第2話
きっかけなんて何もなかった。
それくらい自然に私はゆっくりと目を開き、何時間はたまた何十時間ぶりに見た光で目が眩んだ。
「やっほ~。起きた?」
目を覚ました私に渚が声を掛けてきた。
そう、渚が。
「あんた、また勝手に人の部屋に上がり込んで……」
いつもの様に悪態を吐かれてもへらへらと微笑む絵画のような顔を拝もうと身体を起こしてみると、私は上手く身体に力を入れることが出来ずベッドの上でバランスを崩した。
「琴音っ!?」
驚いたように私の名前を叫び、私の身体を支えたその人は……。
「お母さん?」
「琴音、良かった。目が覚めたのね」
渚ではなく、私が起きただけで大粒の涙を流し始めたお母さんだった。
「何? どういうこと?」
「あなた、丸三日も眠っていたのよ」
涙ながらにそう告げるお母さんの言葉を私の頭はすぐに理解してはくれなかった。
「天空、どういうことなの? ……天空?」
部屋には渚の姿が無くなっていた。
それどころか、この部屋はしょっちゅう渚が無断で入り込む私の部屋ではなく、あまりに無機質な白一色の……。
「病室?」
「琴音、落ち着いて聞いて。あまりのショックで覚えていないかもしれないけれど、渚ちゃんは……」
お母さんはそう前置きをして、さっきまでこの場に居たはずの渚がビルからの転落により死去してしまったことを何度も声を詰まらせながら私に伝えた。
「悪夢じゃ、ないんだ」
目が覚めてから今に至るまで、あの光景が頭にべっとりと染みついて離れないからか、不思議と私の心は穏やかで、すんなりとその事実を受け入れてしまった。
「せ、先生を呼んでくるわね」
姉妹以上にいつも一緒に過ごしていた幼馴染の死をあまりにすんなりと受け入れてしまっている私を少し不気味がっている様子のお母さんはそれらしい理由を告げてそそくさと病室を出て行った。
「失礼します」
お母さんと入れ替わるように私だけしかいない病室へ入って来たのは、どこでも買うことが出来そうな安物のスーツをオーダーメイドで仕立てた高級スーツのように着こなす女性と、高級そうなスーツに着られている男性の二人組だった。
「どちら様?」
「
「同じく
警察手帳を取り出して名前を告げた二人は初対面のはずだったが、中林華という名前だけははっきりと知っていた。
「お父さんの娘ですよね?」
「はい。琴音さんとは母親違いの姉妹ということになります。が、今日はその話をしに来たわけではありません」
もちろん、そんな事は百も承知していた。
「自殺した天空渚さんですが、何者かに殺害された可能性があります。そこで、恐らく第一発見者だと思われる琴音さんにお話を伺いたいのですが」
「待って。今、なんと?」
「自殺した天空渚さんに関して他殺の可能性があると」
渚について当然のことながら全てを知っている訳ではないけれど、渚が自ら命を絶つような真似をする人間では無いことは私が一番
だからこそ、私は自殺として処理されていることに疑念を抱いた。
「その反応、琴音さんも自殺では無いとお考えのようですね」
「当たり前でしょう。あの子が自分で命を絶つはずが……」
「何か気になったことは? 例えば、人影を見たとか」
渚の死が自殺では無いと断言は出来るが、その証拠を記憶の中から引き出すことは出来なかった。
「幼馴染の死を目撃してまだ気持ちの整理が出来ていないのでしょう。何か思い出したらここに連絡してください。くれぐれも他の刑事には絶対に連絡しないように」
名刺を差し出してきた中林さんは強い口調で釘を刺してきた。
「どうして、ですか?」
「理由はわからないけど、何者かが警察組織に干渉して他殺を自殺として処理しようとしているみたいだから」
「この捜査も華さんが独断で動いているだけなのでどうか内密に」
法の番人たる警察がルールを無視しているのは一国民として不安でしかないのだが、悪くはないと感じ、中林さんを信用してしまう私がいた。
「じゃあ、私たちはこれで」
「何か思い出したら連絡お願い致します」
「わかりました。くれぐれも、バレないように」
その言葉に中林さんは私には到底真似できないほど綺麗かつ自然に微笑んで病室を後にした。
***
琴音 「退院した」
