16.「プロデュース」


曇天の下。

デキる女秘書――副秘書シーラに仕事の一切を丸投げし、咫狸あたりは車を走らせていた。しかし、普段から公共交通機関やタクシーを利用する咫狸が自家用車など持っているはずもなく…現在、咫狸が運転している黒のセダンはAI技術省から拝借したものである。



「—————アスボー、あいつは見つかったか?」


『…うん。咫狸さんが今いる区域内にいるね』



通話の相手はAI技術省の明日歩。

今回の仕事は友人——星連秋人の元から逃走したAI機器を回収する事なのだが本来はAI技術省が行う仕事であり、わざわざ咫狸が出向くような案件ではない。


『カーナビに衛星データを送ったから参考にしてよ』


「‥‥面倒なところだな」


カーナビに表示されたポイントは近辺の路地。

SNSなどの目撃情報を頼りに咫狸が推測した区域内であったが、

…日本衛星から指定されたポイントは車では侵入できない場所であった。


「雨か…」


近くに有料駐車場もないため、やむを得ず咫狸は車を路上に駐車。

念には念を‥とAI技術省の認可証を運転席の窓には張っていると、ぼつぼつ…とせっかちな雨がフロントガラスをつつき始めていた。


「ちっ…」


舌を打った後、咫狸は運転席のシートを倒して後部座席を探り始める。


『…グローブボックスに入ってるよ』


「…助かる」


…やがて音で状況を把握した歩の助言により左手を伸ばしてボックスを開くと、

中には携帯用傘・汎用型携帯バッテリー・小型アダプター、更にはケーブルや工具などが入っていた。


「準備がいいな…」


「何があるか分からないからね。とにかく急いで咫狸さん。

‥‥もう10分であの子の電力が切れるから」


「了解」


バッテリーとアダプターを懐にしまい、携帯傘を差して咫狸は指定されたポイントへと走っていった。





・・残り10分。

それまでに咫狸あたりが間に合わなければ十何年と生きた一体のAIが文字通り「死」を迎える。


AI技術省が市民に貸与するASBシリーズのAI機器は、

必ず専用アダプターを用いて充電しなければならない上、

電力が完全に無くなったAI機器は予め刻み込まれた特殊コードが発動する。


…いわゆる〝消去命令デリートコマンド〟と呼ばれるそれは機器内に保存された全データを完全消去し、AI機器はマスター登録が行われる前の状態へと初期化されるのだ————。





〈電力低下。直ちに充電してください〉


〈電力低下。直ちに―――…〉



「———! どこだ?」


雨音に混じった警告音がかすかに聞こえ、音の方向へと走っていくと、


「…いた…」



狭い路地裏にそれ・・はいた。

壁にもたれた身体は泥水で汚れ、新調された両腕は芯が抜かれたように力なく地面に垂れ下がっていた。



【—————————。】



 〝資料館にあるブリキのおもちゃ〟と〝捨てられた猫〟


それを見た時、不思議と咫狸の脳裏によぎったのはこの二つであった。


おそらくそれの見た目が前者を、

それの雰囲気(ただ薄汚れた金属の塊が壁にもたれているだけなのだが)が後者を連想させたのだろう。



 〝思い出に置き忘れられた玩具〟と〝主なき者〟


この曇天の風景とひと気のない路地裏にいたそれは、

まるで人目を忍んで死を待つ野良猫そのものであった。



〈50…49…〉


「急がねぇと…」


カウントダウンに諭されて咫狸はそれの元へと向かう。

急いで充電できるように‥と走りながらも懐からバッテリーとアダプターを取り出していると、



【———————ああ…アイ様。私は…死んでも貴方にお仕えしたい】



それは言葉を発した・・・・・・

理解不能な電子音以外‥決して発することのないAI機器が確かにそう口にしたのだ。



「—————。」



…まず咫狸の身に起きた事は耳鳴りだった。

「キー…ン」という異常な信号が身体中で鳴り響き、その他の音という音を掻き消していった。


「…はぁ」


…やがて自らの心中を察した咫狸は胸を押さえながら大きく息を吐いた。



全力疾走した心臓の高鳴りとは違う…自己世界という狭くも底の見えない海に焼け石を投じられた衝撃。

あの少女を初めて見た時よりもやや劣るが、童心を蘇らせるような瑞々みずみずしい衝撃は有頂天 咫狸という器の水底にある勝手がきかないケモノを確かに目覚めさせたのだった。



「—————アスボー」



 …気づけば咫狸は歩に連絡していた。

余りある衝撃を受けた咫狸の思考が一体どのような回路を辿ったのかは本人にも分からないが咫狸は歩に一つ尋ねた。



「…AI機器のデータを別のAI機器に送ることは可能か?」


コンバート・・・・・のこと?

コピーとかじゃないなら多分出来るけど…急にどうしたの咫狸さん?』


「そうか…」



〈6…5…〉


持っていた傘をそれに被せて咫狸は一時いっとき、天を仰いだ。

雨が顔に当たる感触は不快極まりないものであったが、頭を突く雨粒が何かしらのインスピレーションをもたらしていくのを咫狸は体感していた。


「面白くなりそうだな…」


『…え…何て言ったの?』


歩の問いには答えず、咫狸は被せた傘の中でバッテリーとアダプターを繋ぎ合わせる。そして、背面にある電力供給口にアダプターを差し込むと同時に咫狸はニヤリと笑って答えた。




「アスボー…日本が変わるぞ」






――――――――――――・・・——————————————






「—————ようやく見つけたぞ」


【※※…※※※※、※※※…※※※※…?】


電力を確保すると、それは再び話し始めたがやはり・・・不可解な音を発するだけであった。


あの現象が何なのか。咫狸には見当がつかず「どうせ歩が何か知っているだろう…」と早々に片づけてしまう。


…そんな事がどうでもよい思えるほどに今の咫狸は興奮状態ハイになっていたのだ。



「なあ、お前。————————アイドルになる気はあるか?」



【・・・・・。】



しばらくの間、それ・・は黙り続けていた。

幾千もの雨粒が身体を濡らし続ける中、ほんの少しだけ冷静になった咫狸が「もしかして再び電源が落ちかけているのか…」と不安になり始めたところで、



それは——————————と答えた。





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