語り掛けてきた。数日の寝不足と栄養失調に加え、真っ暗な部屋でそれを見たせいか‥その時の彼女があまりに眩しくて私は一度目をつむってしまった。


「なんか違う気がする。…やっぱりもう一度撮り直した方が————」


まだその髪が長く、うるしのように雅で繊細な黒を保っていた頃の妻がそこにはいた。彼女の様子、背後の風景などから動画が撮られた時期は八月の初めごろ。ちょうどアイを身籠って入院してから一月半経った頃だろうか。


「———え、もう撮り直すのはイヤ? そう…分かった」


彼女———旧姓:天音あまね春火はるひとの出会いは高校の頃だった。厳密に言えば言葉通りに出会った・・・・のは大学時代なのだが…ともかく彼女との付き合いは高校時代にまでさかのぼる。



——————————・・・————————————



 高校一年。当時学年トップの成績を誇るクラスメイトの有頂天咫狸あたりに闘志を燃やしていた頃、私はクラスの学級委員を務めていた。クラスに誰も学級委員をやる者がおらず教室に充満した他人任せや怠惰といったクサい・・・空間に耐えられなかった私はたまらず自ら立候補した。融通の利かない中学校時代の学級委員に比べれば高校のそれ・・など大して苦にはならない…という油断があったのは認めるが、まさか教師側から苦を貰うなど誰が予想できただろうか。


星連ほしつら、これ頼めるか?」という文句から依頼・伝言などを任される私は余程できた生徒か。もしくはただの都合の良いリアルSiriであっただろう。


…こうして仕事を認められた私は生徒会への推薦を受けることになった。大学への推薦入試に箔がつく上、この苦労が僅かにでも報われると考えた私はその推薦を迷わず受けることにした。


「星連、放課後少し空いているか?」


放課後の呼び出し‥というものを初めて受け、肝を冷やした私だったが担任の口調から毎度の頼み事だと理解した私は緊張の緩和から、あまり話の内容を聞かずに「はい」と答えてしまった。



「———アキトー。お前、いいように使われてるだけだぞ」

「…うん。流石に今回ばかりは俺の不注意だったよ」


 この日、私は初めて咫狸と帰路を共にした。普段は互いに違う道を通って登下校していたので気がつかなかったが、咫狸とその叔父夫婦が暮らすアパートは学校から徒歩10分ほどで方向は私の家と同じであった。


「どうしてわざわざ遠回りするんだ?」


尋ねると咫狸はただ「つまらないから」と答えた。


「景色とか匂いとか音とか。同じ道を通ると同じものしか感じられないだろ?それに‥」


咫狸は立ち止まり、ある方向を指差しながら彼はこうも答えた。


「自分の歩ける道がどのくらいあるかは知っておいて損はないだろ?」


――――それは本当に通学路の話なのか?


そう聞くのが野暮な気がして私は静かに彼の指先———天音あまね春火の自宅を見つめていた。




「それじゃあな。頑張れよ」


天音家への道案内を終え、咫狸は去っていった。依頼に対し、必要以上に応えない姿勢は私も見習いたいところではある。


「…よし」


帰りがてら喫茶屋に向かうと言っていた咫狸を暫く見送り、ようやく私は天音家を正面に捉える。直方体が連なる二階建ての一軒家。家の大きさは住宅街に並ぶような…いわゆる普通サイズではあるが、細部の造りや管理された庭を含めた総観美は一般家庭が築くものよりも上等なものであった。


「失礼します。娘様のクラスの学級委員をしております。

桔梗ききょうが丘高校1―D組の星連 秋人と申します。本日は学校書類や授業資料を届けに参りました」


「まぁ、わざわざありがとうございます。

 こんな暑い中で立ち話もなんですから‥どうぞ上がっていって下さい」


「…おじゃまします」


「咫狸であれば、どう上手く断っていただろう…」と私はまた彼と自分を比較しながら天音家に足を踏み入れた。



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