第32話

「お帰りなさい……」

 何もかもを終えて家に戻ると昨年から住み込みで我が家の家政夫として働いてくれている佐嶋卓さしまたくという大柄でスキンヘッドの見様によっては反社会的な組織の一員と思われても仕方がない雰囲気漂う男が物悲しげな表情で出迎えてくれた。

「ただいま」

「なんと言葉を掛ければ良いのか……奈々子ななこさんのことは本当に」

「知っていたんだ。奈々子のこと」

「お姉さん……音々子ねねこさんと言いましたか、彼女が所属している報道部の部員と名乗る方が来られて教えていただきました」

「その事で少しだけ佐嶋さんと話したい事があって、時間ある? 家事とか途中じゃない?」

「やるべきことは済んでおります」

「じゃあ、少し場所を変えさせて」

 佐嶋さんの返答を聞くことなく、彼の腕を引いて家の外へ出た。

「本当に残念」

「お気持ちお察しします」

「奈々子の事じゃなくて、の事……」

 私の言葉を合図にしたかのように佐嶋さんの手首には手錠がかけられた。

琴音ことねさん、これは一体どういう事ですか?」

「奈々子が死んだ事を報道部から聞いたって話、嘘でしょ?」

「私がそんな不謹慎な嘘を吐くわけが……」

「奈々子は死んでないの。音々子が影武者になって死んだことになっていただけ。その音々子ももちろん生きている」

「騙したのですね」

津ヶ原幹治つがはらもとはるを騙すためだけの嘘のつもりだった。まさか、まで釣れてしまうなんて思いもしなかった」

 真犯人と言われても否定する事なく、佐嶋さんは不適な笑みを浮かべるだけだった。

「これ、津ヶ原幹治を転ばせた時に壊れた状態で出て来たけど……盗聴器でしょ?」

「えぇ、それは津ヶ原が病院へ向かう直前に取り付けたもので間違いありません」

「随分と素直に白状するのね」

「お粗末とはいえ、警察上層部さえも操って隠蔽いんぺいを行った津ヶ原の悪事を白日の下に晒した琴音さんに対して今更どのような言い訳をしても無意味な事くらい承知しているつもりです」

 そう告げて微笑む佐嶋さんの表情は強面こわもてではあるものの、とても純粋で綺麗な笑顔だった。

「佐嶋卓さん、詳しい話は署の方でお聞かせ願います」

「待って」

 佐嶋さんを連行しようとする華さんに私は待ったをかけた。

 およそ330日共に過ごしようやく家族に近い関係になって来たのだと思う佐嶋さんと会うのはきっとこれがになると思ったから。

「佐嶋さん、どこから関わっていたの? この

「最初からです。最初から全て。水奈みなお嬢様に天空渚てんくうなぎささんの殺害を提案したのも、隠蔽の為に津ヶ原に警察上層部とのコネクションを繋いだのも、水奈お嬢様が天空さんを殺害した事実を愛生森夏あいおいしんかに伝えたのも、壊れてしまった水奈お嬢様を楽にして差し上げる為に愛生森夏を手引きしたのも、琴音さんへの復讐を目論もくろんでいた津ヶ原に助言を与えたのも全て私です。彼らの雑な性格と琴音さんの優秀な能力で全て明らかとなってしまいましたが」

「どうして……」

「私は長年に渡って津ヶ原につかえてきた執事ですから。主人の命令は絶対忠実。それが例え非人道的行為であったとしても」

「最低」

 いくらでも佐嶋さんを……この男を罵倒する言葉は脳内に溢れ出していた。しかし、私はこの言葉だけしか口にしなかった。

「琴音さんは本当にお優しい。最後に一度、その優しさにつけ込ませて頂けますか?」

「手短に。華さんたちが待っているから」

「では、手短に。『佐嶋卓は新たなつとめ先へ向かった。短い時間でしたがお世話になりました』とお母様にお伝えください」

「忘れなければ言っておく」

「宜しくお願いします」

 その言葉を最後に私は二度と佐嶋卓という男と出会うことはなかった。



***



7月13日

 渚の三回忌であり、幸か不幸か日曜日であったこの日、法要を行う為に借りたホテルの会場には私や渚の家族以外に松葉杖をついている優美ゆみや奈々子と音々子姉妹も参列していた。

「お姉ちゃんって、意外と人脈あったんですね」

「それって、私に対する悪口? それともわたしに対する悪口?」

「もちろん、あっちに決まっているじゃ無いですか!」

 罰当たりにもめいは遺影に指を差してそう言った。

「優美さんたちの事は知っていましたけど、警察や探偵事務所からお供えや香典が届いたってお父さんとお母さんすごく驚いてましたよ」

「あぁ、それは私の人脈」

 渚がきっかけで繋がることの出来た人脈ではあるけど。

「警察はまだしも探偵って……」

「繋がろうと思って繋がった訳ではないから」

「お姉ちゃんはすごく変でしたけど、琴音さんもだいぶですよね」

 明が『変』という単語を強調して言ったからか、偶然話し声が聞こえていたらしい優美たちは私を指差し嘲笑ってきた。

「明、よく聞きなさい」

「ひえっ!?」

「渚が生まれてから死ぬまでほぼ全ての時間を呆れても、喧嘩をしても、結局は共に過ごしていた私がじゃないはずがないでしょう?」

 私は堂々と言い切った。

 恥ずかしくなかったと言えば嘘にはなるけれど。

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