奈々子 「琴音大丈夫!?」
琴音 「無事」
優美 「琴音、ホントにスマン!」
琴音 「何が?」
優美 「あの日、アタシが止めてれば」
琴音 「優美は悪くないでしょ」
奈々子 「そうだよ! 優美は悪くないって」
優美 「でもよぉ」
琴音 「むしろありがとう」
琴音 「優美が教えてくれなかったら」
琴音 「あの子の最期に立ち会えなかった」
優美 「おう……」
奈々子 「明日は来れそう?」
琴音 「明日は……初七日だから」
奈々子 「そうだよね」
奈々子 「ごめんね」
琴音 「謝らないで」
琴音 「それと」
琴音 「休んでいる間のノートお願い」
奈々子 「もちろんだよ」
優美 「アタシのでも良ければいつでも」
琴音 「優美のノートは遠慮するわ」
優美 「何でだよ!」
***
渚が居なくても日常は変化することなく続いて行くのだと実感しながら、病室のベッドに使われているマットレスとは比べ物にならないくらい柔らかいマットレスを使っている自分の部屋のベッドに横になっていた私はふと窓の外を見つめた。
「なんで?」
私の部屋にある窓から見ることの出来る唯一の景色……
もう二度と家主が戻ってくることのない部屋に突然、明かりが灯った。
「琴音さん……」
いつも通りに窓から身体を半分ほど乗り出して、隣の家……天空渚が住んでいた部屋の窓をノックすると、渚の妹である明が窓を開けた。
「探し物?」
「はい。お姉ちゃん、遺書とか残していないかなって」
「見つかった?」
その問いに対して首を横に振る明を見て私は少しホッとした。
「明はあの子が自ら命を絶ったと思うの?」
「わかりません。お姉ちゃんっていつもよくわからないから。でも、警察の人は自殺で間違いないって……」
今にも泣きだしてしまいそうな明に対して私は何と声を掛けてあげるべきかわからなかった。
「そうだ、琴音さんこれを貰ってくれませんか?」
「これって、あの子の財布?」
「あの日、家に忘れて行ったみたいです。身分証も全てこの中に入っていたせいで身元もすぐにわからなかったって」
「これを渡されても……」
本人の許可が二度と取れなくなってしまった以上、中身を勝手に見ることも出来ない。
「お姉ちゃんのお金の管理はいつも琴音さんがしてくれていたって聞いています。だから、それは琴音さんが管理してくれたらお姉ちゃん喜ぶと思います」
「確かに、あの子よりは私の方がこの財布の使用頻度高かったか」
そもそもこの財布は私がいつだったか……忘れもしない高校入学のお祝いに渚にプレゼントしたものだった。
ちなみに渚からはヘアピンを貰った。いつも思うがレートが釣り合っていない。まぁ、良いけど。
「わかった。大切にする」
「お願いします」
「じゃあ、また明日」
「はい、お休みなさい」
それからしばらくして渚の部屋の明かりは消えた。
***
病室よりも寝心地の良いはずのベッドに横になっていたのに私は一睡も出来ないまま渚が居なくなってから七日目の朝を迎えた。
制服に着替えて身なりを整え、胸ポケットに渚の財布を忍ばせた私は徒歩十数秒の天空邸へ向かった。
「……」
今まで通りインターホンを押して、
「どうも」
なんて不愛想な挨拶をしながら自分の家かのように上がり込むだけで良いのに、私の足はあと一歩のところですくんでしまい動けなくなってしまった。
「緋色、入らないの?」
一睡もしていないからなのか、渚の声によく似た幻聴が聞こえてきた。
「お~い、緋色? うわっ、クマやばっ」
たった一日眠らなかっただけで壊れてしまうほど私の身体は貧弱だったのか。
目の前に現れた天空渚の幻覚を見て私は目頭を押さえた。
「緋色~」
渚の幻覚に名前を呼ばれ、閉じていた目を少し開くと渚の幻影は宙を縦横無尽に泳いでいた。
「なにこれ?」
何度目をこすっても、顔を叩いても、深呼吸をして心を落ち着かせても、渚の幻影は消えはしなかった。
「ただいま」
非現実的で、非科学的で、このような答えしか出せない自分が心底嫌になるが、この世界から居なくなったはずの天空渚は、幻影もとい霊体としてこの世界に帰ってきた。
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