第7話

 津ヶ原水奈つがはらみなさんが渚と直前まで一緒に居たという確固たる証拠が見つかってから一日、二日と経ったが、状況が大きく変化する事は無かった。

「……」

「出ないの?」

「全く」

 あれからお姉さんもとい中林さんとは一切連絡が取れなくなってしまった。

 恐らく警察の圧力というものに押しつぶされてしまったのだろう。

「琴音」

「ありがとう」

 渚と二人で窓の外を眺め溜息を吐いていると奈々子ななこが分厚く膨らんだ茶封筒を渡してきた。

音々子ねねこちゃんからの伝言。事実を明らかにするのがジャーナリストの務めだから。だって」

「ごめん。迷惑かけて」

「気にしないで。それに嬉しかったから。困った時に頼ってくれて。でも、無茶なことはしないでね」

「わっからん」

 とりあえず、渚に倣ってすっとぼけてみた私は学校の屋上へ向かった。



***



「ワタクシを呼びだしておきながら遅れてやって来るとはあまりに失礼だと思いませんの?」

「ごめんなさい、準備に手間取ってしまったものだから」

「準備ですの?」

「そう」

 今の私は魔王に挑む勇者の気分だった。仲間は幽霊一体だけと心許ないが。

「回りくどいことは苦手だから単刀直入に言うけれど、自首……出頭? まぁ、どちらでも良いけれどしてもらえないかしら?」

「何を言い出すかと思えば、どうしてワタクシがそのようなことをしないといけないんですの?」

「だって、殺したでしょ? 天空を」

「突然何を言い出すかと思ったら、ふざけるのもいい加減にして頂きたいですの。あの女は自ら飛び降りただけですの。ワタクシが知らない所で、たった一人で」

 煽られ慣れていないのか、津ヶ原さんは早速怒りが頂点に達している様子だった。

「緋色、今から話すことそのまま伝えて」

 渚は私の背中に実体のない背中をピタリと合わせそう告げた。

 私は小さく頷き、渚の言葉を復唱した。

「今から話すのは、緋色琴音が生前の天空渚から聞いた最期の話」



***



「お待たせ」

「遅い」

 琴音はわたしの家の前で腕を組みながらそう告げ、わたしの顔を見つめると目を見開いて驚いていた。

「あんた……どうしたの?」

「? どうもしてないけど。いつも通り、イエーイ」

「いや、どうかしているでしょ。その

 琴音にそう言われてわたしはようやく気付いた。

「部屋にあったから塗ってみた。似合うでしょ」

 琴音に向けて投げキッスをしてみると、わたしの投げキッスは地面に叩き落された。

の口紅って、趣味悪すぎでしょ」

「え~ 明が誕生日にくれたやつだけど」

 去年の。

 貰った日に失くして、昨日の夜にベッドと壁の隙間に挟まっていたのを見つけた。

「あんたたち姉妹は本当に……」

 琴音はそう言いかけて言うのを止めた。わたしには何でも言うくせに妹の明には悪口はあまり言わない。

 言う事もあるけど。

 滅多にない。

 多分、きっと。

「行こうか。無いんでしょ? 時間」

「はぁ、誰のせいで……」

 わたしは後ろから琴音の肩を押して学校へ向かった。

 五歩歩いたところで、

「押すのやめて」

 と言われたので押すのを止めて琴音の背中を見ながら歩いた。

「? あ~。緋色」

 琴音を呼んでみる。

 返答がない。いつもの琴音のようだ。

「先に行ってて」

 もちろん琴音は返事をしない。

「もしも~し」

 わたしはさっきからポケットの中で震えていたスマートフォンを取り出して電話に出た。

