第53話 新世界へ。

 最後は、いつだって一人だ。

 気がつけば、私は、一人だ。誰も、周りにいない。

 どこにいたって。誰といたって。最後には私は、一人になる。みんな、私を置いていく。みんな、私についてこなくなる。誰も隣にはいてくれなかった。

 振り返った先、遠くに誰かいて。前を向き直ると、遠くに背中が見えて。でも、横には誰もいない。いや、遠くに誰かいる。でも、私の隣に誰もいない。

 頑張っても、頑張っても、私がミスをしなくても。誰かに、何かに邪魔される。

 私は、一人だ。

 だから私は。


「この馬鹿野郎!」


 自分の命は、捨て駒にできる。もう、どうでも良い。

 ふふっ。先輩のこと言えないな、私。

 私が神魚を海から引きずり出して囮になって、先輩が動きを止めて、そのまま止めを刺しに行く。


「彩芽ちゃんっ!」


 有希先輩の声。抱きかかえられ、そのまま戦場から引き離される。


『神魚の反応が消えた。討伐確認!』


 無線越しに、歓声が聞こえる。良かった。

 神人大戦の初期、乗せる飛行機が殆ど落とされ、前線に出される事無く残っていた空母を引っ張り出した判断、いやはや、我ながら良い作戦だ。目だけ動かして神魚の死体。ようやく確保できた。神たる魚の死体だ。


「くそっ。美鈴! 有希と彩芽を護衛。追撃は僕が相手する」


 水棲型眷属の最後の抵抗だ。派手な水しぶきが聞こえる。先輩が対処するなら、大丈夫だろう。


「多いな。こっちに集中する。有希、指揮権を預ける」

「任せて! 聞こえる? 医療班にすぐに手術取りかかれるように準備させといて。美沙都ちゃん、救急キットと蘇生キット」


 先輩。

 こんな私のために、泣かないでくださいよ。必死にならないでくださいよ。

 涙が、勿体ないです。


「有希センパイ。持って来ました!」


 ドタドタと足音が聞こえる。誰かが傍に屈んだのがわかる。……美沙都、ちゃんか。泣かないでよ。本当。


「ありがとう。あやめちゃん、死なせないよ」

「なんで、ですか?」

「遥君を、悲しませないんでしょ」

「有希先輩が、いれば良いじゃないですか」

「彩芽ちゃん。今までわたしに言って来たこと、全部返って来てるよ」


 だってあれは私の理想、私の願い。真理だなんて思ったことない。 

 みんな、その理想を、願いを、実現してきたんだ。私はきっと、届かない。


「絶望しないでよ。まだきみは、負けてないよ」


 負ける負けない以前の、話なんですよ。と言いたいけど、もう、口を開くのも億劫になっていた。視界が霞んできた。


「これで、良いん、ですよ。みなさんの、ためには」


 私がいなくなれば、更科家の発言力は低下する。心成兵器使いを厳重に管理すべしという強硬派の勢いが弱まる。残るのは、どんどん権力が低下している父親のみ。英雄が率いる部隊の一人がいなくなるのだから。

 誕生するのは、自分の身を投げ打って、人類最後の敵を倒すために貢献した、一人の英雄の少女だ。死亡すれば、今まで一部の人しか知らなかった私の身分が世間に明かされる。

 自分の娘が心成兵器使いであるにも関わらず、心成兵器使いを弾圧しようと画策していた、親として失格の両親の誕生である。

 ……説明するのも億劫だな。でも、良いんだ。これで。


「あやめちゃん!」


 握られていた手に、力が入らなくなって。あっ、手、握られていたんだ。気づかなかった。


「くっ……」


 有希先輩が大鎌を振りかぶる。

 そう、それで良い。

 悔しそうに顔を歪めて。私の心臓に狙いを定めている。


「ありがとう、ございます」

「何勘違いしているの?」


 理論上は、できる。

 彩芽ちゃんを、助けることが、できる。 

 心成兵器は心の具現化。純粋な感情はエレメント解放という奇跡すら起こす。


「わたしは、あやめちゃんを、助ける」


 鎌の刀身が光を纏う。


「あやめちゃんが諦めても、わたしはあきらめないから。遥君をもう、泣かせはしない。悲しませたりはしない。こんな形で、君との決着は、着けない」


 来てる。純粋な感情の流れが、来てる。


「奇跡を起こして、わたしの心」


 そして、その光で、彩芽ちゃんを照らした。




 絶望を見つめる。絶望に抗う意思を決める。絶望の重圧すら従えて見せる。

 そうだ。絶望との向き合い方は、何も浸るだけじゃない、そんな単純なことを、今更思い出した。

 この形なら僕は僕の心に矛盾しない。

 黒い剣に纏った重圧。白い剣に纏った光。

 神魚を殺した後の追撃。それは大攻勢と言っても良いもの、だが、これなら。

 光で薙ぐ。闇で潰す。闇で捉える。光で焼く。

 剣をもっと速く、早く仕留めろ。彩芽が、彩芽が!


