第2話
小林に帰ってきた。
厩務員さんに曳かれて厩舎に戻る。
「ただいま!」
そう言うと、厩舎のあちこちから「おかえりー!」って声が飛んでくる。
馬房に戻って脚元をチェックしてもらってると、早速声がかかる。
「くーちゃんおかえりー!レースどうだった?」
一緒に練習してるアジアちゃんの声だ。
馬房の壁越しだから顔は見えないけど、どんな顔して聞いてるかはすぐわかる。
「うん、勝ったよー」
「やっぱくーちゃんは強いなぁ。わたしなんかまだまだだもん」
アジアちゃんはわたしの前の日に新馬戦に出てた。
結果は聞かなかったけど、あんまり良くなかったんだろうな。
「でもね、くーちゃんといっぱい練習したから今度はうまくやれそうな気がするよ」
「そうだよ。また練習でいっぱい走ったら勝てるよー」
「うんうん、絶対勝てる……って、くーちゃんの厩務員さん来たよー」
なにかあるのかな?
ご褒美にニンジンでも持ってきてくれたらいいんだけど、来ないだろうなぁ。
小林に来てからニンジンなんて見たことないもん。
厩務員さんがわたしの馬房に入ってきた。
メンコみたいなものを手にしてる。
そして、わたしの顔にかぶせる。
途端に目の前が真っ暗。
「なにこれ!?」
思わず言っちゃった。だってなんにも見えないんだもん。
「あー、それな、目を守るためのものなんやで」
壁のおじさんの声がした。
「目?わたし目は悪くないよ」
「んなこたわかってるやで。レースで砂粒が目に入ったやろ?」
「洗ってもらったけどなあ」
「そこやで。洗っただけでは細かいのが取り切れんやで。そのままあちこちこすったら目に傷がつくんやで」
うわ、それは痛そう……。
「だからこすらんようにそれつけるんやで。今晩一晩の辛抱やで」
「明日になれば取ってもらえる?」
「それまでに細かいのは涙と一緒になって外に出てくやで。せやから辛抱するんやで」
「仕方ないなぁ……」
おじさんは間違ったことを言ったことがない。
だから信じることにした。
真っ暗でも牧草の玉や水桶の場所はなんとなくわかるから大丈夫。
それがわかったら、不安なことはなくなった。
……それにしても、先生もわかってないなぁ。
大人しくしててって言えばこんなのいらないのに。
牧草を食べながら思う。
無駄な事はしたくないし、じっとしててって言われる方がありがたいくらい。
こんなのなくたって目をこすったりしないのになぁ。
「そうも行かんのやで。万が一なにかあっても困るからやで」
おじさんの声だ。
「それもそうだけどさぁ……」
「そういうもの、と思うしかないでござるよ」
別の声がする。
おじさんの友達の鎧武者さんだ。
「世の中は思うようにならぬ事ばかりでござる。拙者もまた乗り換えを間違えて松戸まで連れて行かれたでござる」
「ええかげんに乗り換えくらい覚えるとええやで。てかワイと同じことしてたらええんやで」
「あいや、それでは拙者の面目が立ち申さぬでござる」
ふたりともわたしにはわからない事を言ってる。
でも、それはわたしを安心させようとしてるから。
おじさんも鎧武者さんもそういうとこあるんだよね。
「大丈夫だよ。真っ暗でも怖くないから。牧草もお水も場所わかったし」
「それならええんやで。どのみち厩舎も電気消えて真っ暗やで」
「だから少し寝るね。おやすみなさい」
そう言って目をつぶる。
「起こさぬように拙者は外を見張るでござるよ」
鎧武者さんはそう言って外に出たみたい。
賑やかなのもいいけど、静かにしてたい時だってあるんだから。
目をつぶってしばらくしたら、視界が明るくなってきた。
なんか、夢かな。
面白そうだからそのまま見てようかな……。
わたしがまだ小さかった頃のこと。
お母さんとダヨーおばさんとりくくんと。
みんなで牧場の庭に出てたときに、庭の柵の外側にたくさんの人が来たことがあった。
その人達が柵の中に入って来たから、わたしたちはびっくり。
「くぅちゃん、あっち行くよ」
お母さんがそう言うから、わたしもついてって人間から距離を取った。
でも、りくくんがこんなことを言い出して。
「お母様、なんだか面白そうですね。行ってもいいでしょうか?」
そしたらダヨーおばさんも「行って遊んできたらいいんダヨー」って返事してて。
そうしてりくくんだけ人間たちのとこに行っちゃって。
……思い出してきた。
その後お母さんとわたしも人間たちの方に行って、遊んでもらったんだったな。
ニンジンでももらえるかと思ったんだけど、なんにももらえなかったなぁ。
そのときに、お母さんから言われたんだった。
「あの人たち『みんな』、わたしやくぅをずっと見守ってくれてるのよ。だから『みんな』のためにも頑張らないとね」
「何を頑張ればいいの?ご飯いっぱい食べること?」
そう聞いたら、お母さんこう答えてくれた。
「くぅちゃんも大きくなったら競馬場ってとこで走るのよ。走るのをいっぱい頑張らないとね」
「頑張ったらご飯おいしい?」
「そうよ。頑張ったらご飯はおいしいし、『みんな』が喜んでくれるのよ」
「そっかぁ……」
あの頃のわたしはそれくらいしかわからなかったけど、今ならお母さんの言ったことがよくわかる。
頑張ってレースで走ったら、『みんな』が喜んでくれる。
だから、わたしは頑張れるんだって。
目の前も外も真っ暗。
聞き耳を立てても馬たちの寝息くらいしか聞こえない。
もう少し、寝ておこうかな。
起きたらご飯が待ってるし。
おいしく食べたいから、ね。
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