第31話

「な、何故お前が……。とでも言いたそうな表情をされていますが、私が連れてきたがここに居るのがそんなにも不思議なことですか?」

「当たり前だ、彼は今日の昼には……」

 これまで私に見せてきた余裕を失った様子の津ヶ原幹治つがはらもとはる千景ちかげさんにそう言いかけると自身のお喋りな口を手で押さえた。

「貴方がそちらに居る緋色琴音ひいろことねさんの友人、小崎奈々子こさきななこさんを車でねるようの指示を出した相手。そして、今日こんにちまでに起きた明才めいさい高等学校のボヤ騒ぎと報道部所有サーバーへの不正アクセス、東山優美とうやまゆみさんの事故に関わった容疑者らへの指示役を行なっていたこの男性、大平燕次おおひらえんじは貴方の用意した今頃ドバイへ向けて悠々と空の旅をしているはず。残念ですが、その思惑は事前に防がせていただきました」

 私には物怖じする事なくピシャリと言い放つその姿がとても格好良く映ったが、

「良いところで取られてるじゃん。めっちゃ。出番」

『私立探偵とは言ってもやり過ぎじゃない?』

 と、なぎさや私のスマートフォン越しにこの会話を聞いているはなさんはあまり心惹かれていないようだった。

「大平さん……でしたっけ? 千景さんが言っていた事は事実で間違いないですか?」

「見事という言葉だけでは足りないくらいの手際だったよこの姉さんたちは……。幹治さん、私たちにはもう後がない。洗いざらい全て話して楽になりませんか?」

「ふざけるのもいい加減にしろ! 君が指示しただけだろう! 私は一切関係ない。これ以上くだらない茶番に私を巻き込む……」

 パチンッという頬をぶつ音が病室内に鳴り響いた。

「なっ……!?」

 津ヶ原幹治は床に倒れ、私の右手はジンジンと痛んでいた。

「しょ、傷害だぞこれは! 君たち見ていただろう!?」

「失礼、少しよそ見をしてしまっていたようで」

「申し訳ありません。私も同じくです」

「け、刑事は……電話で聞いていただろう? 殴られた。私は殴られたんだ。緋色琴音に!」

『音だけでは自作自演の可能性は捨てきれないですね。それに、その場には貴方以外に目撃者が二人も居るのにどちらもその様子を目撃していない。すぐに立証するのは難しいかと』

「どいつもこいつもふざけやがって……」

「はぁぁぁぁぁ……」

 とても大人とは思えない自分勝手な言動に呆れた私は自然と大きな溜息を吐いていた。

「天空の痛みはこんなものじゃなかった! 自分の身長よりも何倍も高い場所から地面に突き落とされたあのの痛みはこんな程度じゃ!」

「それとこれとは話が……」

「別、じゃないですよね?」

 激昂する津ヶ原幹治にそう意見したのは部下であるはずの大平という男だった。

「二年前の7月に貴方はわたしにこう命じた。『娘が人をあやめた。証拠の隠滅を手伝って欲しい』と」

「な、何のことだかさっぱりわからないな」

「貴方が覚えていなくても私はしっかりと覚えています。水奈ちゃんには罪を償わせましょうと言った私に対して『娘の心配をしているのではない。私の立場の話をしている! 娘が殺人を犯したことが世間に明るみになれば私が築き上げた地位は、名誉は、全て崩れ去ってしまう。そんな事になれば君だって困るだろう?』その言葉に当時のわたしは逆らえなかった」

「ふざけた妄言だ」

「黙って」

 私には到底知ることの出来なかった事実を語る大平に茶々を入れる津ヶ原幹治にはボソッと言い放った。

「幹治さんに逆らうことの出来ない私たち部下が現場の証拠を隠滅している間に幹治さんは警察の上層部を動かして事件を事故へと変貌させた」

「しかし、それは琴音さんによってあっさりと暴かれてしまった」

「ええ。驚きましたよ。ただ、明かされた事実は都合のいいように脚色されていた」

 犯行は津ヶ原水奈とその世話役を務めていた佐嶋卓さしまたくという大男の二人が行ったと脚色され、その後、死亡した状態で発見されたと報道され全てが有耶無耶のまま幕引きとなっていた。津ヶ原水奈が津ヶ原幹治の実子だった事など報道もされ無かった。

「その脚色のおかげでわたしは罪に問われる事は無く、日に日にあの日の事は頭の隅へと追いやられようやく罪の意識が無くなろうとしていた最中、わたしは再び命じられてしまった。『津ヶ原の名に泥を塗ったあの少女に復讐を行う。手伝ってもらえるな?』と」

