17.「■■/■■」



「…ついに本番ですね」


鏡を見つめて彼女は呟く。…しかし、誰からの反応もない。

楽屋には彼女以外の姿はなく、その言葉は自身に向けたものであったからだろう。


桃色寄りの紅髪。

すらりとした手足。雪像のように美しい白肌。

少し高めの身長に加え、女性的に恵まれた身体をした彼女がまとうのは世に出たという表現すら通じない程、刹那的な寿命を迎えた衣装に改良を加えたもの。


「…アイ様・・・


彼女の瞳に映っていたのは自身の姿であり、同時に自身であったもの・・・・・・・・の幻影だった。





――――――――――――・・・————————————





…あの雨の日。

有頂天 咫狸の提案を受けた私はAI技術省の研究所へと移送された。

所内に他の研究員の姿は無く、研究所で私を待っていたのは創造主である明日あゆむ博士であった。


「こんにちは。また会ったね」


【‥‥博士】


電力プラグを連結させながら博士は笑顔で私を出迎えてくれた。

主への忠誠心とは違い、ASBシリーズ・AI機器の創造主である博士は私達にとってはまさに父・母に等しい存在である。


【‥‥あたたかい】


…博士の顔を見ると私の冷えたボディも心なしか内から少しずつ熱を帯び始めていた。


「あ、ごめんね。‥‥はい、これ使ってよ」


【ありがとうございます】


博士の気遣いに一礼をもって答え、私は受け取ったタブレットに文字を打ち込む。そして画面の文を見せながら私は先程よりも深く頭を下げて一礼した。


『こんにちは博士。ご厚意、感謝いたします。』


「…このくらい別に良いよ。それよりも…」




「—————よう。例の件はどうだ? アスボー」



車庫に車を返してきた咫狸が戻って来るなり博士に尋ねる。

「アスボー」という呼称に私は少し疑問を抱いたが、それよりも何かを言いかけていた博士の様子が気掛かりであった。


「…うん。元々、ASBシリーズには大元となる疑似人格コードをコピー・コンバートさせていたから…それを応用すればできると思う」


「できる」という言葉とは裏腹に博士はとても不安そうな顔を浮かべていた。

私自身が体験したからこそ分かる事だが、博士の浮かべたそれは幼女のやんちゃ・・・・を警戒していた当時の私とどこか通ずるものがあった。


「よし。じゃぁ…ヒトシーや政府各省庁には俺から話を通しておくから許可が取れ次第アスボーは制作に当たってくれ」


そう言うや否や‥すぐさま咫狸は懐から端末を取り出し、どこかへ連絡し始めていた。それが何の用なのかは分からないが端末を耳に当てる咫狸の顔は新しい玩具をもらった子どものように無邪気であった。


【…?】


…そんな二人の様子を私は静観しているつもりであったが、咫狸の行動を前に博士は思いもよらない反応を見せた。



「ちょっと待ってよ…!」


端末を持った咫狸の腕を掴み、頬を強張らせながら博士は彼を睨みつけていた。


【博…士?】


私はそんな博士の姿に驚きを隠せなかった。

感情を‥‥それも怒りを露わにした博士を初めて見たことも要因の一つではあるが、いつも温厚で優しい・・・・・・・・・博士が「怒る」ということ自体、私には信じられなかったのだ。


「…なんだよ歩」


ところが、意外にも咫狸は落ち着いた対応を見せた。

睨み返すわけでも、掴まれた手を振り払うわけでもなく、

ただ静かに博士を見据えていた。



「咫狸さん。それは…この子の意思を尊重した上での話だよね?」



腕を放すと博士は私を守るように両腕を広げて咫狸の前に立ち塞がった。

「意思」という言葉をきっかけに私は何となく二人の話と博士の優しさを理解し始めていたが、その場は既に私が介入できるような雰囲気ではなくなっていた。


「意思か————愚問だなアスボー」


「‥‥は?」


博士の問いに対し、咫狸は「愚問」と返した。

彼が私の何を見て、「愚問」と述べたのかは分からないが、せせら笑うような彼の表情はいたずらに博士を挑発するだけであった。



「この子を人型AIにコンバートする・・・・・・・・・・・・

それがどういうことか分かっているだろう?

人型AIが生まれれば確かに世界は一変するだろうさ。

…でもね。どんな願いから生まれたものであろうと人間どもは必ず私利私欲の道具に利用する。26世紀になった今でもそれは変わらない。いくら技術が向上したとしても人間の生活が少し変わるだけで人間という種の残酷さは、きっと未来永劫変わりは————」



「…話、ズレてないか?」



破裂したように博士は人間という種への不満と嫌悪を語り始めた。

その熱量に私はただ圧倒されただけであったが、これに対して咫狸はただ一言、口を挟むだけであった。


【…図太い人ですね】


この咫狸という男を私は何も知らない。

彼がどう生き、どのようにして歩博士と知り合ったのか‥私には知り得ないことが沢山ある。


…ただ今の発言で一つだけ分かったことがあるとすれば、

有頂天 咫狸という人物の中にはもう一人———冷静に物事を見ている咫狸あたりがいる‥という事だけだった。


「‥‥‥とにかく。

僕はこの子を‥そんな人間共の道具にさせたくない。

この子にこれ以上、不幸になってほしくないんだよ」


咫狸の言葉に冷静さを取り戻した博士は消え入るように心中を述べた。

人間———AI機器でいう主たちに我々を預ける博士の想いは人並の親が抱く感情よりも複雑ではあるが、その芯はひとえに私たちの身を案じるものに相違ないのだ。


【歩博士…】


改めて、この方が創造主であることを私は心底誇りであると感じたのであった…。




「—————だそうだ。

そろそろお前の答えを聞かせてくれよ。…さっきの提案も含めてな」


そして、咫狸は私を指差しながらそう言った。

〝俺の代わりにお前が答えろ〟という他人に全てを丸投げする豪快さは「図太い」を通り越して「太々しい」と言えるものであった。


【私は————】



『—―――なぁ、お前。アイドルにならないか?————』



 …あの雨の中、私を救った男は恐ろしい提案をした。

私に―――それもアイドルになれなかった主の従者に――向かって言うような提案ではない。生命線であるバッテリーと引き換えに、そのような提案をする有頂天 咫狸という男を私は悪魔のような男だと思った。



