第36話

8月2日


「貸してくれない、身体」

 普段は許可取りなんてしてこないどころか、勝手に身体の主導権を奪うことさえあるというのに珍しい事もあるものだ。

「1分100円」

「は? 高いわ、普通に。相場は10でしょ」

「他はどうか知らんけどうちはこの価格でやらせてもらってるんで」

「絶対バックに黒いのついてるじゃん」

「お客さん、変な言いがかりは困るよ。それで、払うの? 払わないの?」

「くっ……払います」

「契約成立。はい、お好きにどうぞ」

 くだらない茶番はこの辺りにして、私は身体を渚に差し出した。何度体験しても、自分の身体に渚が入り込んでくるという感覚は気持ちの良いものではなくて慣れない。

「……太った?」

「は? 追い出されたいの」

「ごめん。嘘。冗談です」

「なら良し」

「良かった。死ぬとこだったわ」

 お前、既に死んでいるけど。と突っ込んでやりたくなったが、某世紀末の漫画感が出てしまうのと、未だにしっかりと渚の死を受け入れることが出来ていない私の心がその言葉を抑え込んだ。

「やることがあるのなら早く済ませなさい」

「やっば、ってか、今のわたし緋色にお金払えない説あるくない?」

「気が付くの遅すぎ」

「わたしの部屋にまだ財布残ってるかな?」

「確か、仏壇に入っていたはずだけど……あんたの財布だし、中身数十円しか入っていないでしょう」

「いや、流石にもっと入っていたよ。だって高校生だよ?」

 一般的な高校生の財布であればそれくらい入っていても不思議ではないが、一般から外れている渚だからそれはあり得ない。

「ねえ、どうしよう。本当に」

「ツケで良いから。というか、この話題こんなに長々とする必要無いから」

「それはそう」

 自分から話を広げておきながら他人事のようにそう告げた渚に少しだけ懐かしさを感じる苛立ちが芽吹いた。

「外出て大丈夫だよね?」

「好きにして」

 家に居たとはいえ人に見られて困るような恰好はしていなかったので身体の所有権は完全に渚にゆだねて、私は傍観者ぼうかんしゃに徹した。



***



「明、わたしだけど」

 私の身体で行きたかった場所は我が家から徒歩数秒にある天空宅だった。

「琴音さん? どうしました?」

 私には自分の声と渚の声が重なって聞こえているのだが、私以外の人には当たり前ではあるが私の声だけにしか聞こえていないようで、渚の実妹である明もまさか目の前で話している私が私の皮を被った姉であるなんて気が付いているはずもなかった。

「大した用事じゃないけど、久々にこの目でしっかり妹の姿を見ておきたくて」

「暑さでやられました?」

「えっ?」

 驚いている様子の渚だったが、私が明だったとしても同じように返答していた。

「なんか、表情も心なしか変というか……お姉ちゃんみたいなアホ面ですし、顔色も若干青白いです。もしかして熱中症!? 早く上がってください。すぐに麦茶……経口補水液があるのでそれ飲んでください」

 流石に渚が憑依した私だとは思わなかったようだが、妹というだけあって普段の私とは異なる私に姉の特徴を感じたようだったが、当の渚は実妹にアホ面と言われたことに対してショックを受けたのかはたまた、腹を立てたのか、私の身体を飛び出してしばらくの間、姿を消した。

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Scarlet guess 姫川真 @HimekawaMakoto

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