第38話 その右手のために

「……」


 すると、ガイスは娘にこんなことを言った。


「本当はその仕事が嫌なのだろう?」


 その言葉にメレンケリの瞳がカッと見開かれ、体は瞬時に熱くなった。怒りとも苛立ちともいえるその感情が、彼女の中で駆け巡る。


「……何故、そんなことを聞くのですか」


 メレンケリはぎゅうっと両手を握りしめ、低い声で尋ねる。そうでもしなければ、自分の本心が漏れ出てしまう。

 だが、彼女の張り詰めた感情を剥き出しにするのは、ガイスにとって容易なことだった。


「そんなに嫌なら辞めればよい。辞めることができるのであればな」


 そのとき、メレンケリの膨れ上がった激しい感情が、堰を切ったように溢れ出した。


「――ええ、そうですよ! 私はこの仕事が大嫌いです! 軍事警察署の脅し役は、軍人たちにとっては都合がいいですけれど、言い換えれば死刑執行人! つまりは人殺しですよ! 私はいつも感情を殺してこの力を行使するのです! そして夜は殺した者たちの怨念に目が覚めるのです! 『石膏者』をしてから、心休まる日などありません! 父上はこの力を誇りに思っておいででしょうが、私は呪いの力だと思っています! どうして、どうして私にこんな力を与えたのですか! どうして‼」


 メレンケリの瞳には涙が溜まっていた。だが父は表情をぴくりとも動かさず、娘の言葉を聞いていた。

 彼は数度小さく頷くと、娘の言葉に同意した。


「……呪いの力、というのは確かにその通りだな。だが、力の継承をメレンケリに決めたのは私ではない。他ならぬその力そのもの。それは幼いころにも話したはず」

「……」

「まぁ、いい機会だ。少しこの力について話そう」


 ガイスはエプロンの木くずを払って立ち上がると、ゆっくりと娘に近づきそっと彼女の右手を手に取った。


 さすがに父は自分もその力を持っていただけあって、メレンケリの手袋越しの右手に触れても、これといって畏れることはなった。ただ、彼は革の手袋からじんわりと伝わってくる娘の体温に、人には分からぬほど微妙に顔を引き締めた。


「『石膏者』という仕事はこの手を生かすために、私の祖父、つまりメレンケリの曾祖父が考えたものだ」


 メレンケリは息を整えながら、訝しげに問い返した。


「……そ、曾祖父?」


 メレンケリが眉をひそめると、父はそっとその手を離す。彼女はそのまま右手を胸の前に置き左手できゅっと握った。


「メレンケリも知っているだろう。『石膏者』が石にした者たちがどうなっていくのかを」


 メレンケリは父から視線を逸らして頷いた。


「……当たり前です」

「しかし、あれは我々の力を社会のなかで生き残るために必要なことだった」


 彼女はその言葉の意味を、胸の内で反芻する。


(社会の中で生き残る……?)


「どういうことです?」


 メレンケリは再び父を見た。


「もし、この力がこの社会で生きている人間の役に立たず、人を恐怖に陥れるだけのものだったとしたらどうだろうか」


 娘は父の意図した質問が分からず、首を傾げた。


「恐怖に陥れるだけ?」

「『石膏者』という仕事は、我々の力があってこそ存在する職業だ。そして軍人たちはこの力を重宝してくれる。それは彼らにとって有益な力だからだ」

「……」

「しかし、これが彼らの仕事の邪魔になったり、一般市民を脅したりするような力だったら、我々はとっくに殺されている」


 メレンケリは急に背筋が寒くなったのを感じつつも、父の淡々とした言葉には、口元に無理矢理笑みを作る。そうでもしなければ、恐ろしくて聞けないような話ではないかと感じたのだ。


「殺されるなんて……私、脅したりなんてしません」


 すると父は椅子に座って、長く息を吐くと作りかけの木箱を手に取り、それを優しく撫でる。


「今ならば、この右手には石にする力はない。だから、何も考えずに触れられる。だが、力があったときは常に右手に触れるものに神経を研ぎ澄ませた。何故なら――」


 そう言って父は言葉を止める。


「何故なら?」


 何故言葉を止めたのか分からなかったメレンケリは、興味本位で聞いたがそれを父の次の言葉を聞いて後悔した。


「私は友人を……この手で石にしたことがあるからだ」

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