Scarlet guess

姫川真

緋色琴音 十六の夏

第1話

「お待たせ」

「遅い」

 朝から三十度近い気温の中、二十分も家の前で待たせられた私の前に幼馴染の天空渚てんくうなぎさはようやく現れた。が……。

「あんた……どうしたの?」

「? どうもしてないけど。いつも通り、イエーイ」

「いや、どうかしているでしょ。その口紅」

 暑さで私の頭がやられてしまったのかと思ったが、何度見ても渚の唇の色は異常な色をしていた。

「部屋にあったから塗ってみた。似合うでしょ」

 渚の投げキッスを私は地面へと叩き落してこう告げた。

の口紅って、趣味悪すぎでしょ」

「え~ めいが誕生日にくれたやつだけど」

 私の記憶が正しければ去年の誕生日に渚の妹である明がプレゼントしていたものだったはずだけれど、今になって塗ったという事は昨晩ベッドと壁の隙間あたりで偶然見つけたのだろう。

「あんたたち姉妹は本当に……」

 いつもの癖で悪態を吐きそうになり、幼馴染である渚はまだしも幼馴染の妹という関係の明を悪く言うのはいかがなものかと思い口を閉ざした。

「行こうか。無いんでしょ? 時間」

「はぁ、誰のせいで……」

 吐き捨てるようにそう言った私の背中を渚は恐らく善意の気持ちで押してきた。だが、非常に

「押すのやめて」

 それから渚はとても静かにしていた。というより、あまりの暑さに私の頭はぼんやりとしていて渚の声が届いていなかった。

 だからなのか、私は後ろに居たはずの渚とはぐれてしまっていたことに一切気が付くことなく、たった一人で学校に到着してしまった。

「学校まで一本道なのに……」



***



「おっはよーって、琴音大丈夫?」

「なんとか」

 机に顔を付けて冷気を感じていると同級生の小崎奈々子こさきななこが心配そうに声を掛けてきた。

「今日は朝から暑いよね。でも、琴音はクールな旦那が冷やしてくれるんでしょ?」

「天空の手が冷たくて気持ち良いのは否定しないけど旦那じゃないから。それに私たち同性だし」

「奈々子は渚ちゃんが琴音ちゃんの旦那だなんて一言も言ってないけどなぁー」

 にやにやと笑いながらそう告げる奈々子は非常に不愉快だった。

「で、その渚ちゃんは?」

「さぁ? どこかに消えた」

「おっすー って、琴音。渚のやつ通学路に置き去りにされていたぞ」

 元気良く……と言っても常識の範囲内で元気な金髪少女の東山優美とうやまゆみは教室に入って来るなりそう言った。

「引き取る」

「あぁ~ わりい。なんか、駄菓子屋寄ってから来るとか言っていたからアタシ一人で来た」

「駄菓子屋?」

「奈々子は全然知らないけど、この辺にあるの?」

「さぁ? アタシも知らねぇな」

「琴音ちゃんは?」

「心当たりは……ないこともない」

 ただ、その駄菓子屋はもう随分と前に経営していた老夫婦が病に倒れて閉店したはずだった。

「まったく」

「探しに行くのか?」

「違う。落とし物を拾いに行くだけ」

「素直じゃないね」

「ホント、素直じゃねぇよな」

「少なくとも優美には言われたくない」

 正直面倒くさくて仕方がないけれど、長年一緒に生きてきた幼馴染として放っておくわけにもいかないので、私は渚を探しに行くことにした。

「……」

 学校を出てすぐ私は渚のスマートフォンに電話をかけた。

 ワンコール、ツーコール、スリーコール目で電話が繋がった。

「あんた、今どこ?」

『琴音……太陽が綺麗……』

 私の問いに対して渚は声を絞り出すように訳の分からない言葉を告げた。

「はぁ? 何を言っているの? 天空? 天空? ……えっ?」

 渚が私を名前で呼んだ。一般的にはのことではあるけれど、それはいつだったかの過去から私たちにとって当たり前のことではなかった。

「どうしたの? ねぇ、答えて。天空……渚ぁ!」

 渚が具体的にどこにいるのか見当もつかなかったが、優美の情報だけを頼りに私は駄菓子屋があった福川町三丁目へ向かって走り出した。



***



「どこ行ったの?」

 小学生の頃、毎日のように訪れていた駄菓子屋跡地にやって来たが、渚の姿はどこにもなかった。

「……出ないし」

 居場所を聞こうと渚に電話をかけてみたが、一切の反応が無かった。

「天空!」

 無意味なことはわかっていたが、大声で渚を呼んだ。

 結果は想像通り……。

 返答無し。

「何? これ」

 渚の行方に繋がる手掛かりが無くなって溜息を吐いていると、風が吹いている訳でもないのにカラカラと音を立てて転がっていたお汁粉缶が私の足元で

『拾ってください』

 と言わんばかりに動きを止めた。

「こんな時期に飲む人なんているんだ」

 見てしまった、というか見えてしまった以上、このままゴミを放っていくわけにはいかないので、中身が空になっているまだほんの少し温かいお汁粉缶を拾い上げ、私は無意識に飲み口を見ていた。

「これって」

 飲み口にはつい最近見た覚えのあるの口紅が付着していた。

「居場所、教えてくれたの?」

 暑さで頭がやられたのだろう。私は空き缶に対して幼い子供に話すように語りかけていた。もちろん空き缶からの返事はない。

「はぁ、バカらしい」

 私は近くのごみ箱に空き缶を捨てて、空き缶が転がってきた方へ行ってみることにした。

「いい加減出て」

 渚どころか人の気配が一切ない町中で私は再び渚に電話をかけた。

「……」

 またしても応答の無い渚に対して苛立ちを感じながらスマートフォンを耳から離すと、先ほどまでは聞こえてこなかったスマートフォンのバイブレーション音が聞こえてきた。

 私は一度電話を切って耳を澄ませてみた。すると、バイブレーション音は聞こえなくなった。

 もう一度、渚へ電話をかけたが今度はスマートフォンを耳には当てず、手に持ったまま耳を澄ませてバイブレーション音が鳴っている位置を探った。

「……聞こえた!」

 全ての感覚を両耳に集中させて私はゆっくりと歩きだした。

「近い……」

 気を抜いてしまったら聞こえなくなりそうなほど小さな音だけを頼りに十字路を右に曲がると、かすかにしか聞こえていなかったバイブレーション音がはっきりと聞こえ、信じられない光景が私の目に映った。

「天……空? こんな所で何しているの?」

 私の目に映った光景。それは……頭から大量に出血をしながら仰向けで倒れている渚の姿でした。

「天……渚? 渚ぁ!」

 私は渚のもとへ駆け寄ってすぐさま渚の状態を確認した。

 瞳孔は……開いていた。呼吸は……止まっていた。脈は……止まっていた。

 それが指し示す事実は一つ。

 渚はもう……。

「~~~~~!!!」

 目の前の事実を受け止めることが出来なかった私は感情が大きく揺さぶられ、言葉としては聞き取ることが出来ない叫び声を上げていた。

 どれくらいの時間叫び続けていたのか分からない。

 気付いた時には私の意識は途切れていた。


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