第2話 始動
正和は少女を背負って戻ってみたところ、口うるさい女性はまだそこにいた。煙管を吸って余韻に浸っている。
「ああ、なんだ戻ってきたのかね。どうだい、変な連中には会ったかい?」
「ああ会ったよ。組織とかだっけか? イラつかせてやったよ。連中の親玉がイラついてくれるかは知らんが。いるかもわからんし」
「組織? お前組織とやりあったのか。度胸あるなー。あ、あと親玉はいるぞ。とびっきりのやつがな」
女性は若干棒読みっぽい声で叫んだ。
正和は意味が分からず、ひとまずは木の根っこを枕にして少女を寝かした。
「さて、これは仏様から傘を奪った罰なのかね。とっとと退散するか……」
「いや、お前の罰はまだまだ続くようだぞ。ほれ、あちらを見てみろ」
正和は見たくなかったが、見ないとずっと罰が呪いのようにこびりついてくるのを悟り、致し方なく振りむいた。
「このあたりで部下の心の臓が止まる気配がしたと思えば、どこの馬の骨とも分からぬ者が来たものよ!」
「あいつ何言ってんだ?」
「私に聞くな、分かるわけないだろう」
後ろに仁王立ちしていた人間は、筋骨隆々の、顔に傷を付けた男だった。
両手に剣を持ち、構えればすぐさま臨戦体勢に移行できるような出で立ちだった。
「貴様、そこに寝ている女を差し出せば、今回のことは見逃してやろう、さもなくば、貴様の命はないと知れ!」
「あれ有名なのか?」
「んー、確か剣術大会の三連覇達成者じゃなかったか」
「へー」
正和は興味なさそうに返答した。
「で! どうする? 貴様はその女を差し出すのか! それとも差し出さずにここで果てるか! 選べ!」
男は左手の剣で正和を指し、大声で尋ねた。
「ふむ……なぁお嬢さん、これって渡したほうが得になるのか」
正和は目線は男に合わせたまま、女性に尋ねた。彼はここの事情に疎い。もし自分の守ろうとしているものが、悪人であったら、自分は悪人の命を救ったことになってしまう。
そんなことは避けたいので、現地住民の意見を聞きたかったのだ。
「さあ? 後悔するだけだと私は思うがね」
「そうかい……現地住民にさえそう思われてるってことは、お前らそこまでいい組織じゃねえってことだ」
「何だとっ!」
「一丁前にかっこつけて、名前もなく組織だなんて名乗りやがってよ。分かりにくいにもほどがあらあよ!」
「それ誰も言わなかったのに……」
キレッキレの口をかます正和の裏で、女性は小さくそう言った。
「おまけにあどけねえ少女を複数人で追っかけまわす、これのどこが健全な組織と言えるかね!」
「戯言を! もう許せん! この屈辱、貴様の血を持って償ってもらおうではないか!」
男は剣を構え、周囲に衝撃波を生み出した。
石ころが吹き飛んできたが、正和はかえって動かずそれを避け流した。
「我が名はシン! ここで我に剣を構えさせたこと、後悔させてくれる!」
シンと名乗った男は一気に跳躍し、正和の首を刎ねようと躍起になっていた。
「てやぁぁぁぁぁ!!!」
その剣は重く地面に突き刺さり、水しぶきを周囲にまき散らす。
しかし、その剣と地面の間に正和はいなかった。なんと剣の上に立っていたのだ。
「なっ……!」
「甘いな、坊主」
正和はそう言うと、思いっきりシンの頭を蹴り飛ばした。
2メートルはあるであろう巨体は、まるで紙で出来ているのかと疑いたくなるほど、勢いよくその場から吹き飛んだ。正和も刀を鞘から引き抜き、片手で構える。この頃には、雨はあがっていた。
「来いよ坊主」
正和はそう静かに言うと、刀を時計回りに勢いよく回して、鞘に収めた後居合の構えを取った。
「何を小癪な!」
シンも負けじと叫ぶと、地面が抉れるほど踏み込み正和の息の根を止めようとした。しかし、奇跡とも言えるタイミングで正和はそれを避ける。そして、まるで雷のごとくシンの脇の間をすり抜けた。
避けた先の正和の手には、先程まで鞘に収められていた刀が、血を垂らして握られていた。
「ぐっ! ごばぁっ!」
シンの口から鮮血が吹き出す。正和は振り向いて、刀を向ける。
「なあ、この辺りでお互い収めようって手はないか? あんただってこんな場所で死にたくねえだろ。あとさっき部下を殺したのは悪かった」
「死に勝る屈辱を受けたのだ! 我らの誇りにかけて、ここで貴様を討ち取らねば、末代までの恥というもの!」
シンは途切れ途切れの声でそう言った。彼にとって、従属している組織を侮辱されたことは、死ぬことより耐えがたかったのだろう。
「なるほど、命よりもそっちが重要ってわけかい、ちっせえ野郎だ……」
しかしその決意は、正和の逆鱗に触れるには十分なものだった。
「分かった、アンタは何も恥じなくていい。きっちり往生させてやるからよ!」
正和は刀を構えた。その時に、周りの水が飛び散り、太陽の光を反射する。
正和は一瞬で正面に近づき、シンの右手をスパンと斬り落とした。
右手が宙を舞う間、移動の要となる足の関節を全て切り刻み、動けないようにする。
そして、心臓に向けて思い切り突きを放つ。
「ごばぁああああ!!!」
シンは大声をあげて、2メートルほど吹き飛んだ。吹き飛んだ先にあった巨大な岩は、彼の重量によって粉々に粉砕された。
正和は刀にこびりついた血を、手で大雑把にふき取った。そして、手にこびりついた血は、瞬く間に蒸発する。
「こういう時は便利なんだよな魔術って……さて、坊主。まだやるかい?」
「死ねん……自分を葬った相手の名さえ知らずに、果てるなど!」
「じゃあ、俺が呼ばれてたあだ名を教えてやろう……刃無鋒、そう呼ばれてた。本名は貴様なんぞに言う価値はない。用が済んだなら、とっとと往生しな」
「ふっふっふ……刃無鋒……覚えたぞぉ!」
その瞬間、シンの真上に雷が落ち、彼に直撃した。
「刃無鋒……これより貴様に、安息の地はない……ははははは……せいぜい、この地でもがき、苦しむがいい!!!」
そう言うと、シンは一度爆発し、砂となって消滅した。
「何なんだ一体……」
正和は刀をしまいながら呟いた。
「きっと罰があたったのだろうな。阿呆のやりそうなことだ」
「ま、障害がいなくなっただけマシか……ところでアンタ、名前なんていうんだ? 今更だが」
「私は明日香。見ての通り放浪人さ」
明日香と名乗った女性は、カラスアゲハのような青のメッシュが入った黒い髪を持ち、豪華だが落ち着いた衣装を身にまとっていた。
「おそらくだが、ここから移動したほうがいいだろう。ついてくるといい、こっちに街と宿がある」
正和は、明日香に言われるままついていくことにした。
後にこれが、歴史上語り継がれることになる物事の始まりとは、まだ誰も知らない。
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