「貴方はその言葉にまたしても逆らうことが出来なかったの?」

「仕方が無いだろう! 右腕だった佐嶋が死に、私がその後釜を任された。裏切るなんて出来るはずが無い」

「でも貴方は今こうして隠蔽し続けるべき事実を語っている。それは何故?」

「最後の指示……本当はまだあったのかもしれないけれど、その内容を聞いてわたしにとっては最後の指示だと思ったよ。『小崎奈々子を殺せ』その指示でわたしもとうとう尻尾切りに合うのだと悟った。同時に幹治さんへの忠誠心が揺らぎ、中途半端な結果を残し罪悪感を抱きながら国外逃亡を図ろうとしたわたしを私立探偵だという彼女の部下に捕らえられた。わたしに残された道は、罪を償い隠蔽された悪事をさらけ出す事だけ。そう、思ったからです」

 全てを曝け出して緊張の糸が切れてしまったのか、大平という男は全身の力が抜けたかのように床にへたり込んだ。

「大平、貴様私への恩を忘れたか!」

「貴方から頂いた恩と同じくらい、私を殺人者へ変えようとした貴方への恨みがあります。もういい加減罪を認めて償ってください。貴方が間接的にあやめたたちへのために……」

「仮に大平の話が事実だったとして、私人しじんしか居ないこの状態で私を捕まえることなど不可能だろう? 子供のお遊戯にこれ以上付き合い切れない。失礼する」

 きびすを返し、病室を出て行こうとした津ヶ原幹治は姿勢を一切崩す事のないまま床へ倒れ込んだ。

 全く、わたしは足癖が悪い。

「確かにこの場には私人しかいないけれど……。

 マッキー」

「津ヶ原幹治さん、大平燕次さん、先ほどのお話扉の外で聞こえてしまいまして……署の方でお話お伺い出来ますか?」

「任意同行だろう? それには応じるつもりはない」

「そうですか……」

 マッキーこと巻島八重彦まきしまやえひこさんが私たちとは別の方へ視線を逸らすと、何もしていない……若干の傷害罪は起こしてしまった私や本当に何もしていない……誘拐罪くらいには問われるかもしれない千景さんも背筋が自然に伸びてしまうほどの威厳を持ったおじさんが現れた。

「津ヶ原さん、元副警視総監が以前よりお世話になったようで。私は息子に呼び出されて来ただけなので詳しい事はわかりかねますが、個人的な理由で警察を動かされた二年前の件について少しだけお話しませんか?」

「緋色琴音ぇぇぇ! 許さん、許さんぞぉぉぉ!」

「私は……

 わたしも……

 貴方のことは許すつもりはありません。さようなら」

 津ヶ原幹治はその叫び声と共に八重彦さんの父親である警視総監に連行、大平燕次も八重彦さんと共にこの場を離れた。



***



「疲れた」

「お疲れ様だったね。よく頑張ってくれた」

「今度こそ捕まるんでしょ? あのおじさん」

「警視総監まで巻き込んでしまったのだから遅かれ早かれ真実はひとつ残らず明るみに出ることだろうね」

「良かった。それなら」

 またしても私には到底似合わない笑顔を作ったわたしがそう告げると、すうっと身体が軽くなったような気がした。

「まだ、全てが解決したとは言い難いけれど、二人きりで話したいことがあるだろう? 人が寄り付かないように見張っておいてあげるから二人の時間を過ごすといい」

 千景さんの余計な気遣いに甘えた私たちは向き合って二人だけの世界に浸った。

「緋色、ありがとう」

「急に何?」

「わたしが死んでから今日までのこと全部。緋色が居なかったらわたしみたいに消えて無くなっていたと思うから」

「それなら、私の方こそ。天空が居なかったら真実に辿り着かなかったと思うから、その……ありがとう」

 面と向かって感謝を述べる事がこんなにも恥ずかしい事だとは思わなかった。

「お礼は言ったから、次は文句。琴音!」

 久しぶりに渚から名前を呼ばれ、私の身体はビクリと跳ねた。

「もう、死のうとしないで」

「は? そんな事」

「しているでしょう?」

 私のを指差した渚の瞳は怒っているようにも、哀しんでいるようにも見えて心が苦しくなった。

「気付いていたの?」

 リストカットをほどこした手首を人前に初めて晒した。

「琴音の身体を借りるたびにすごくズキズキした。痛かった。苦しかった」

「それは……ごめん」

「そんな事、二度としないで。琴音が死ぬのは耐えられない」

「約束は……出来ない」

 渚が耐えられないのと同じくらい私だって耐えられないのだから。

「今のわたしは琴音の中で生きている。琴音が生かしてくれている。でも、琴音が死んだら今度こそ……」

「……わかった。しない。しないから」

「言ってよ。目を見て、ちゃんと」

「もう二度としない。と心中しようだなんて」

「ん。それで良し」

 渚はギュウっと私を抱きしめてきた。

 その感覚を私は一切感じる事は出来なかったが、そこに渚が居るという温かさは実感出来た。

「琴音、これからもずっと一緒だから」

「渚、綺麗だよ……月が」

「月かーい」

 私の思いは通じる事なくも私の前から姿を消した。

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