第7話

車が止まって、扉が開いた。

引き綱を曳かれて降りたところで、どこに着いたかわかる。

「またここでみっちり走るんだなぁ……」

思わず口に出てしまう。

先生や厩務員さんたちや他の人たちが外厩とか休養牧場って呼んでるところ。

わたしが小林に行くまで、少しの間いたところ。


「無事に着いたみたいで良かったやで。腹減ってたらそこの牧草食うてええんやで」

馬房に入るとすぐに壁のおじさんの声がした。

いつの間に来たんだろう。謎。

「近くて助かったけど、車ってなんだか慣れないんだよねぇ」

そう言いながら牧草を口に運ぶ。

おじさんの謎は気にならないこともないけど、前からこうだったからなあ。

今更気にしてても仕方ない。

「じきに慣れるやで。本場の仔たちと違って、小林の仔は毎回車に乗らなあかんやで」

「だといいんだけどなぁ……」

「まあ、しばらくレースもないし、みっちり走り込んで体力づくりやで。ずいぶんと楽しそうやで」

おじさん、なんだか意地の悪い笑いをしながら言う。

「まあ、退屈してる暇もなさそうやが、退屈しのぎに鎧武者さんもこっち来る言うてたやで」

あれ、小林にいなくてもいいのかな。

「来る言うてもヒッチハイクらしいからどこかに連れてかれるかも知れんが、まあ来たら相手してやるんやで」

「来たらね、わかった。でもおじさんもいるんでしょ?」

「シュシュやくぅの弟たちも見なきゃいかんし、そうそう顔は出せんかもしれんやで」

「そっかあ」

おじさんや鎧武者さんが来ても来なくても、やることは一緒だもんね。

ここでいっぱい走って力をつける。

少しのんびりしたかったけど、ね。


それからの何日間かは、おじさんも鎧武者さんも来なかった。

わたしはと言えば、毎日コースを走って基礎練習。

終わってシャワーを浴びるともうご飯の時間。

ご飯を食べたら少し眠って、起きたら牧草の山にかぶりつく。

たくさん走ってたくさん食べる。

これが強くなる近道だって信じてるから。

また小林に戻ったときに、先生がびっくりするくらい強くなっておかなくちゃいけないからね。


「……おや、鎧武者さんは結局来てへんのんかい」

何日か経って、壁のおじさんがやって来た。

それもちょうどご飯の最中に。

まったく、タイミングの良くない時に限って来るんだから。

「うん、まだ来てないよ。来るんだよね?」

「来るとは言うてたが、この間ヒッチハイクで馬事公苑に連れてかれたって連絡来てたやで」

「バジコウエン?なにそれ」

「オリンピックの馬術競技って言うてな、馬がやる競技の会場やで。走るわけではないんやが」

「そこからまだ戻ってきてない……と」

「まあそういうことらしいやで。さっさと戻って来ればええが、何か事情があるかもやで」

おじさんも来ない理由がわからないみたい。

「連絡取れるなら聞いてみたらいいじゃん」

「いつも連絡取れるわけでもないんやで。この前なんて印西牧の原から電車に乗ったって言ったきり、次に押上に着いたって連絡来るまで何にもなかったやで。あれは寝てたに違いないやで」

「よくわからないけど、きちんと連絡取れるんじゃないんだね」

「まあそういうことやで。そのうちふらっと現れるとは思うんやで」

「わかった。来たらそれなりにしとく」

それを聞いて、おじさんの気配が消えた。

まったく、おじさんも鎧武者さんのことは言えないね。


それからまた何日か経った。

いつもみたいに基礎練習で走ってたら、少し脚をひねった感じ。

痛くないからそのまま走って、いつもみたいにシャワーを浴びて、ご飯を食べる。

ちょっとひねったような感じは気のせいだったかな。

だって、ちっとも痛くないし。


「いやはや、馬術競技というものは素晴らしいでござるな。拙者、見聞を広めて来たでござる……ってくぅ殿!?」

この声は鎧武者さんだな。

「その脚はどうしたでござるか!随分と腫れているようでござるが……」

「ああ、これね。見た目だけで全然痛くないんだよ」

「さようでござるか。しかし厩の者が見たら驚いて薬師を連れてくると大騒ぎするに違いないでござる」

「お医者さんを?そんな大した事じゃないってば」

「くぅ殿はもっとご自分を大事にしないといかんでござる。身体を張って仕事をするには、商売道具でもあるお身体を大事にしないと、いざという時に仕事が出来ないでござるよ」