 相手は……非通知さん。

『天空渚さんのお電話ですの?』

「えっと~ 知っている人の声」

『……えぇ。その通り。あなたにお見せしたいものがあるのだけれど、今からお会いできますかしら?』

「いいね。どこ?」

福川町ふくかわちょう三丁目の閉店した駄菓子屋はわかりますかしら?』

 そこは小学校の頃に琴音とよく遊びに行った駄菓子屋だった。

「わかる。そこで良い?」

『えぇ。お待ちしていますわ』

「オッケー」

 電話を切って前を見る。琴音の姿はもう無かった。

「おぉ、渚じゃねぇか。琴音は……一緒じゃねぇのか?」

 優美ゆみ、クラスメイト。

「多分、先に行った」

「多分ってなんだよ。ほら、アタシらも行くぞ」

「寄ってから行く。駄菓子屋」

「駄菓子屋? この辺に駄菓子屋なんてあったか? まぁ、遅れるなよ」

「ん~」

 優美に手を振り別れた。優美は今日も黄色い稲妻の名に恥じない良い金髪をしている。グー。

 そしてわたしは駄菓子屋へ向かった。



◇◇◇



「……えっと」

「もしかして、ワタクシの名前を忘れたなんてことはありませんわよね?」

「ビンゴ」

「あなたという人は心底ムカつきますわ。ワタクシは津ヶ原水奈つがはらみな。あなたのクラスメイトで、貴女の前の席に座っている生徒ですわ」

「天空渚で~す」

 握手。

 して貰えなかった。

「時間も無いことですし、さっさと参りましょう。こちらですわ」

「ほ~い」

 わたしはお嬢様っぽい喋り方の子について行く。

 もっと、ついて行く。

 ついて……。

「ちょっと、何をしていますの!」

「喉乾いた」

 自動販売機には美味しそうな飲み物が並んでいた。

 わたしは財布から小銭を……

 小銭……。

 財布……。

「……」

「何故、ワタクシを見るんですの?」

「……」

「はぁ、仕方ないですわね」

 嫌そうにしながらもお金を入れてくれた。優しい。

「これでもお飲みなさいな」

「え、お汁粉」

「この機械は飲み物を出すと聞きましたわ。少々熱いですがそれぐらい我慢なさい」

「取りあえず……サンキュー」

 英語の方が得意そうなので英語で感謝を告げてみた。

 多分、怒った。

 失敗。

 いや、大失敗。

「……」

 熱い、暑い、熱い、暑い。

 小豆が出てこない……この、この、この。

「さっきからトントン、トントンなんですの!? 飲み終えたのならそんなもの捨ててしまいなさいな」

「ゴミ箱無いけど」

「こんなもの、その辺に捨てておけば誰か捨ててくれますわ」

 わたしから空き缶を奪い取った水奈さんは文字通り空き缶を投げ捨てた。

 空き缶は五度ほど地面をバウンドするとコロコロと転がっていった。

 あとで拾いに行こう。

 覚えていたら。絶対に。

「着きましたわ」

「ここは?」

「見ての通り雑居ビルですわ。パパの所有物ですの」

 あまり綺麗ではなかった。

「あんまり綺麗じゃないね」

「どうせもうすぐ解体するビルですの。気にする事ありませんわ」

「へ~」

 水奈さんの背中を追って階段を上る。

「何かあるの?」

「幸せな光景ですわ」

 うん。よくわからん。

「さぁ、屋上に着きましたの」

「いいね。空が綺麗」

「あそこから見る光景なんて特に最高ですの」

「ん~ この辺?」

「もう少し、右ですの」

「ここでしょ?」

「最高の瞬間ですの!」

 ドン!

