第6話

この前のレースから何日も経たないうちに、壁のおじさんがこんな事を言いだした。

「夏休みがやってくるやで。もうじきお迎えの車が来て乗って行くんやで」

あ、あの時言われてたやつか。

「ねえおじさん、夏休みってどんなことするの?」

夏休みってのがよくわからないから聞いてみる。

「これが人間やったらスイカ割りしたり虫取りしたりで楽しいことばっかりやが、くぅは走り込みやで」

えー……。

ちっとも楽しくないじゃん。

「それじゃあここと一緒じゃないの?」

「ここでやるよりみっちり走り込み出来るんやで。それにしばらく出るレースないやで」

あ、そっか。

出られるレースないとここにいても仕方ないもんね。

「そういうことやで。場所はくぅも前に行ってたとこやで」

わたしが知ってるとこ?どこだろ。

「小林に来る前に少しいたとこやで」

あー……。


思い出してきた。

たっぷり走らされてたとこだ。

ご飯は悪くなかったかな。

「飯の心配はせんでええが、尻尾がそうなったのもあそこやったなぁ」

そうだった。

あの時もいっぱい走った後だったなあ。


「あー、つっかれたぁ~……」

「こらこら、若いモンが疲れたとか言うてたらいかんやで」

「だけどさぁおじさん、目一杯走らせるんだもん。疲れるよ」

「今頑張ったらレースでええことあるやで。せやから頑張らんといかんのやで」

「わかってるけどさぁ……」

そんな事を言ってたら、なんだかお尻がかゆくなってきた。

牧場にいた頃だったらお部屋の扉とか柵とか、あちこちでかけたんだけどな。

ここだとどこでお尻かけるんだろう。

部屋の中を見渡してみる。

出入り口の柱がなんかちょうど良さそうな感じ。

でも、おじさんいる間は出来ないかなあ。

やっぱり、あんまり見せたくないからね。

「鎧武者さんが来るみたいやからそろそろワイは出かけてくるやで。くぅの弟たちの様子も見ておかなあかんやで」

「弟たち?」

「くぅの弟にりくの弟やで。すっかりわんぱく坊主どもになってるやで」

「そっかぁ。お母さんにもよろしく言っておいて」

「わかったやで」

……おじさんの気配が消えた。

いっつもこうなんだよね、あのおじさん。

ふらっと現れて言いたいことだけ言っていなくなる。

お母さんの知り合いみたいだけど、どうしてわたしの心配もしてくれるのかなあ。

……てか、鎧武者さんて、誰?


人間の姿は見えてない。

他の馬も顔を出してない。

……やるなら、今だよね。

お尻を柱にこすりつけてひっかく。

柱の方からブチブチって音がしてるけど、スッキリしたからいいや。

これでしばらくかゆくならないといいなあ。


「ヒッチハイクをしたら美浦に連れて行かれたでござる。いやはや面目ない……ってくぅ殿!?」

ん?誰か来た?

「くぅ殿!その尻尾はいかがしたのでござるか!?」

え?尻尾?

思わず後ろを見てみる。

自分の尻尾は見えないけど、床に灰色の毛がいくつも散らばってる。

「バッサリと斬られたみたいに尻尾が半分なくなってるでござる。おいたわしや……」

そう言うと、その声は泣き出した。

「壁殿が見たらさぞやお嘆きになられるであろう……。いっそ拙者が身代わりになれば良かったのでござる」

おじさんの知り合い?

てか、派手にやりすぎたかなあ。

尻尾が半分ないってなんだか格好悪いよねぇ……。

ちょっと反省モードに入ってしまう。


「あ、自己紹介がまだでござったな。拙者鎧武者と言われてる者でござる」

このひとが鎧武者さんかぁ。おじさんの知り合いなんだろうね。

だって、おじさんと一緒で姿が見えない。

「この事を壁殿になんて説明すれば良いのでござろうか。拙者は胸が張り裂けそうでござる」

あー……。

「大丈夫。自分で説明するから」

「いやしかし……」

「それに、あのおじさんこれくらいで悲しんだりしないと思うなあ」

「そうなのでござるか?」

「あのおじさん、お母さんがなにか失敗したりすると大笑いしてたもの。わたしの失敗だっておんなじよ」

「そういう人に見えなかったでござるが」

「そうやって気落ちしないようにしてるんだって前に聞いたことあるよ。だから今回もそうするんじゃないかな」

「そうでござるか……」

「うん、そうだよ」

なんでわたしが鎧武者さんを励ましてるんだろう。

なんだかよくわかんないけど、それはそれでいいのかな。


「まーたお尻かいてやらかしたんやて?ホンマにくぅは懲りんやつやで」

壁のおじさん、わたしを見るなり大笑いしてこう言った。

「まさかこうなるとは思わなかったんだもん」

「せやろなあ。かゆい時はどもならんもんやで。まあお母さんとお揃いでええもんやで」

「お母さんと?」

「くぅの弟たちに尻尾の毛かじられてめっちゃ短くなってるんやで。せやからお揃いやで」

おじさん、おかしくて仕方のない感じだなあ。

「それに毛はそのうち伸びて来るやで。せやから気にすることないんやで」

そうだよね、うん。

全部取れちゃったんじゃないんだし。


……そんなことがあったところに戻るのかぁ。

「それもこれも、この先大きなレースに勝つためやで」

「大きなレースって?」

「同級生の中で一番になるためには、何度も大きなレースに勝たなあかんのやで」

「そっかぁ。一番にならないと『みんな』ががっかりするよねぇ」

「せやで。それに一番にならんとええ飯にもありつけんし、休みもロクになくなるんやで」

それは困る。

「毎月開催のたんびに走らされるのも悪くないかもしれんが、ええ飯は食いたくないか?」

「もちろん食べたいよ!おいしい牧草にご飯もいっぱい食べたい」

「せやったら大きなレースに勝てるようにならんとなんやで」

「わかった。頑張ってくる」

「くぅは物分りが良くてええ仔やで。迎えの車は明日にでも来るらしいやで」

「うん。またいっぱい走って来ればいいんだよね」

「せやで。先生の準備が出来たらまたここに戻って来ることになるやで」

「それっていつまで?」

「2ヶ月くらいかもやで。まあ走ってたらあっという間やで」

「……そっか」

2ヶ月くらい向こうで走って、こっちに戻ったらレースに出る。

そのつもりでいればいいのか。

「たぶん次は大きなレースになるやで。また『みんな』が来てくれるかもしれんやで」

「なら、頑張らないわけにいかないもんね」

「そういうことやで」


次の日になって、迎えの車が来た。

厩務員さんに連れられて車に乗る。

そうして車の扉が閉められて、車が走り出す。

次に小林に戻ってくるときは、もっと強くなってるといいな。


ううん。

もっと強くなって戻るの。

『みんな』のためにもね。

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