―――――アイドル…。


それは真夏の暑さがもたらした夢。

アイ様が自らなりたいと願った夢であり、

いつしかそれは私たち二人の夢となった。



―――――そういえば…アイ様は一度も弱音を吐きませんでしたね。


食事、トレーニング、健康管理、美容研究‥と挙げれば切りがないほどアイドルになるべく徹底した日々を続けてきた。初めの頃は生活に慣れず辛そうな様子を見せてはいたが、妥協を許したことは一度として無く、私に甘えることも愚痴を漏らすことも一切なかった。



―――――アイ様を動かしていたのは一体何だったのでしょう?


…その答えは少女が死ぬ間際に告白していた。


人並の愛情すら与えることのなかった父親に自分を認めてもらう・・・・・・ため。


…いや違う。


いつしか仰っていたように父親をぎゃふん・・・・といわせるため。

…父親の中に自分という存在を刻みつけたかったのだ。




―――――そうか。だから私はアイ様に…。


幼女の悪戯いたずら

少女の愚痴。

おとな少女が持つおとな的な精神と少女的な笑み。


その根幹をなす〝健気さ〟が取り憑かせたように私に少女を愛させたのだ。



―――――アイドル、とは何なのでしょう。 



最後に語った少女の後悔。

それは〝アイドル〟という一縷いちるの————父親にだけ輝いて見える星になれなかったこと…。



――――――じゃあ。私は…?


水溜まりに映る自身の姿を見つめ、私は問いかけた。


私はAI機器。

身体は金属、

活力は電気、

記録はチップに刻まれるただの家庭支援用AI。


私はアイドルになれなかった一人の主の従者。

父親に認められたい、見てもらいたい‥という純粋な願いが叶えられなかった少女を看取った者…。




『———死んでも私は貴方にお仕えしたい―――』



あの言葉は私の人生を差すものだ。

死を前にした私の記録から溢れた狂気的な言葉は紛れもなく私という存在を示すに値した。


生きても従者。死んでも従者。

だからこそ、私が果たすべき選択は既に決まっていた。


…たとえアイ様のような完璧なアイドルにはなれないとしても私は先に進み続けなくてはならない。アイ様は私の全てであり、従者たる私はアイ様の———マスターの意志を引き継がなくてはならないのだ。





〈私はアイドルになります。〉




障がいがあったとはいえ一度は姉と呼ばれた以上、

私はアイ様の姉妹シスター


今までその背を追いかけ、見続けてきたのならば、

今度は私が彼女の前を歩いて、その背を見せる番だ。


…私が死ぬその時まで。

未来永劫、消えることのない貴方との記憶を抱きながら私は生きていこう。

父親に認められたい健気で優しい少女が在ったことを私は証明し続けなくてはならないのだから…。







―――――――――――――・・・———————————





コツリ…コツリ…と靴音を響かせながら彼女は舞台へと向かう。

人並みに走れるわけでもない非力な彼女は人間以下の人間だとののしられることもあるだろう。


…むしろ、出来ること自体は生まれ変わる前よりも減ってしまったが、彼女はそれを卑下することは決してない。



「————皆様、初めまして」


 舞台に立った彼女の姿を見て会場は騒然とした。

その美しい姿に驚いたこともそうだが、流暢に話し始める口の動きや手の振りといった細かな仕草からはとても彼女が人工物であるとは思えなかったからだろう。

…もしくは主な要因は別にあるかもしれないが。



「本日はお集まり頂きまして、ありがとうございます」



…その声、その顔、その髪、その衣装。

それはかつて舞台に立つことすら叶わなかった少女が元となった乙女の姿。

「少女が生きていればこのような女性となっていたはず…」という彼女自身の強い要望によってつくられた容姿であった。


「お披露目に際しまして皆様に一つ余興を用意させて頂きましたので、どうぞご鑑賞ください」


ペコリと彼女が一礼すると舞台の照明が暗点。その数秒後、桃色のレーザービームが会場に展開されると曲が流れ始める。



「…失礼致しました。自己紹介が忘れておりましたね」



焦った様子でぺこぺこ‥と謝る彼女に何割かの観客が心動かされる中、

彼女は自らの名を世に発表する。



「私の名前はシスタ。

AI技術省大臣:明日歩博士によって創造された人型AI第一号にして、

秘書長:有頂天咫狸によりプロデュース頂いたグループ名『AI/Doll‛s』でございます」


〝人型AI機器の発表〟という事前情報以外、

何も聞かされていない観客は、そのとてつもない情報量に混乱するばかりであったが、曲の前奏部分が終わりを迎えたところで彼女———シスタは言い放つ。



「それでは聞いてください。AI/Doll‛s シスタより…」



アイが目指したアイドルとシスタの目指すアイドルは異なるもの。

だが、アイへの想いが変わることは決してない。


…そんな自らの意思を示すために一部変更した曲名を彼女は叫ぶのであった。




『Look! I‛m AI/Doll・・・・.————見ろ、私がアイドル・・・・だ』






■■/■■————最終話 17.「AI/Doll」  




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