「攻撃できる奴、全員、畳み掛けろ!」


 張り上げた声に応じるは剣戟の音。

 今度は、逃がさない。絶対に。

 御門の一撃、フィリップ大将の連撃が炸裂、途切れたタイミング。


「終われぇええええ!」


 神魚は動きを止める。流れる血が止まる。いや、全て光に焼かれ蒸発したか、流れ出たか。


「はぁ、はぁ、は」 


 剣を引き抜き、払う。戦場は沈黙に包まれる。

 彩芽のことは、気になる。だが。その前に、英雄としてやるべきことがある。それは。

 剣を掲げた。


「うぉおおおおおお!」


 そんな声があちこちから響き渡った。英雄として、勝利を宣言すること、脅威を打ち払ったことを示すこと。 

 今日この日。この瞬間、人類は最後の脅威を討ち滅ぼした。


「まぁそんな簡単にいかないよな」


 こっちに向かってくる気配。水棲型眷属。まだ、終わらないか。……これはっ。


「くそっ。美鈴! 有希と彩芽を護衛。追撃は僕が相手する」


 どうする。いや、大分いるぞ。この周辺にいる奴全部こっちに来てる感じか?


「多いな。こっちに集中する。有希、指揮権を預ける」

「任せて! 聞こえる? 医療班にすぐに手術取りかかれるように準備させといて。美沙都ちゃん、救急キットと蘇生キット」


 救助者の船が逃げ切れるまで時間を稼げるか……いや、稼ぐしかない。

 さぁ、来い。

 心の中で呟いた。

 全員、殺す。こんなところで負けるものか。生きて帰すんだ。彩芽は任せるしかない。だから、せめて。ここは通さない。


「絶望を、越える」


 これが最後だと言うのなら。


「何一人で戦う気でいるんだ?」

「御門」

「私も残ろう。君たちばかりに任せるのは立つ瀬がない」

「大将。ありがとうございます」


 三人なら、なんとかなるか。いや。


「奴ら、船を」


 くそっ。執念深い。最後に狙っていた彩芽を追う気か。


『四季大佐』

「元帥。何か?」

『そこを離れるのだ』

「? 了解」


 瞬間、聞こえたのは飛行機の音。


「戦闘機?」


 急降下した戦闘機が海に向かってミサイルを放ち急上昇して離れる。ミサイルはそのまま海中に入っていく。


「っ!」


 なんだ、この甲高い音。救助船を追おうとした水棲型眷属の動きも鈍った。


『炸裂確認』


 音での攻撃か。脳まで直接揺らしにいくような攻撃。目的を見失った眷属は、その本来の習性に従い、孤立した僕たちに向かってくる。

 僕たちでなければ成立しない作戦。百は軽く超える眷属達。海そのものが蠢くような光景。その向こうには千を超える眷属はいるだろう。


「御門、疲れたのなら帰るのは今のうちだぞ」

「うっせ。ここが最終防衛ラインなら、退く選択肢は俺にはない」

「上等。それじゃ、逃げる選択肢とは、さようならだ!」




 その戦いは、次の日の明け方まで続いたという。眷属の反応が無くなり、調査船が派遣されそこにあった光景は、三人の英雄が立ったまま眠っている光景だったという。

 医療班の話では生きて正気を保っているのは異常である。奇跡以外の何物でもないと。

 後にラグナロクと呼ばれ書に記され劇となり後世に伝えられる事となった最終決戦。

 その立役者となった一人、HDF欧州本部所属、フィリップ大将は心成兵器所持者管理委員会特別顧問となった。

 日本支部東京地区スルト防衛大隊隊長、御門少佐は退役後、農業を始め、管理委員会にひっそりと監視されながら、大量にもらった報奨金、退職金を切り崩しながら、残りの人生を過ごすことを選ぶ。

 そして、日本支部東京地区、フェンリル遊撃隊隊長、四季大佐は。恋人である望未有希中佐と共に、行方を眩ませた。

 神魚討伐戦で重傷を負った更科彩芽中尉は望未中佐の懸命な応急処置と、医療班の迅速な対応により、後遺症も痕も残ることなく、復帰。自身の父親を権力の座から追いやり、心成兵器所持者管理委員会委員長を務める。

 フェンリル遊撃隊の残りの隊員、唐木姉妹。唐木美沙都、唐木美鈴、両准尉は、更科中尉の元で、心成兵器の違法使用の取り締まり対応をしている。委員長直々の極秘の特別任務をこなしているという噂もある。

             ニュートピアワールド出版 月刊 ニュー より抜粋。




 「遥君」

「どうした?」

「できたんだね」

「あぁ」


 簡素な墓だ。

 近くで一番景色が良いところを選んだ。草木が戻って来たと言っても、僕たちには馴染みの無い景色。だが、姉貴が追い求めていた世界。


「遥君の、おねえさん」

「姉ではないが、いなかったら、僕たちに未来は無かった」

「うん。わたしも、あの時死んでた」


 マフラーを抑え、儚い笑みを浮かべて、有希の目は木を十字に組んで、大き目の石が置かれているだけの墓に向けられる。


「ある意味、恩人」


 風が吹いた。青臭い。命が芽吹いている匂いだ。


「……行くか」

「どこに?」

「開発の手は少しずつ伸びているからな。その前に、全部見ておきたい」

「欲張りだね」

「……ついてくるか?」

「うん」


 即答されて思わず苦笑してしまうのがわかる。

 神域での旅の違いは、その辺に食べられるものがあること。頑張ればいちいちこっそり戻らなくても済むことだ。


「じゃあ、行くか……もうすぐ夏か。じゃあ」

「北だね、涼しいところ行こう」

「とりあえずマフラー外したらどうだ?」

「……そだね。もう、必要無いね」


 僕たちは二人で、新世界に一歩踏み出した。

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