第30話

7月7日

 千景ちかげさんの推測は現実のものとなった。

「気分はどう? 

「ん〜 ちと気持ち悪い感じ。乗り物酔いみたいな?」

 音々子ねねこの身体、音々子の声ではあったが、私には目の前にいる人物がなぎさであるという確信があった。

本体音々子は寝ているの?」

「っぽい。一仕事終えて休憩中って感じ?」

 私が声をかけるまで音々子は病院のベッドですやすやと眠っていた。

「驚いた。本当に千景さんが言っていた通りの事が起きたから」

「あんた、音々子に怪我させていないでしょうね?」

「大丈ブイ。約束だったから」

「それなら良かった」

 渚と話していると、コツンコツンと病室に近付いてくる足音が聞こえて来た。

「誰か来た。早く音々子から出て」

「うぃ〜」

 だいぶ前にテレビで見た双子の芸人の持ちネタ『幽体離脱ゆうたいりだつ』を彷彿とさせる動きで音々子の身体から出てきた渚はふよふよと宙を漂い、定位置である私の横に戻ってきた。

「おや、早かったね」

 渚が定位置に着いたのとほぼ同時に病室へ入ってきたのは千景さんだった。

「どこまで読んでいたんです?」

「もう少し先までかな。ここまでは全て推測通り。あっちが繰り出そうとしている次の一手も含めて全て」

 当たり前のようにそう告げる千景さんに安心感のようなものを覚えつつ、この人だけは絶対に敵に回してはいけないという恐怖心も同時に生まれた。

「さて、この後の一手について説明だけれど……」

 千景さんはコホンと咳払いをして、表情を一変させた。

「部下がで音々子さんを轢いてしまったという筋書きを描いた津ヶ原幹治つがはらもとはるはこの後、ここへお見舞いに来ることになっている。そこで、音々子さんにはもらう」

 とてつもなく真面目な表情で淡々とそう告げる千景さんに私も渚も言葉を失った。

「わかっているとは思うけれど、津ヶ原幹治の目的は自分の娘……自分自身の人生を狂わせたへの復讐。きっとその知らせを聞いた彼は大いによろこぶことだろう。琴音ことねさんにはそこを叩いて貰いたい」

 その言葉を聞いた私の身体は全身の毛が逆立つような感覚と夏はまだこれからであるというのに凍えるような寒さを感じた。

「ッ……ダメ! それだけは絶対。絶対に」

「それなら、この役割はに任せても良いかしら?」

「それは……!? な、渚に出来るわけない! 渚はもう……」

「では、私がいま話している貴女は誰? 表情筋の動き、話す時の癖、声のトーン全てが琴音さんとは異なっている貴女は……」

「私に天空が憑いている。そう言われて千景さんは信じる事ができますか?」

「もちろん」

 即答だった。

「広く人脈を形成していると、そのような人のひとりやふたり当たり前のように関わりがある。中には妄言もあるけれど。さて、話を戻すけれど……津ヶ原幹治と対峙するのは渚さんということで良いのかしら?」

「たいじ? って、何するの? 倒すの?

 違う、向かい合うって事」

 自分が出した問いに対して自分で回答する。これほど滑稽こっけいなことはそうそうないと思うが、千景さんの表情はぴくりとも動かなかった。

「渚さんには津ヶ原幹治が手を引いていた事件の数々を自供させて欲しい。出来れば、自白もさせて欲しいけれど……」

「……ヘイ、緋色。自供と自白の違いを教えて。

 は? 知らんが」

「……自供は取り調べ内容に対して犯人……今回なら津ヶ原幹治の口から犯行を認めさせる事。自白は隠している事実を本人が白状する事」

 私が答えることの出来なかった問いを千景さんはなんらかの検索ツールを使用することなくスラスラと回答した。

「出来そうかしら?」

 渚と私のやりとりを見て不安に感じたのか、ほんの少しだけ後ろへ後退あとずさりながらそう尋ねてきた。

「天空に任せると言っても、どうせ私の身体を使うのだろうから困ったら私にパスして。ただし、最終手段として。

 ん、了解した」

「一抹の不安があるけれど、二人を信じることにして最終ミーティングを始めよう。音々子さんもそろそろ体力は回復したでしょう?」

「ん、んん。な、何か夢みたいに現実味のない会話が聞こえたような気がしますけど、音々子が寝ぼけていただけですよね?」

「音々子、最終決戦なのだからシャッキリしなさい。

 そーだそーだ!」

 寝ぼけまなこの音々子を二人でおちょくりながらも私たちは残された時間の中で真剣に津ヶ原幹治という大ボス対策を練った。


 音々子の病室に丁寧なノックが響き渡った。

「どうぞ」

 私に代わって私を演じているわたし声の主津ヶ原幹治を病室へと招き入れた。

「失礼致します……おや?」

「友達のお見舞いに来ていただけなのだけど、何かおかしな事でも?」

「いいや、何もおかしなことは無い。君いない事に驚きを隠すことが出来なかっただけだよ。それで、私の無能な運転手が大怪我を負わせてしまったという君の同級生は今どこへ?」

「亡くなりした。ついさっき」

「亡くなっ……た? そ、それは……それは……」

 狼狽うろたえたように口元を押さえ、胸ポケットから取り出したハンカチで涙を拭うような仕草を見せた津ヶ原だったが、手やハンカチを使っても隠し切ることの出来なかった口角がまるで笑っているように上がっているのを私は見逃しはしなかった。

「お見舞いに来たつもりが、お悔やみを申し上げる事になるとは……。君も辛いだろう? 僅か数年の間に友人をも失ってしまうなんて」

 津ヶ原水奈つがはらみなはただのクラスメイトで友人ではないのだが、わざわざ訂正するような事ではなかったので……。

「津ヶ原さんはただのクラスメイトであって、友達ではないから正確には二人。天空と奈々子ななこの二人だから」

 言ってしまったものは仕方がない。

「水奈は友達ではない、か……。君の幼馴染が亡くなった日、あの娘はわざわざ渚さんのために涙していたというのに……。そのような薄情な態度だから、君は幾度となく大切な人を失う事になるのだろうな」

 薄っぺらい言葉ではあったが、私にはとても鋭利な刃物として突き刺さり、作戦なんて放棄して目の前にいる男を消してやりたいという考えさえ浮かんだ。

 しかし、その考えは一瞬で消え去った。

 私が行動に移すよりも早く、渚が怒りに身を任せて津ヶ原幹治の胸ぐらを締め上げていたから。

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