 と背中が力強く押された。

 振り返ると水奈さんが笑顔でわたしを見ていた。

 咄嗟に笑ってみた。

 錆びついた柵が鈍い音を鳴らして折れた。

 わたしが

「やっほー」

 そう叫ぶと、遠く見ていた水奈さんは目を見開いて驚いた。

「ふふっ」

 わたしが再び笑顔を見せると、水奈さんは顔を歪ませてわたしの視界の外へ出た。

 とても文字にするのが難しい宇宙語みたいな破裂音がわたしの後頭部の方から聞こえた。

 痛いとも感じないほどの何かが身体中を駆け巡り、不思議と身体が気持ち良くなってきた。

「寒いなー」

 体温が全部流れ出ている気がした。

 スマートフォンが震えた。

「スマホ―、電話に出て」

 使ったことの無い機能だけど上手くいった。

『あんた、今どこ?』

「琴音……太陽が綺麗……」

『何言っているの? 天空? 天空?』

 返事をしたいのに口が動かなかった。

 喉が渇いて、耳もどんどん聞こえなくなって。

 最後の言葉、太陽じゃなくてだったことを思い出して。

 わたしは、

 天空渚は

「あぁ~ 失敗した。大失敗」

 深い後悔を心に残して、

 十六の夏を静かに終えた。



***



「ご清聴ありがとうございました」

「う、嘘ですの! あの女にそんな話をする余裕はありませんでしたの! それにあなただって……」

「自白、したね」

 渚はそう言うと私の背中から離れた。

「教えて、どうして……天空を殺したの?」

「理由? そんなの簡単なことですの。顔が良いというだけで老若男女問わずちやほやされるあの女が許せなかったんですの。ワタクシこそが一番美しいというのに!」

「くっだらな」

 心の底から出たにしては随分とコンパクトだったが、その中身は色々な思いが濃縮されていた。

「その程度の嫉妬で人を殺すなら、私は何回天空を殺せば良いの? 私は天空に何回殺されるの?」

「ひぃっ!」

 渚を嫉妬の対象にして躊躇ちゅうちょなくあやめた女が嫉妬の対象にもならない私の顔を見て怯えていた。

「ワタクシは……ワタクシは何も悪くないですの。ワタクシが捕まる事なんて無いですの」

「あなたが捕まろうが、逃げ続けようがどうでも良い。私は知りたかっただけだから。天空がなぜ殺されたのか。その真実を」

 私はそう告げて、音々子さんがジャーナリストとして集めた天空渚殺害の決定的な証拠の数々が納められた茶封筒を天高く掲げた。

「この中にはあなたの悪事の全てが詰まっている。これはあくまで私の勝手なだけれど、天空を殺害したあなたは自分が殺人犯であることを隠すために自分の父親が所有しているあの土地を選んだ。

 そして、狙い通りやって来た天空をビルの屋上から突き落とし、あとは膨大な権力をお持ちのお父様に『転落事故が起きてしまった。このままではワタクシが殺人犯になってしまう』とか嘘を吐いてあのビル周辺の防犯カメラの映像を消してもらうように連絡した。

 そして最後に自分が接触した形跡が残っている天空のスマートフォンを破壊して計画は完了するはずだった。

 あなたの計算外は三つ。

 一つは天空にお汁粉を買ってしまったこと。

 自動販売機の存在すら知らないあなたにはわからないかもしれないけれど、今の自動販売機には監視カメラが導入されているものが少なくない。あなたがお汁粉を買ったあの自動販売機にも監視カメラが設置されていた。そこにバッチリと映っていたそうよ、あなたと天空の姿が。

 それと、あなたが買ったお汁粉の缶だけど、現場付近のごみ箱で発見させてもらったから。今はあなたのお父様の息がかかった警察の手によって無いものとされていることでしょうけど、私の知り合いが既に鑑識作業を終えて天空の指紋と唾液、そしてあなたの指紋を検出したって。

 二つ目は防犯カメラの消去に関して。

 これはあなたというよりあなたのお父様の失態だけれど、消されたはずの防犯カメラの映像はクラウドサーバーにしっかりとバックアップが残っていたみたいでそれも私の知り合いがしっかりと記録メディアに保存してくれた。

 あなたが付き落したシーンも鮮明に映っていた。吐き気を催すほど鮮明に。

 そして三つ、私の存在。

 汚い手を使って事故に見せかけたとしても、それを疑う幼馴染がいるなんて想像もしていなかったでしょう?」

「証拠……それをこちらに寄こすんですのぉ!」

 そう叫んだ津ヶ原さんは自分が美しいと信じて疑わなかった頃の可憐さは失われ、薄汚い化け物のようだった。

「言ったでしょ? 私は真実を」

 私は茶封筒を津ヶ原さんに投げ渡した。

 すると、彼女は素っ頓狂な表情でそれを受け止め、卑しい笑みを浮かべた。

「緋色琴音、貴女は狂っていますの。大切な幼馴染を殺したワタクシを目の前にして、決定的な証拠まで手にしていながら、それを捨ててワタクシを見逃すなんて」

「知りたかった真実はその中のデータで十分理解できた。それをあなたが永遠に抹消しようが、警察に向かって罪を償おうが、どうでも良いし好きにすればいい。ただ一つだけ……」

 私は小さく深呼吸をして、

 津ヶ原水奈を睨みつけ、

 天空渚の幼馴染としてこう告げた。


「天空渚を知る人は永遠にあなたを許さない。何があっても絶対に」


 その言葉が津ヶ原水奈という人間の心にどのような影響を与えたのかわからない。

 ただ、逃げるように立ち去った彼女が居なくなった後、私の心はこの数週間で一番穏やかだった。

「これで良いでしょ? 渚」

 その問いに対する渚の返事は無かった。

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