14.「時間」


「秋…人?」


咫狸あたりがトイレから戻ると斎場にいたのは二人の人物のみ。

棺に納められた氷塊ひょうかいの娘と死体役のように床に貼りついた父親の姿だった。


「…」


父親の顔には死亡当時の感情が保持されていた。


目は丸く、口は半開きに、

右頬には手が当てられており、

視線は咫狸が現れた扉の方向を差していた。


「大丈夫か?」


急いで駆け寄って手を差し出すと、ようやく・・・・咫狸の事を認識したのか…父親の顔は元に戻っていた。


「…あぁ。だいじょうぶ」


咫狸の手を借りて立ち上がると、二人は近くにあった椅子に腰を下ろした。


「…なぁ、あっちゃん。」


「ん?」



「俺は…何を間違えたんだろう?」



「俺」という普段と真逆の懐かしい一人称。

そして、友人が初めて見せた〝弱み〟を前に咫狸は迷った。


「そうだなぁ」


それは非常に難しい問いだった。

子を持つことはおろか咫狸は父と呼ばれるものになったことはない。

…しかし、だからと言って友人の見せた弱みを無下にすることも出来ず、咫狸は直感で答えることにした。


「間違い…じゃねぇよ。

 一人娘の幸せを願ったことに間違いがあるもんかよ」


この時、不思議と咫狸の脳裏によぎったのは目の前にいる友人への疑問だった。


目の前にいるのは二十年来の付き合いにおいて初めて弱みを見せた男。

そんな彼が自分の娘に弱みを見せたこと・・・・・・・・・・・・・などあったのだろうか————と。


「でもよ、アキトー。俺から言えることがあるとすりゃ‥」


それは「彼には出来なかった」のだろう。

託されたから、一人娘だから、たった一人の肉親だから、

この友人は父親の役に徹するしかなかったのだろう。


自らの甘い感情を剥ぎ捨てて、

現実的に娘の将来を考えた上で友人が選んだものは、

娘の守護者という名の油断も隙も無い厳格な父親像だった。



「————もっと娘と喧嘩するべきだったんじゃねぇかな」



それを一年、五年、十年‥と続けてきた父親が娘と本気で喧嘩などするはずがない。積年の覚悟で鍛え上げられた言葉と気迫だけで子を御し得てしまうからだ。




「‥‥ははは」



…やがて友人は乾いた声で笑った。

「その手があったか」という解放的な笑みと

「もう遅い」という自虐的な笑みを交互に浮かべて…。


「あぁ…今まで一度も喧嘩なんてしたことなかったな…アイ」


棺に触れながら父親は娘に優しく語り掛ける。


「妻に似て…本当に優しい子だったんだな」


そう言って娘の顔を見つめると星連ほしつら秋人は泣き出した。


抱きしめるように棺に寄り添いながら


「ごめん・・・ごめん・・・」


と何度も謝っていた。




「秋人…」



不器用な父と優しい娘。


きっと、ほんの少しのすれ違いがあっただけで、

何か小さなきっかけがあれば修復できる関係だった。


確かに上手いやり方もあったのかもしれないが、尊敬すべき友人がそうであったように誰だって初めては失敗するものだ。


「何が〝未来のため〟だ。

〝今〟から…〝過去〟から目を背けていただけじゃないか。

もっと一緒にいてあげれば良かった…あんなに寂しそうにしていたのに!

一度でも、ちゃんと褒めてあげれば良かった…あんなに頑張っていたのに!

アイドルも――よくは分からないけど…応援してあげれば良かったのかな…」



しかし、この友人が失敗をしたとは思えない。

…ただ、愛した妻と愛する娘との時間があまりにも短かっただけなのだ。



「アイドル…か」



棺に納められた少女。

アイドルになれなかった無念の氷像を見つめ、有頂天うちょうてん咫狸あたりは短く鼻息を漏らした…。

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