緋色琴音十八の夏

第25話

7月某日


 私の中のは怒りに身を任せて眼前に立つ男の胸ぐらを締め上げた。

 なんとか党とかいう随分と立派で有名な政治組織に所属する政治家であり、何年か前までは私たちの暮らす梨蘇区りそくの区議会議員でもあったその男が着用している素人目にも高価であることが明らかなワイシャツには綺麗にアイロンが掛けられており、皴のひとつさえ見当たりはしなかったが、締め上げたことによってあっさりと、しっかりと皴が形成されていた。

 しかし、男はその行動に対して怒るような素振りは一切見せず、涼しい顔をして私とを見下ろしていた。

「理解しかねるな、私の知る緋色琴音ひいろことねという少女はこのような手荒な行動を起こす人間では無かったと記憶しているが?」

「見くびりすぎ。するから、こういう事。普通に」

 はそう言ったが、私だって流石に相手は考える。基本はなぎさだけ。

「しかし、まあ。このような行動を起こしたところで一切の意味を成さないことくらいはわかっているだろう? 君がどのような理由で私の事を恨んでいるのか知る由もないが、私は君に一切の関与をしていないのだから」

 涼しく、憎たらしい顔は崩れる事は無かったが、私とを見下ろす瞳の奥には勝利を確信した笑顔が透けて見えていた。

「ん~と、コレはわたしの推……理? 推……測? そう! 推測だけど、が何の作戦もなく来ると思う? あんたの罪は多分マルっとお見通しだから」

 つい先程まで怒りで我を忘れかけていたわたしは男の表情を見て彼同様に勝利を確信したのか、ニヤリと微笑んで恥ずかしくも勇ましくそう告げた。

 そんなわたしを客観的に見て、わたしに笑顔は似合うけれど、私に笑顔は似合わないと痛感した。

「お見通しですか……。それでは、その推測とかいう妄言を是非とも拝聴させていただきたい」

 自分の罪が私のような小娘に暴けるはずが無いという思惑が隠そうにも隠しきれていない男のニタニタとした卑しい表情を眼前にして怒りと気持ちの悪さを貯め込みながら私は、

「んっんん」

 と、最近知り合ったばかりのの癖をオマージュして気持ちを……心を入れ替えるための咳払いをした。

「では、改めて。これは他の誰でもない私自身の推測で、貴方が言うところの妄言だけれど……」

 いつもの様に語りだした私だったが、いつもと……津ヶ原水奈つがはらみな愛生森夏あいおいしんかの時とは違い、干支二周以上も年の離れた相手にすると流石に声がほんの僅かに震えた気がした。

「貴方はここまで行ってきた自身の計画が完璧に、何一つのミスなくこなせて来ていると思っているようだけれど、のあの日から貴方の計画は一つ残らず杜撰ずさん過ぎる」

「私の計画が……杜撰だと?」

「そう、例えば今の言葉。貴方が本当に一切の関与をしていないと言うのであれば、この指摘に対してそのような言葉は出てこないはず。それとも、何か心当たりが?」

「ち、違う! 今の発言は君の妄言に付き合っただけに過ぎない」

 先ほどまで自分の勝利を疑っていなかった男の瞳はたった一言で瞳が曇り、左右に目が泳いでいた。

 という言葉があるが、まさにその言葉通り男の……津ヶ原幹治つがはらもとはるの瞳は私の想定以上に真実を口にしていた。

も、貴方もあまり時間は無いでしょうから手短に……今回の事件の推測だけを語らせてもらうけれど、貴方が私たちに関わってきたのは6月の中旬。直接ではなく、随分と間接的な方法のようだったけれど」

「はて? 一体何を言っているかさっぱりだ」

 先ほど指摘をしたからか、津ヶ原幹治は何も知らない素振りを見せた。

「37万円。この金額に覚えは?」

「……知らないな」

「これは、貴方の口座からいくつかの海外口座を経由して梨蘇区に住むとある男子高校生に振り込まれた金額らしいですけど?」

「出まかせを。ただの女子高校生が個人の金の流れの動きを把握できるはずが無い」

「もちろん。これは知り合いの刑事さんが話していた独り言を聞いたので確認しただけです。それで、思い出しましたか?」

「覚えているはずが無いだろう。私のような仕事をしていると送金なんて日常茶飯事なのだから」

 そっぽを向いてそう答える津ヶ原幹治は焦っているのか妙に口調が早くなっているような気がした。

。それって、おかしくは無いでしょうか? 大人が大人へ送金を行うというのなら日常茶飯事でも不審ではありません。ただ、大人が高校生に送金を……しかも、わざわざ海外口座をいくつも経由するなんて日常茶飯事だとすれば不審以外の何物でもないと思うのは私だけですか?」

「……」

 津ヶ原幹治の返答は無かった。

「次はその37万円という高校生にしては随分と高額な報酬を受け取った彼が起こした事件に関する私の推測を聞いてもらいます」

「好きにしろ」

 わずか数分の会話で私と津ヶ原幹治の形勢は見事に逆転していた。ただ、まだ気を抜いてはいけないという不安が心の隅で強烈な存在感を放っていた。

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