5、父の過去
第37話 父
メレンケリはグイファスに呪術師の話をしてもらった日、食事を済ませると、意を決して父の部屋へ行った。
父と話すことは得意ではないのだが、こういうことは気持ちがあるうちに早く済ませた方が良い。何より、メレンケリ自身、呪術師について知りたかった。
ガイスの部屋は、リビングから廊下に進み、突き当りを右に曲がった奥にある。彼女は、ぴっちりと閉まった扉の前に立つと、ノックをした。
「誰だ」
扉の向こうで、くぐもった低い声が聞こえた。
「父上、メレンケリです。入ってもよろしいでしょうか」
「……ああ」
入室の許可を得てから、扉を開ける。すると木の香りが薫った。
父は仕事を辞めてから自室にこもり、木材の加工をしているようだった。彼が『
……ということを母から聞いて驚いた。父に右手の異能以外に、興味があるものがあったことが意外だったのである。
「どうした?」
背を向けたまま、父は尋ねた。
「少し、聞きたいことがありまして……」
メレンケリがそういうと、父は振り返って娘に向き合う。相変わらず表情のない顔をしてはいるが、エプロンをかけ全身木くずだらけになっている父は、『石膏者』をしていたころとは違う種類の生気を目に宿していた。
「何だ」
ただ、メレンケリに対する言葉は厳しい。冷たく、突き放すかのようだ。
「あの、聞きたいことが――」
勇気を出して聞こうと思ったとき、不思議な光景が目に入った。父の右手に、手袋がかけられていなかった。しかもその手にはノミが握られている。
「どうした? 聞きたいことがあるのだろう?」
急に押し黙った娘に、父は問う。
だがメレンケリはというと、目を見開き父の右手に釘付けになっていた。
(おかしい……。これはどういうことなの?)
父も確か、自分と同じ右手に石にする力が宿っていたはずである。なのに、触れても石になっていない。
「父上……手袋は付けないのですか?」
メレンケリは左手で父の手を示すと、「ああ」と低い声で答えた。
「必要ない」
彼女はその答えに、訝しげな表情を浮かべる。
「必要ない……とは?」
ガイスはノミを机に置き、自分の右手をじっと見た。細かな木くずにまみれ、白くなっている。
「この手には、もう物を石にする力は残っていない」
メレンケリは目を大きく見開いた。
「どういうことですか」
「言葉通りの意味だ」
ガイスは自分の手から、メレンケリに視線を移す。メレンケリは首を横に振った。
「私には意味が分かりません。『石膏者』としての役割を終えたら、この力は消えてしまうのですか?」
メレンケリが聞こうとしていることの意図が分かり、父はその質問に答えた。
「いいや。『石膏者』としての役割じゃない。私の力がお前に完全に移ったんだ」
「移る?」
ガイスは頷いた。
「石にする力は、受け継がれていく力だ。同じ家に同じ力を持つ者は二人としていない」
メレンケリは戸惑った。そんなこと、今まで一度も聞いたことがない。
「しかし、父上は私の幼いときに『石膏者』として働いていたではありませんか。そのときすでに私の右手には、石にする力がありました。同じ家に同じ力を持つ者が二人としていないのであれば、これは辻褄が合いません」
困惑した様子で尋ねる娘に、ガイスは淡々と答える。
「すぐに移るのではない。徐々に移行していくのだ。その力を使役できるようになるまで、力は継承者の成長を待つのだ」
「継承者の成長……」
「そうだ」
「では、おじい様は?」
「お前の祖父がどうした」
「おじい様は私が小さい頃も、右手に手袋をかけておりました。それはどう説明されるおつもりですか?」
亡き祖父も、メレンケリが小さい頃朧気に覚えている限りではあるが、右手に手袋かけていた。それも父やメレンケリと同じように。そのときすでに父は『石膏者』として働いていたはずであれば、祖父の手には石にする力はなかったはずである。
父は「そのとことか」と、祖父のことを思い出したようだった。
「長きにわたり手袋をかけていたせいで、それが癖になっていたと言っていた。着けていないと落ち着かないと。それに力を失ったことを他の者に知られたくないとも言っていた。周りの者は、長年手袋をかけている姿に慣れている。突然外した姿を見せたら、会った者全員に説明をしなくてはならない。それが面倒だったのだろう。それ以外にも、私やお前のことを考えてずっと手袋をかけていたのだ」
メレンケリは信じられない、と言って首を横に振った。
「……でしたら、私もこの力の継承者が生まれたら、その力が受け継がれるということですか。そして私からは力がなくなると?」
「そういうことになる」
「……」
「どうした、メレンケリ」
黙り込むメレンケリに、父が声をかける。彼女は父から視線を逸らし、怒りを押し込めて静かに言葉を放った。
「いえ……初めて聞いた話だったので、驚いただけです」
「別に隠していたわけではない。お前が聞きたがらなかったから話さなかった。私が話をしようとすると、お前は耳をふさごうとしていた」
確かに、父が何かを話そうとしていたようなことはあった。だが、まさかこんな話をされるとは思ってもみなかった。いつだって、父の話は仕事や右手の力について気を付ける話ばかり。
メレンケリはうんざりしており、父から遠ざかろうとしていた。
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