「そういうものなのかなぁ……」

「そういうものでござる。壁殿にも連絡をせねばならぬことになったでござるな……」

鎧武者さんの気配も、そうして消えた。

そうしてるうちに牧場の人が獣医さんを連れてきてくれた。

獣医さんはわたしの脚を触ったりさすったりして、何か難しそうな顔をしてる。

注射だけしないでくれたら、後は何してもいいんだけど。

でも、難しい顔されるとこっちもなんかおとなしくしてなきゃいけない気がするんだ。

大したことないってわかってもらえたらいいんだけどなあ。


その日の夜に壁のおじさんがやってきた。

「やらかしたんやて?」

おじさんは着いてすぐにこう切り出した。

「うん、やっちゃった」

「馬力あるから気ぃつけて走らなあかんかったんやで。まあ大した事なくて良かったやで」

「でしょ?小林にはいつ戻れるのかなぁ」

本当に大したことないから、早く戻って走りたい。

でも、おじさんはわたしの望んだ答えを言ってくれなかった。


「いや、小林にはしばらく戻れんやで。北海道のまぶしいおじさんとこに預けられるみたいやで」

「まぶしいおじさんと優しい顔して注射するお姉さんのいるとこ?」

「せやで。ふたりともお医者さんやからその脚きちんと治してもらうことになるみたいやで」

「そっかぁ……」

あそこはわたしが競走馬になる練習をした場所。

鞍を背中に置く練習だったり、人を乗せる練習だったり、いろんな事を教わった場所。

あそこに戻るのかぁ。

「きっちり治してから小林に戻ればええんやで。『みんな』もそうしてほしいと思うてるやで」

「うん、わかった」

「レースに出るのは遅くなるが、それで『みんな』が困ることはないやで。くぅが元気に走ってくれたらそれでええんやで」

「うん」

「ほな、北海道着いたらまた顔出すやで」

「あっちならお母さんや弟たちにも近いから、おじさんも楽出来るんじゃない?」

「ワイの心配はせんでええやで。とにかく、脚治すことだけ考えるやで。まあ今夜はゆっくり寝て明日以降の話やで」

「そうだね。じゃあおやすみ」

それだけ言って、目をつぶる。


……夢を見た。

お母さんと別れてすぐくらいかな。

馬房の前の廊下にわたしがいて、扉の向こうにりくがいる。

「お母様とシュシュおば様はどうして僕たちを置いてっちゃったんだろう……」

りくはまだこんな事を言ってべそをかいてる。

「もー、わたしたちも大人にならなきゃいけないからだって言ったでしょ」

わたしはそう言って廊下の向こうを見る。

向こうではいくらちゃんやチャオズちゃんが遊んでる。

わたしだってお母さんに会いたいよ……。

そう思ってはいるけど、同い年のあの仔たちが平気で、わたしやりくが寂しいってのは知られたくなくて。

だから、寂しいのは我慢してた。

なのに、りくったら「くぅちゃん、寂しいから外に出してよ……」って。

「もー、それじゃ大人になれないよ」

「大人になれなくてもいいんだもん。ひとりでいると寂しいんだもん……」

しょうがないなあ……。

扉はぴったり閉まってるけど、わたしの力なら開けられるかも知れない。

何故か、ふっと思った。

お尻で扉をゴシゴシとこすったら開けられるかも。

そしたら、りくも寂しくないかな。

「ちょっと待ってて。やってみるから」

お尻を扉に押し付けてゴシゴシとやってみる。

ガタガタと音がして扉が動いてるのが見える。

「くぅちゃん、もう少しで出られそうだよ」

「わかった。もう少しだね」

そう言ってお尻に力を込める。

そうしてるうちに扉が開いて、りくが顔を出してきた。

「ありがとう。やっぱりくぅちゃんは強いなぁ」

でしょ?

そう言おうとして、目が覚めた。


夢だとわかってたけど、ずっと見ていたかった。

りく、どうしてるかなぁ……。

北海道に戻っても会えないのわかってるけどさ。

わたしとも離されて、ちゃんとやってるのかなぁ。

今度おじさんに聞いてみよう。


外はまだ真っ暗。

人間が来る様子もない。

じゃあ、にぎやかになるまでもう少し寝られるかな。

北海道まで行くとなったら、きっと車で寝不足になっちゃうだろうからね。

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