第3話
練習が始まった。
アジアちゃんと一緒に、大きな木の周りをぐるぐる歩く。
次のレースもすぐにあるみたいだって、壁のおじさんが教えてくれた。
「次のレースも頑張ったら、また『みんな』が喜んでくれるやで」
そうだよね、頑張らなくちゃ。
頭の隅っこでそんな事を考える。
アジアちゃんと並んでゆっくり歩く。
まだ体が温まってない。
じっくり体をほぐしてからじゃないと、あちこち痛くなるかもしれない。
育成牧場の時に、頭のきれいなおじさんに教わったんんだ。
背中の人も手綱緩めてないし、ゆっくりでいい。
しばらくゆっくり歩いてると、同じ厩舎の仲間たちが集まってくる。
ここからスパルタくんが合流するはずなんだけどな。
そうしてみんなで馬場に行くのが今までだったんだけど。
……来ない。
おかしいなあ。
「スパルタくん来ないねー。おかしいねー」
アジアちゃんも不思議そうにしてる。
なにかあったのかな。
そうこうしてると、栗毛の仔が近づいてきた。
わたしたちと同じくらいの年頃かな。
見たことない仔だけど、同じ厩舎なのかなぁ。
「今日から一緒に練習するんだって。よろしくねー」
……はい?
わけわかんない事になってる。
アジアちゃんもなんか固まってるし。
「あ、うん。よろしくね。ところでなんて呼べばいいかな?」
「ボク?名前?」
「ああうん、そうそう名前」
名前わかんなきゃどう呼んでいいかもわかんないし。
「名前かー……あのコロッケになんて言われてたかな……」
ひとりでなんだかブツブツ言ってる。
「……ああ思い出した。ボクの名前、コロッケって言うのー」
……コロッケ!?
え、でもさっきコロッケになんて言われたとか言ってなかった?
わけわかんない。
「大丈夫。ボクもわけわかってないからー」
そう言ってコロッケはニコニコしてる。
コロッケくんなのかコロッケちゃんなのか。
それもまだわかんないけど……。
みんな揃ったところで順番にコースに入る。
わたしはアジアちゃんと一緒。
「ボクも一緒だってー」と、コロッケもついて来た。
蹴ったり噛み付いたりしなきゃ、まあいいか。
好き嫌いとか特にないし、邪魔にならなきゃそれでいい。
前や横でチョロチョロするなら威嚇すればいいって、育成牧場でお向かいだったお姉さんに教わったなあ。
どうしてるかな……。
練習が終わると体を洗ってもらって厩舎に戻る。
しばらくするとご飯がやってくる。
この時間が一番大好き。
なんにも考えずにひたすら食べていられるから。
「くぅちゃん、ご飯は残さず食べなきゃダメですよ」
お母さんが良く言ってた事。
お母さんからはいろんな事を教わったけど、これは良く言われてたな。
だから、お母さんの言いつけはきちんと守ってるつもり。
お母さんのご飯ももらって食べてたし、育成牧場でもたくさん食べてたし。
食べてる間は余計な事を考えなくていいしね。
でも、お母さんからご飯もらった時はこんな事も言われたっけ。
「あげるって言った覚えはないのにねぇ……」
ご飯を完食したら牧草の玉にかぶりつく。
これもいつものこと。
お腹いっぱいにならないと、なんだか満足した気にならないし。
満足してないと眠くもならないから。
たくさん食べてたくさん寝る。
それが一番のお気に入り。
他の仔たちはおしゃべりしたり遊んだりするのがいいみたいだけど、わたしはそういうのあまり興味がないから。
変わってるかな?
そう言えば、練習してて思い出した事。
育成牧場でお向かいにいた栗毛のお姉さん。
お姉さんも小林にいたって言ってたな。
同じとこに行けるってわかって、ちょっとうれしかったんだ。
お姉さんとはいろいろお話したなぁ……。
「コースに出たら、どんなのが相手でもビビったらダメ。きっちり威嚇してやるのよ」
お姉さん、いつもこう言ってたなぁ。
「ナメられたら走りたいとこだって走れないし、練習だってきっちり出来ないからね」
「わかりました。練習で邪魔されたりとかってあるんですか?」
そう聞いたら、お姉さんはすぐに「あったなぁ」って。
そうして、こんな事を教えてくれた。
「あたしが走ってたら、後ろからものすごい勢いでやってきたのがいたの」
「はい」
「コースじゃみんな練習メニューが違うから、速く走るのもいればゆっくりなのもいるの」
「はい」
「その日はあたしゆっくりでいい日だったから、内ラチの近くでゆっくり走ってたんだけどさ」
「後ろから速いのが来たんですか?」
「そうなのよ。それもすぐ近くに走ってきたからさ」
「はい」
「思わず言っちゃった。『やんのかてめぇ!!』って」
「そしたら?」
「そいつビビって外に避けてったわ。あれくらい言ったってバチは当たんないからさぁ」
そう言ってたお姉さん、すごく楽しそうだったなぁ。
わたしも邪魔されそうになったら威嚇した方がいいのかなぁ。
……思い出して来た。
わたしが育成牧場に着いたその日の事。
最初はお庭に連れて行かれたんだったな。
もう先に来てるのが何頭かいて、群れ作ってたっけ。
それで、わたしが青草を食べようとしてたら「挨拶くらいしたらどうなのよ」って絡んできて。
ついわたしも「青草くらい好きに食わせろ!」って言ったんだ。
そしたら、そいつらビビって何も言って来なくなった。
あれが威嚇なのかな。
あれくらいでいいならここでも出来そうだけどな。
夜になって、厩舎が真っ暗になる。
「……次のレースにな、ちぃと強そうなのが出るらしいんやで」
壁のおじさんの声だ。
「……強そうなの?」
「ああ、小林で一番か二番に強いって言われてた馬の弟でな。人気も実力もあるって寸法やで」
「その強いのと走るんじゃなくて、弟の方なのかぁ」
「ま、その強いのだって追いきりの最中お姉さんに威嚇されてたんやで」
「えー、じゃあお姉さんが言ってた馬の弟と走る事になるのかな」
「そうらしいやで。もっとも、弟がどんな馬なのかはまだようわからんし、威嚇はせんでもええかもしれんやで。しかし……」
「威嚇しないでいいならいいけど、まだなにかあるの?」
「その弟と走ってくぅが負けるんじゃないかって、『みんな』が心配してるやで」
「あ、そっかぁ……」
『みんな』が心配しないようにはしたいよね。
じゃあ、次のレースも頑張らなくちゃだね。
「それに、次のレース『みんな』が来られんのやで」
「どうして?この間はたくさん来てくれたじゃない」
「人間の間に流行ってる病気のせいやで。これだけは誰にもどうにも出来んのやで」
「そっかぁ……。でも、どっかで『みんな』は見てるんでしょ?」
「ああ、必ず『みんな』は見てくれてるやで」
「なら大丈夫。いいとこ見せられるように頑張る」
それだけ言って、わたしは目をつぶる。
きちんと寝ておかなくちゃ、練習頑張れないから。
「次のレースはまたすぐに来るやで。きちんと準備するんやで」
うん、わかってる。
胸の中で返事をした。
きちんと寝て、練習頑張って。
そうしてレースでもいいとこ見せるんだ。
そう思ったら、気持ちが少し昂ぶってるのに気がつく。
わたしらしくないなぁ……。
えいっとばかりに寝わらの上に座り込んで、目をぎゅっとつぶり直す。
きちんと寝なきゃ、いけないからね。
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